作成者別アーカイブ: sakurako

sakurako について

Sakurako,a business working woman who live in Shibuya,Tokyo.

聖書のことばの紹介

「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」
へブル13:5

母親が自分の子供を、赤ん坊を忘れるだろうか、たとい母親が忘れたとしても、わたしはあなたを忘れない、と言われている。

私たちには、主に従う中で、時に、忘れられているのでは、との状況を経験するだろうか。祈っても、幾ら祈っても状況は何も変わらない。
どれだけ祈っても、何も動かず微動だにしない。助けも見えて来ない。


行き詰まり、どこへも進めず、何もどうにもならない。本当に愛されているのだろうか?目に留めて下さっているのか?独り取り残されたように感じる。

イスラエルも苦しみの中で「主は私を見捨てた、主は私を忘れた」と言った。失望し、意気消沈していた。しかし、そんなイスラエルを、主は力強く励まされる。

「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。胎の子をあわれまないだろうか」と。

そのように決してあなたを見捨てることは無いし、忘れ去ることもあり得ないと。「たとい女が子供を忘れても、このわたしはあなたを忘れない」と。決して我が子を忘れる事のあり得な
い母親が、万一忘れたとしても、このわたしは絶対にあなたを忘れないと。

私たちは、絶対に忘れられる事も、捨てられる事も無い。

よく病院で、忙しい看護師さんが、重要な事を、忘れないために手のひらに書いている姿を見る。その文字は何度も消しては、書き直す。手を洗えば消える。

しかし主は「手のひらにあなたを刻んだ」と言われる。

刻んだものは消しても消えない。それほどに強く強く愛されている。絶対に見捨てられず、忘れられていないことを覚えよう。
————–
どれほど落ち込んでも、周囲から忘れられているように思えても、神は私たちを決して忘れない。手のひらに刻まれた私の名前を大切に慈しんで見ていてくださる。なんと感謝なことだろう。

【日々のことば】
発行 広島聖書バプテスト教会からの引用

久しぶりの出勤

今日は数カ月ぶりの出勤であった。

ニューノーマルの時代となり、わが社では座席配置図が廃止となり、今後は出勤した社員が、自分の所属するフロアーで、ソーシャルディスタンスを保って一定方向を向き好きな場所で仕事する、というワークスタイルになる。当然、座席数は足りなくなるから、基本は9月末まで在宅勤務中心だという。今月は、そのために自机をキレイにせよ、とお達しが出て、私は7時前か10時以降の二択出勤のうち、後者を選んで、家を出た。

さて、どうやって会社に行こう。「行き方、忘れた・・・」と言ったら、一緒に家を出た夫が吹き出した。 これは、わざとボケたのでなく、本心から分からなかった。 渋谷は現在、再開発が盛んで、どの道が通れて、どの道が閉鎖中か、やってみるしかないのである。それぐらい、電車に乗っていない。 記憶を頼りに、ああ、この道はまだ残っている、と確認しながら、渋谷駅の改札を抜けた。 そして、その思いは、虎ノ門駅を下車しても、ある意味、同じだった。 見慣れた薬局が元気に営業しているのを見、ホッとして、つい立ち寄った。 家に居ると買わないのに、出勤したら買いたくなるものがある。小腹が空いたときのおやつが、なぜか職場には必須である。 そして、短い買い物を終えると、俺流ステーキが消滅していることや、わが社の前に、新たな美しい森ビルが完成しているのを見て、驚愕した。 ここもまた、変化していて、時間は確かに過ぎているのである。いやいや、家にいると、街の様子が本当にわからない。 社に入った。フロアには3人しかいなかった。途中で、社長が見回りに来られた。 「社長が見回りしている」と、うわさで聞いていたので、ああ、ほんとうだ、と思いながら、話しかけられませんように、と祈った。 なぜだろう、私はなぜか、今の社長が苦手だ。前にうちの会社の本部長だったから、すこし、顔見知りだ。それゆえ、好かれようと努力してしまいそうな自分が嫌なのだ。 閑話休題。 途中で、部長がみまわりにきて、ほかの部長と話していた。 誰もいなさ過ぎて、話が聞こえた。 「もう(在宅は)限界だ」と、言っていた。「あきらかに、業務効率は落ちていますね」と、言っている。 私は、最近チームがどう動いているのか、分からなくなって業務効率が落ちている。 それもこれも、在宅のせいだ、と思っていたら、今日、上司に衝撃の事実を告白された。 「ごめん、ずっと、4月からチームmtgに桜子さんが出ていると思っていたんだけど、入ってなかった」 え?なんですと? なんだ、在宅のせいじゃなくて、上司のせいだったじゃん。 私は、今の上司の良いところは素直な所だと思うのだが、そりゃあんまりだ、と思った。 まあ、それでも、やっぱり自分は会社にとっても、チームにとっても、大した存在ではないと確認できたことは良かった。 ならば自分はマイペースで、私なりの研鑽をしていいのだ、と未来が明るくなった。 帰り、自机をキレイに、という言葉を思い出し、パソコンの電源を抜き、ロッカーにしまって、退出した。 同僚に、「キレイに片付けたよ~」と、報告したら、あきれられた。 「桜子さん、PCの電源を切ってしまったら、家でリモートワークは出来ません!」 あああ。

