日別アーカイブ: 2010年1月25日

おデブくん

タイトルを「デブ男(デブオ)」にしようかと思ったが、
それじゃあまりにも愛がないので「おデブくん」にした。

男友達の、とても太っている人の話。

いわゆる「太っている」と言ったって、「ぽっちゃりでしょ?」って?
No,no…そうではなく、肥満である。

初めて出会った時は私は彼の肥満に対して何も気にしていなかったのだが、
すこしづつ付き合いが長くなるにつれ、私は気にするようになった。

なぜならば、

一緒に食事をするとき、いつも小鳥のえさ、なのである。

お腹がすかない、と言った。

だけど、彼に合わせていると、今度は私がお腹がすいてしまう。

何回か話したり、仲良くなるにつれて、私はある日、ちょっとは食べてほしいと思ったので、
目の前のものを食べてほしいと伝えたら、

20秒。

・・・・目の前にあるお肉(ステーキ風)をぺろりと平らげた時間がそれである。

「食べろと言われたら、すぐ完食できるんです。だから、僕、ゆっくり食べているんです」

なるほど。では、なぜ小食?

「一度食べるのに火がつくと、そちらに集中し、人の話をきかなくなるからです」

なるほど。

私はさっきまで小鳥だった人が一気に鷹になった驚きと今までは遠慮していたという発見に
大笑いして、食事を薦めた。

そして、私はその人が自分の体型をなんとも思っていないことに気づいたから、
ダイエットを薦めた。

たいてい、ダイエット、というとモテなどの格好良くなる要素として
私たちの世代的には薦めるものであるが、彼の場合、生死がかかっている。
今のままだと、マジやばいです。

それで、この間、体重を聞いたら
「100kgいかないかどうか心配(本人談)」と言っていた。
身長は確か170cm未満だったように思う。

ユニクロのXLが入らない、と聞いた時はさすがにたまげた。

おっと、話がとてもなかなか本題にいかないが
今日は肥満を責めたいのではない。

私はそんな彼がちっともそれを気にしないことを褒め称えたく、
なおかつ、先日、こんなことを私に言ったという話をしたいのである。

帰ってきたエズメラルデイロ(2)

ずっと前にメールマガジンでコラムを担当していた頃、
ニューヨークで知り合った「K」という、エズメラルデイロ(エメラルド王)を
目指してブラジル行きを目指している男の子の話を書いた。

ニューヨーククリスマス物語予告編,本編 
続ニューヨーク物語「帰ってきたエズメラルデーロ」 )

その時、読者からメールやコメントを頂戴し、
当時の方が今もこれを追っかけている・・・とは思えないが、
最近、4年ぶりに彼と再会したので、その話を綴る。

私のブログは生きているので、他人の人生も刻々と変わっていく。

なお、再会したのではなく、偶然とある場所でばったり会ったのだ。

そのとき、噂ではフランスから帰ってきたとか話は聞いていた。
だが、生を見たのはその時が初めてだった。
彼がいることに気が付きつつも、再会がどうも照れ臭かったので、
他人のフリをしようと思っていた。
だが、Kが来ている、とお節介な周囲に呼び止められ、仕方なく顔を合わせた。

「へ、へ、へ(笑)」

という彼の調子はまったく変わっていなかったが、
外見が、おそろしく、、、変わった。

一応、久しぶりなので遠慮がちに「まともになったね」と言ったが、
彼は気に留めないふうだったので、さらに思っていることを、そのまんま口にした。

「ヤンキーじゃなくなったんだね。少しは大人になった」

軽く足蹴りされた。・・・素行はまだ昔のままらしい。

と、今気づいたのだけど。。。emoji125.gif

万が一にKがこれを読んだらまずいので、一応デフォルメと言っておく。
(もしKを知っている人がいたら、詳しいことは彼に聞いてください)

だけどさ。

いいかなー?書いていいかなー?怒るかなー?

本当に、彼の外見が穏やかになっていて、
普通の人になったことには、大きな、大きな、驚きなのである。

その昔、ニューヨークで会った時には目が野生化していたし、

彼と新宿で待ち合せしたときなんか、「ホストに間違えられた」と来る途中に
二度もスカウトされた話を聞いて、私は彼と並んで歩くのはやだ、と思った。
(今だから言う。ごめんよ、K)

で、話を戻す。

すっかり、外見が変わった彼が、話の流れでうちにきてご飯を食べることになった。

私はすっかり忘れていたのだが、Kは私の父にも会ったことがあって、
父はKを見るなり、初対面スマイルをした。

「・・・お父さん、Kだよ」

父はしばし黙ってしまった。(頭の中で考えたのだろう)
大仰天、そりゃそうだ。顔に切り傷(喧嘩してついた?)もないし、
第一、彼ってばもう一児の親にもなったのだ。

「とはいっても、ずいぶん変わったよね?何があったの?」

父がそう尋ねると、彼は言った。
昨年の暮れに心の底から神様を信じるようになり考え方が変わったのだと。

そして、それが外見になって表面化したのだろう。

父はKの変貌ぶりにすっかり感動して、応接間を嬉々として飛び出したかと思うと、
すぐさま新しいワインボトルを片手に「祝杯をあげよう!」と戻ってきた。

「はい」とKは素直に応じたが、確かお酒もやめたと私には言っていた。
(・・・昔は相当なワルだったんだろうね・・・。よく知らないけど。)

やんわり止めようとしたら、「まあ、いいよ」と小声で私を制し、
誰にもそれを告げぬまま、つがれるままに応じていた。

そして父は、と言えば、大変な喜び様でワイングラスを傾けながら、
彼を相手にクリスチャンの先輩としての心得をとくとくと語っていた。
Kはただ、「はい」「はい」と頷きながら、父に合わせてお酒を飲んでいた。

その様子を見ながら、

放蕩息子が帰ってくるとこんな風にして父親は歓迎するのだなと、
私はルカの福音書を思い出していた。