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Sakurako,a business working woman who live in Shibuya,Tokyo.

祝!渡辺謙さん最優秀助演男優賞 By Fukushima50

今日は大学生と知り合った。
コロナになると「新しい出会いがないよねー」と言われるが、人間動けば出会いはあるものである。今日は早稲田大学の一年生と、青山学院大学の四年生と出会った。


 今日は私用で渋谷区鶯谷町にる乗泉寺へ初めて足を踏み入れたが、そこで彼らと偶然出会って、タイトルにある「3月27日の東日本大震災を学ぶイベント(対象は小中学生とその親、時間は10時から15時半まで)」に来ませんか、と誘われたのだ。

 出会った早稲田の学生が、コロナ禍で入学した男子だったので、私の興味は途端に、どうやってこの一年過ごしたか、という質問へ変わってしまった。彼は、サークルのオンラインイベントがあったので、と聞いている限りでは、報道でよく言われた“新大学一年生は友達出来ずに大変”といった悲壮感がまるでなかった。・・・リアルな声は大事である。

 で、彼になぜ東日本大震災のイベントをするのか、と聞いたら、「僕らが小学生の時に味わった体験を、今の小学生に伝えたい。今の小学生は東日本大震災を知らないから」ということだった。

ちょっとまって。

「今どきの小学生は良く知っているよ!NHKで放映された映像も、学校の授業で事前に視聴していたし、黙とうも学校で行われたよ」

と伝えたら、「え?ホントですか?!」と大学生は驚いていた。リアルな声は大事である。事前リサーチは重要だよ。

とはいえ、大学生にそこを求めるのは難しい。そもそも、このようなイベントを無償でやろうする、その心意気だけでうれしい。若さと時間は大人にはない。日々の生活に追われ、他人を思いやる時間がどんどんなくなっていくのだ。

「Fukushima50(福島フィフティー)観た?あれ、観ていたら、案外、大人の方が、東日本大震災のことを忘れているような気がしちゃった」

そう言ったら、学生はまた驚いていた。「なんですか、それ?」

Fukushima50は、佐藤浩市と渡辺謙の名演による、東日本大震災時の福島第一原発の対応の実話に近い映画であり、フィフティーとは、死の淵に立った東電約50名の作業員たちを指しており、この映画はいかにして原発の爆発を抑えようとしたか、というサラリーマンたちの戦うドラマである。

ほら、案外大人の方が知っているようで、知らないと思わない?
東日本大震災を理解するのに、Fukushima50はとてもよくできていた映画だと思う。私は渡辺謙もよかったが、佐藤浩市の演技にも心打たれた。

良かったら映画も、イベントも、東日本大震災を知る機会として、お時間があればぜひのぞいてみてほしい。
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【イベント情報】知ってる?3.11~マンガを描いて東日本大震災を学ぼう~ 

3月27日(土)午前の部:10時から12時/午後の部:13時半から15時半まで
場所:乗泉寺(渋谷区南口徒歩10分)
対象:小中学生とその親
料金:ワンコイン(寄付)
共催:学生応援村、NPO法人FILMe*Earth、あーすりんくゆめぴっく宇宙桜グランプリ

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金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう

朝、ベランダから落とし物をした。娘の学校のプリントだ。

正確には、登校していく娘に対してベランダから、「忘れ物ー!」と声をかけ、
マンションから、プリントを静かに落としたわけだが、
ひらひらひら、と風に舞って、娘の手元に届かず、隣の敷地内に落下してしまった。

落ち着いて考えれば、プリント用紙をたとえクリアファイルに挟んだとはいえ、
垂直落下させる重さとしては不十分だった。

風に流されることは予測できたはずなのに、なぜ私は下に降りて娘に届けなかったのか。
それは、そもそも娘が登校時間ギリギリで、家を出たからである。
下に降りていけば、娘は遅刻する気がした。
だから私は時間短縮のために落としたわけだが、大失敗だ!最悪である。

娘はそのまま学校にいってしまった。

自分のバカさ加減とおっちょこちょいは自覚しつつも、プリント落下の任を受け、失敗した夫にも火の粉は飛んだ。
なんで、落とすのよ!と怒鳴ったかどうか忘れた。
ともかくまずは、愚かなことを頼んだ妻を静止してもらいたかったが、寝起きで判断の余地がなかったか。

そもそも、なぜ夫はいつも朝が遅いのだろう。
どうして私は毎朝、娘を学校へ送り出すことに、こんなに苦労しているのだろう。
私は猛烈な後悔と反省のエネルギーの勢いで、脱兎のごとく、隣のビルに駆け込んだ。
トラブルは早く解消するに限る。

守衛さんに、落とし物を告げると、その敷地に入る権限が自分にはない、と言う。代わりに、その権限があるという“監督”に依頼しよう、ということになり、朝から一緒に監督を探した。