松之助NY代官山カフェ

プールのあと、雨だから心が沈む、帰りは静かな所でお茶したい、とせがまれ、代官山の松之助ニューヨークカフェへ。

ここは、コロナでもテイクアウトで頑張っていた喫茶店。寄ってみたら女子ばっかり。

娘は、女子会♫、と私たちのお茶を称して喜んでいる。

たまにはいいか、と贅沢をした。

Withコロナの新たな日常inシブヤ

5月末に緊急事態宣言が解除され、自由に外出できるようになった。

3月から続いていた「STAY HOME」は、GWも過ぎるころになると、「15時になったら外で遊ぶ」というのが、この界隈の子供たちの日課に、自然となっていった。
私たち親は、日中、渋谷上空でヘリコプターがパタパタとはためき(スクランブル交差点をテレビ局が映すため)、日々監視されているようなプレッシャーを感じながら、子供の健康を守らねばならなかった。

鬱々とした雰囲気の中でも、子供には健全に育ってほしい。
数時間でも外へ出て、身体を動かすことは大切だ、と、子供だけは外へ出す家庭も多かった。
南平台に公園はない。けれど、住友ビルの広い敷地がある。本当にありがたいね、と、広場に感謝する日々だった。

だが、立場が違えば、思いも変わる。
目ざわりだ、と感じた住民もいた。大人が我慢しているのに、なぜ子供に我慢させないのか、と感じたようだ。注意する人、「外で子供たちが遊んでいる」とビルへクレームを熱心に寄せる人もいて、その様は私から見ると、すこし異常に思えた。

ビル側は、子供を慈しんでいてくれていた。が、やがて近隣の苦情に耐え兼ね、「ここで遊んではいけません」と、やむなく見張りをし始めた。
私たち親は、不寛容な日本に、やっぱり子育てがしづらい国だ、という思いを新たに、こんな緊急時ぐらい勘弁してほしいと嘆いた。とうとう、運動でも起こすしかない、と立ち上がろうとした父兄が出てきた頃、自粛は解除された。

あの戦争も、今は昔。

昨日、渋谷区教育委員会から、登校再開のお知らせが届いた。
今月再開された小学校は、分散登校の週2回だったが、毎日の登校に変わる。

コロナと共存する新しい日常の、ニューノーマルに、ノーマルが戻ってくる、と感じた瞬間だ。

長かった。いや、あっという間だった、というべきか。

コロナ自粛期間は、私たちに様々な発見を与えてくれた。
各国のリーダーも、結局は普通の人であって、神でないこと。
そして、日本という国は、少子化になるべくしてなった、と言ったらいいのか、特に子供への扱いは全くのおざなりであった。

先進国と呼ばれていても、教育面では、最下位であったことはショックだった。
渋谷区でさえ、ICT教育が盛んな23区と、児童一人一人にタブレットが配布されてはいたが、まるで使えない端末であった。
オンライン授業が出来る代物ではないことが露呈し、タブレットは、プリントのオンライン化ツールにしか、過ぎなかった。

国に頼れないし、学校にも頼れない。子供を守るのは、私たち親がまず、人生で最も大切なことは何かを見極め、学びながら、考えながら生きるしかない。

コロナになってからしたこと

ひきこもり生活になって、ドイツの友人が野菜を育てているというのに触発され、家庭菜園をほんの少しだけ、している。

種を植えた、二十日大根が芽を出してきた。

ワサワサはえてきた!