「さっき、朝の挨拶に来てくれたから、その辺に居ると思うんだけど・・・」

二人で一緒に隣のビルをゆっくり歩く。「おーい、監督さん知らない?」付近の男性に声をかける。
「あ、いたいた!」

ちょうど、向こうから“監督”が歩いてきた。遠くでよく見えない。なのに、間髪入れず、守衛さんは私に言った。
「いい男でしょ?!」

予想外の声がけに私は思わず噴き出した。正直、マスクで全く顔が見えない。が否定する必要もなく、笑いながら頷いた。

近距離にくると、監督は確かに人の好い顔をしており、頼みごとに快諾してくれた。
私は礼を言い、拾ったら電話をもらうことになったので、いったん家に帰ることにした。

家に戻ると、陽だまりの中で夫は新聞を読んでいた。
「あった?」

私は事の顛末を話し、拾ってもらったら何かお礼した方がいいか相談した。

本来なら気にしなくても良いはずだが、何かしてあげたい思いに駆られていた。
すると、「いつも(ビルの大音響には)迷惑をかけられているから、お礼でいいよ」と助言された。

確かに。だが、今回協力してくれるのは、ビルのオーナーでなく、雇われた人達である。
私は、守衛さんが、自分の父のように思えた。
もし父が誰かに親切にして、お礼やちょっとした物をもらったら、その家族はうれしく思うだろう。
だから、何かあげることにした。

しかし、何を?!

結局、柿ピーと聖書の言葉を送ることにした。食べ物は食べたらなくなるが、聖書の言葉は私が出来る唯一の贈り物である。「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう(聖書)」の心境である。

その後、どきどきしつつも、おずおずと手渡ししたら、思いのほか、満面の笑みで受け取っていただいて、大変、喜んでいただいた。そして、監督さんの分も後で渡す、と言われた。きっと、監督さんも後で笑ってくれるに違いない。

私は嬉しかった。

在宅勤務が続き、人との触れ合いが一切ない日常で、この小さな交流が楽しかった。
プリントの落とし物がきっかけで、朝から笑えるなんて、今日はおかしい日じゃないか!

最悪が、最高になった。
かくもあてにならない感情である。

ニューノーマルの日曜日 #オンライン礼拝

長年、日曜日といえば教会に行く。これが、私の生活様式だった。
これが、コロナで、教会自体「集えない場所」となった。
そこで生まれたのが、「オンライン礼拝」だ。

大半の日本人は、教会に行く習慣などないだろう。
友達に話したら、「ああ、そっかー、そういうことが起こるんだ!」と驚かれた。

日本人にはマイナーな教会でも、日本にクリスチャンは意外と生息している。
私はYouTubeで全国各地の教会が熱心にオンライン礼拝を立ち上げるさまを見て、それを知った。

そして、このパンデミックは、教会に属していた私たちクリスチャンを、ある意味で、目を覚まさせた。それは、私たちが、

教会に属しているのではなく、神さまに属している、

という真実だ。

悲しいかな、人の群れは、時として派閥をつくる。
次第にそれが、“自分の群れ以外は認められない感じ”を教会間に生み出していた。
「あの人は〇〇(の礼拝)へ行った」という話を、私の教会でもよく聞いていた。
私は教会での人間関係にあまりかかわっていなかったので、傷を負うことはなかったが、
教会を自分のからだのように、大切に、大切に、思っていた人ほど、その傷は大きかった。

それが、コロナによって、
「まず大切なことは、お前とわたし(神さま)の関係だ」
と、神が明らかにした。

実際、私たちは各々、改めて教会と自分の関係を見直すことになった。
残る者、他所の教会にいく者、家族だけの礼拝に切り替える者。私見では、それで、よかったように思う。
結局、その人の信仰を判断する資格は、私たちに一切なく、神が判断するからだ。

「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」(Ⅰコリント12:27)

私たちが、バラバラであっても、神さまから見たら、器官となって、ひとつの身体を作っている。
それでも、群れは群れで大事だ。

「鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。」箴言27:17

しかしこれもまた、同じ教会でなくとも、解決されることが分かった。
物理的に離れていて、同じ所へ通えないことも多い中で、手を伸ばせば、友はすぐそばにいることも分かった。
「オンライン」で、会えるのだ。

ニューヨークでも、ドイツでも、和光でも、新座でも、友はすぐそこにいるのである。

2021年の幕開けは死と共に

新しい一年が始まり、お正月の三が日は、空がよく晴れていた。 「お正月らしいね」と、私は夫に話しかけながら、近所の慣れた道を一緒に歩いた。 今年は、日本の誰もが海外に行かず、静かに過ごす、稀有な年末年始。 世界の大波乱をみればみるほど、空がまぶしく、自然の美しさは際立って見える。 青い空だけは、昨日も、今日も、いつまでも同じ。 空を見るたびいつも思い出すことは、神様は、善人にも悪人にも等しく天の恵みを降り注ぐ、という事実。 そんなことを考える一方で、私の心は鬱屈とした思いを抱えていた。 あんなに友と祈りあって神様を身近に感じていたのに、年末になって祈る機会が減ったせいか、あるいは肉体の疲れか、どうともいえない不満が、山ほどこみあげてきて、私の心は最悪であった。 だが、そんな私を起こすかのように、年明けに、目を覚ましなさい、という連絡がいくつも入ってきた。ポツリ、ポツリ、と訃報の知らせを受けたのだ。 ・去年入院し、いつ亡くなっても不思議ではない、と言っていた、友達のお父さん。 ・私の結婚式で、来客用のクッキーを焼いてくださった井之頭公園のT夫人。 ・バンコクで知り合って以来、家族ぐるみで仲良くしてくれたMさん。 人の死は、私たちの生き方を問うものである。 死に直面すると、すべての不満が、吹っ飛んでいく。 人間だれしも死ぬ、と分かっているのに、誰もが死を、それはまだもう少し先の話、と捉えている。だから、急にそれが目の前に飛んでくると、死が輪郭を帯びて私たちに迫ってくる。 “あなたは、今を大事に生きてますか?” 故人との思い出は、走馬灯のように蘇る。残された私たちが、故人を失って最も苦しくなるのは、“あの頃には、もう二度と戻れない”、と認識した瞬間だ。 真っ逆さまに、奈落の底に落ちる。共に過ごした時間を、一緒に笑い、語り合う相手は、もう隣にいない。喉元をかきむしられるような、深い痛みがそこにある。 私にとって家族ぐるみで仲良くしてくれたMさんの死は特に、私にとって辛かった。 知らせを受けた夜、ベッドで寝られるつもりだったが、入ると彼の顔や声が聞こえてきて、瞼がじんわりと重たくなってくる。 仕方がないので、リビングにいる夫に頼み、背中をさすってもらい、しばらくそばにいてもらう。 その夜、夢の中で誰かが出てきて、私は、「助けて」、と一生懸命に声を出すが、声が出ない。 声を出さないと死ぬ、と思って、絞り出すように「助けて、、、」と言ったとたん、夫が私の手を握り締めた。 後で聞くと、なんていったかわからないけど、呻いていた、という。 そこにはもう、年末の不満はどこへやら、夫の存在に、ただ感謝であった。 私はこの人を今、神さまにとられたら本当に困る。 夫に暮れの態度をいちいち、謝ることなどしなかったが、 少なくとも、神さまが年末の態度は誤りだと私に教えていた。 死は勝利に飲み込まれた。 わたし(=神さま)の恵みはあなたに充分である。(聖書) 今年も今をしっかり生きたい。    

クリスチャン生活

「私は、神に信頼しています。それゆえ、恐れません。人が、私に何をなしえましょう」詩編56:11

コロナ後、最も大きな生活の変化は、ともかく、外に出かけなくなった。この一言に尽きる。
そして、個人的に変わった点は、神さまをぐんと好きになったことだ。

家に居ると、至る所に、神さまの香りがする。
まず玄関、そしてお手洗い。
聖書の言葉が飾ってあるから、無意識に読んでしまう。

そして、室内にあるもの。
愛する家族が立ち歩き、本や、文具が転がっていると、家庭を実感する。
これらはすべて、神様が私にくださった。

生活の中心が家になり、自宅から会議をしていると、働いていても、家族が常に頭にある。
だから、神様のことを考える。つまり、
出勤していた頃より、ずっと神様に心を向けるようになった。
それはつまり、祈りだと、友が言っていた。

10代の頃、祈る、という行為を覚えた。

祈り、とは目に見えず、まったくもって地味そのものである。
特に聖書には、「部屋の奥に入って戸を閉めて、誰にも見られないようにして祈れ」と言ったような記述がある。

つまり、

私は祈っています!と公表はせず、自分の身を低くし、努力は語らず、黒子になって、情熱を神に注ぐ。
静的で、一見すると非力にみえる、この熱量こそ祈りの本質だ。

私は、この祈る機会を、この1年、たくさんもらった。
祈り始める時、最初に神様を褒めたたえると、自分の悩みが小さくなっていくこともたくさん体験した。
創世記には、私たち人間が創られた目的に、神への賛美、がある。
だから、毎日、神様を褒めたたえることを意識して祈ると、きっと神様は喜んで、私たちは祝福されるだろう。

クリスチャンの生活。

それは、祈りに始まり、祈りに終わる。

その人がどのような1日を送っても、祈って、祈って、祈る生活。
それが、クリスチャン生活だ。

ハレルヤまんじゅう

出産祝いのお返しなのか、今日届いた小包には、ハレルヤまんじゅう、とあった。

今日は、私たち夫婦の結婚記念日!