小さな苗だった、さやえんどうも、ついに実がなりはじめた。

感動!

ピーマンも花が咲きはじめた。

できるかな?

バジルは購入。えんどう豆は種をもらって育てたら葉っぱが出てきた。けど、このまま放置してていいのかな。移し替えるべき?

コンビニで主人が買ってきた、ミニトマト栽培セット。簡単、というふれこみなのに、なかなか芽が出ず。

昨日、新しく買ってきた、きゅうりの苗。無事育ちますように。

オンライン葬儀に参列

去年のGW、私は米国アリゾナにいた。首都フェニックスは、ちょうどその頃、気温がぐんぐん上昇していくシーズンで、私たちの滞在中は、空が底抜けに青く広い日々だった。野鳥のけたたましい鳴き声が、目覚ましのように、私たちを毎朝起こす。帰国後、住んでみたいな、と不動産を少し見てみたが、空想で終わった。それで、良かった。まさか、一年後に世界が激変するとは。

今朝はそんなことを思い出し、空を眺めていると、どこからか鳥の声がした。雀だけでない。何種類か鳥の音がハミングして、それが、いつまでも続く。不思議なことだが、都心の渋谷にも自然はある。アリゾナから帰国したとき、そんな渋谷の朝に気づき、生物の息吹があると知って感動したが、今朝また、そのことも思い出し、心が豊かになった。心を向ければ、聞こえなかった鳥の音が聞こえる。私たちのコロナ禍な生活も、心をどこに向けるかが、本当に大切だと日々感じている。

先月、わが家には訃報の知らせが毎週一回、入ってきた。
うち2つは、昨日まで元気にしていた人が、突然召された連絡だ。

その1つが、小学六年生の死である。

お母さまから「一昨日召されました」と頂き、「こういう状況下なので」と、Zoomによるライブ配信葬儀の案内を受けた。

べべ(仮称:うちの娘)ちゃんの誕生日に、うちの息子と遊んでくださったお子さんへ、良かったら連絡してほしい」と言われ、私が連絡したところ、一度しか遊んでいないのに、「参列します」と返答くださった方々がいた。皆、母親だから、その辛さが痛いほど分かる。

彼女の息子は、ある日具合が悪くなって、何度か吐き、母親は病院へ行こうかと考えたものの、息子に熱はなく、今はコロナだから、病院へ行く方が危険と考え、様子を見ようとなった。

彼は、「吐いたら楽になった」と言って眠ったので、母親もその傍らで休んだ。

翌朝、なかなか起きてこず、よく眠っているな、と母親が思っていたら、子どもの身体が冷たくなっていた、ということだ。
(※結局、検査の結果コロナ陰性であり、死因は不明であった)

これを、悲劇と言わずして、何と言おう。葬儀で、自分をひどく責めた、と母親が言っていたが、誰が責められよう?寝たら子供をそのまま休ませるのは、おそらく、すべての母親が考える判断だ。

私は、どう動けばいいかわからず、近しい数人へ連絡をすると、皆で、ただ、彼女と家族のことを祈るほかなかった。

葬儀後、東京の空には虹が見えた、と彼女が写真を送ってきてくれた。

そして、北海道で葬儀に参列した人からも、北海道に虹がかかっている、と送ってきてくれた写真を転送してくれた。

葬儀後、彼女に、日常が戻ってくる。
息子の不在を、毎日の生活で受け入れていかねばならない。
これからが、正念場だ。

彼女は、そして、子供たちや、ご主人はどうしているだろうか。
心配でならなかった。

それが、葬儀後数日して、Zoomのオンライン祈り会の場に、彼女が参加してきれくれた。
まさか画面に出てくるとは思わなかった。

息子は天国でいま、安らいでいる。また必ず再会できる

そのように希望に満ちている彼女の顔に、やつれきった様子はなく、むしろ、綺麗で輝いているようにすら、見えた。

奇跡だ・・・。
むしろ私の方が、その顔を見て、泣けた。

「死ぬのが怖い、という大人や子どもたちに、メッセージがすごくいいので、ぜひ見てほしい」と、彼女が葬儀の模様を配信したものをYouTubeに上げた。現在、限定公開中だ。

死はけして、終わりではない。

ドイツ人の宣教師、故ベックさんのメッセージも、麗澤大学社会人講座(2014/01/24)で、このテーマについて語っている。動画を読む時間がない方は、ぜひご一読あれ。