うれしい偶然なり。渋谷スクランブルスクエアのハイトレンド系のケーキでお祝い。

買ってきてもらった夫に感謝。

ランチタイムに、一緒に祈ってくれた学生時代からの親友にも感謝。

2020年コロナ禍クリスマス会_後編

今年はコロナが猛威を奮い、毎年恒例の子供クリスマス会はどうも閃かなかった。

即座に、あたりまえじゃん!と言う声がすっ飛んできそうだが、春の一斉休校時、少なくとも私の地域では、子供間だけはやむなし、という暗黙知があり、限られた仲間内で子供たちは遊んだ。

ふだんママ友グループに属していない私は、このような交流の場を作れなかったので、この自然な流れは驚きと共にうれしい悲鳴だった。親子共々、健康で過ごすことが出来て、どれだけ地域と神さまに感謝したか、分からない。

今となっては、連日、記録更新中の、東京都コロナ感染者数増を鑑みれば、クリスマス会なし、は当然の風潮だ。が、「渋谷区の子供は感染者いない」(数か月前の談話)と医師は言ってたし、小学校は常にやっている(=子供同士は接触している)ので、何かしてあげたかった。が、ヤル気が出なかった。

思い浮かんだのは、家族のクリスマス会だ。
今年で世界が終わる、と考えたら、家族のためにやろう、と思った。

が、やっぱりコロナの影響で、開催直前に、母親がブルドーザーのように参加者へキャンセルを促していき、その通りになった。ならば会は中止、と考えたら、親は来る、という。
けれどこれもまた、開始まであと2時間で、母親から「疲れた」の連絡があり、キャンセルが決まった。そして、基礎疾患のある父親だけが、あと30分で終了、という頃に、ボルシチを持ってわが家に来た。会の終了まで、あと30分である。

一方、この家族とは別に、詳細省くが、招く予定になかった母子が来ることになり、母親からは仕事だから、子供2人を行かせたい、という。2人はとても楽しみにしているのだ、と何度も連絡が来た。

私はふだん、パーティーの場合は子供に紙コップ、が常だが、この日はノリタケのボーンチャイナのカップ&ソーサーを用意し、一人前として扱った。この子たちが、神さまの用意された大事なゲストだ、と確信したからである。

実際、それはその通りだった。

というのも、急遽、彼らのために紙芝居でクリスマスの話をしたら、末っ子が大きな声で「クリスマスって、サンタの日じゃないの?!」と目を丸くしたから、私も目を丸くした。

違うんだよ。

イエスキリストが生まれたことや、聖書に書かれていることを伝えると、今度は姉が、熱心に耳を傾けている。それどころか、「ずっと聖書が読みたいと思っていた」と言う。またもや、私は目を丸くした。

この2人の来訪が、わが家を暖かく包む。それは静かで楽しい時間になってきた。

私は、中学生の姉に対し、なるべくわかりやすく伝えるよう、努めた。聖書の言葉がスラスラ、スラスラ、口から流れてくる。暗記していないが、こういう時は川の流れのように、みことばが浮かんでくるから、不思議である。

それに対して、彼女の反応が、一つ一つ、私には面白かった。

そうだ、神さまを知らないって、こんな感じ。そうだ、神さまを信じ始めるときって、こんな感じ。

今にも彼女は、私と一緒に信じます、と言い出しそうではあったが、ひとまず、初対面だったので、話はそこそこにした。

その代わり、というわけではないが、夜になって迎えに来た母親とは、祈ることが出来た。むろん、別室で、子供たちに気づかれないよう、2人で心を天に向けた。この祈れたことも、私は大変、驚いた。その予定はなかったからだ。
けれど、よくよく考えてみると、彼女と祈ったのは2度目だったかもしれない。初めて彼女に聖書の話をしたのは、たしか3年前だったか。なぜか、イエスキリストの話をしていたのを覚えている。

クリスマス会に、神さまを信じ始めたような人たちに会える、というのはどういうことだろう。

たぶん、とてつもなく、うれしい出来事だ。

そうして、わが家の小さなクリスマス会は、終わった。

終了後は、例年同様、色んな事が続いて、神さまを信じるのが嫌になるくらい、ぐったり疲れて落ち込んだ。
が、このことも、私には必要な落ち込みだったのかもしれない。(傲慢にならないため)

やっぱり、クリスマス会は毎年、大変。
それでも、毎年、いつもやってよかった、と思う。
そうして、来年は絶対に(苦労を胸に)やらないぞ、といつも心に誓うのに、なぜだか、やってしまうのが、私のクリスマス会である。