恵比寿の月夕堂でフランス料理のランチ。
今月初めてパリに足を運んでから、フランスと聞くと街の情景が浮かんで、
物の見方や感じ方がすこし変わりました。
ソースが美味
それで、頂いている最中に、そうそうフランス料理だった、と思い出しました。
ご馳走様でしたm(__)m
恵比寿の月夕堂でフランス料理のランチ。
今月初めてパリに足を運んでから、フランスと聞くと街の情景が浮かんで、
物の見方や感じ方がすこし変わりました。
ソースが美味
それで、頂いている最中に、そうそうフランス料理だった、と思い出しました。
ご馳走様でしたm(__)m
人生で、最も大事なことは何か?
という問いに対して、「いのち」や「愛」を回答する人は多いと思うのですけど、
世界価値観調査さん、次回の幸福調査にはこの設問も加えてみて~。
と、クモの巣上で誰かに拾われることを期待しながら、
本題に戻る。
人生で、最も大事なことは何か?あくまで想定なのですけど、人間やっぱり、
生きてこそ
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生きてこそ Alive 1993年(米) 監督: フランク・マーシャル
脚本: ジョン・パトリック・シャンレー/ピアズ=ポール・リード(原作)
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だと思うので、『人生で一番大切なこと』を問われれば、
冒頭の答えが多いと私は予測する。
だが、とかく外に出て会社員をしていると、
人生で一番大切なことを忘れがちである。
先日、私の友達(年収数千万クラスのビジネスマン)が
日経新聞のニュースについて
「12月の失業率5.1%、日本郵便最終赤字、という情報より、
水芭蕉の花が咲きました、というニュースを俺は知りたい!」
と吠えていた。
「そういうことの方が大事なんだよ。そう思わない?」
と聞かれた。
が、私、うん、と同意できず・・・。
むしろ、こう思った。
情報をがむしゃらにストックして努力しないと労働社会から取り残される。
花よりも社会情勢の方が私にとっては価値がある。
頭のいい人だから、そんな余裕あることが言えるんだな~
と5%ぐらい怨めしくも思った。
だけど、そのあと、よ~く考えてみたら
彼の言う通りかも、と気づいた。
それは突き詰めると、人生で大事なのは?
という最初の問いに戻るからである。
日々の優先事項を、情報収集に奔走しがちなのだけど、
心の有り様に心を配ることは、実は情報収集以上に非常に大事・・・
だ、と断言しよう。
ダラダラつづく禿頁廃
退屈でおぞましい世界
生きているという充足感を得たいと強く思って生きている
日常のしがらみに耐えきれない
日常というものは、ある種の人間にとっては凶器のように自分を脅迫するものなんですね。
狂うことができればその日常からはるかかなたに逃れることができ、
日常そのものとの関係を断ち切ることが可能なのだけれども、
狂えない者はどうすればいいのかな、と私は思います。
ここ2週間ばかり、熱や風邪で体調を崩している私。
身体が弱ると、気力も衰えてくるわけで、
近頃、読んだ本のタイトルは、
「なんのために生きているんだろう?」(文・こんのひとみ)
「きみが選んだ死刑のスイッチ」(著・森達也)。
私、三十過ぎて、一社会人として働いて、
聖書にも出会った(=人生の真理に触れた)というのに、
いまだに、
なんのために生きているんだろう、とか
人はしょせん死ぬのに何かを目指すのはナゼだろう、などと
考えても仕方がない(=命を断ち切れるわけでもない)
ことに思いを巡らせては、生きる希望が見い出せないでいる。
こういう悩みは、せいぜい思春期で終えるべきものであって、
私はとうの昔に考え尽くしたはずだったが、内館牧子著の
「エイジハラスメント」のせいで、再び疑問の芽が出てしまった。
このフィクションは、30代の独身女性が、いたるところで男性から
“異性としてみた場合アナタは無価値だよ”と揶揄されることで
やたらに自己卑下する物語である。
「この主人公の考え方って、異常・・・」
と、他人事で読んでいたつもりが、気がついたらこの価値観に毒された。
やはり、読むべき本はよく選ぶべきだが、時すでに遅し。
私は同じように独身である自分が、
老いてくこの先生きて、何の意味があるのか、と思った。
それで、話は冒頭に戻る。
悩む自分は、恵まれているからだ
(=生活に余裕がある、明日のパンに悩んでいないから悩める)
と反省した。
が、悩んでしまうものは仕方ないので
「なんのために生きているんだろう?」(文・こんのひとみ)を開いたところ、
“生きるというのはそれだけでいい”といのちの電話番号が紹介されていた。
なるほど、たしかに、
と思ったけど、
今日、私は気がついた。内心はそう思っていないことを。
とくに、自分に関しては何かを達成しないと生きる価値がない、
と思い込んで、自分自身を見つめていた。
それは、フィギュアスケート男子の部で織田信成が演技を中断したときだった。
靴紐が切れて、演技のやり直しを命ぜられたとき、私は思った。
メダル獲得はもう無理だから滑る意味はない・・・。
だが、織田は時間以内に靴紐を縛り直して、演技を再開した。
周りの観客は、アクシデントを乗り越えて、力強い演技をした織田に感動し、
私も感動した。
そして、
滑る意味はない、と思ったくせに、もしも自分が織田だったら、
同じように必死に演技をするだろうと思った。
そのとき、メダルのことなんかより、ただ、ただ、立ち上がるのみである。
それで私はハッとした。
人生も同じなのではないだろうかと。
やりつくす、ということが大切だし、
どんな場面においても、全力を尽くすという心は、
人として失ってはならないのではないだろうか?
してみると、私はさながら、
神様から見てオリンピック選手のフィギュアスケーターで、
人生はリンク場だと。
順位が何位であろうとも、
私は今の時代に生き、存在し、スケートリンクで躍っている。
私がすべきことは、与えられた時間の中で、踊りつづけることである。
観客席に神様がいる。
そうして一生懸命に生き抜いたら、織田が拍手喝采で迎えられたように、
私も神様から拍手喝采で迎えられるのではないだろうか。
そして、それが天国という場所ではないだろうか。
私たちは死の寸前まで、生き抜くという姿勢を試されているのである。
生き抜かなくてはなるまい。
昨日アップしてみた絵日記に触発されて、
昨日の出来事を家に帰ってから描いてみた。
時計を見たら1時半だった。
こんなことをしていて、(時間の)ムダか?とも思うけど、
楽しかった。
カツマーさんからは、こんなことより収入増の資格取得を推奨されるだろうけど、
私にはこういう(無駄と思える)のんびりした時間を過ごすことが何より楽しかったり、
ほっとする。
というわけで、本日の絵日記へGO!
次は、罫線が入った画用紙でなく、まっさらの紙に書くことにしよう。
もうちょっとペンも選ばなくては。
今日はちょっと恥ずかしい日記・・・。
欧州から帰ってきて、ぐったり疲れた私は、
「もう当分、飛行機(の旅)はしなくていいな・・・」などと
旅の達人風な気持ちで成田空港から帰宅した。
すると、自宅の部屋の机の上に、白い画用紙が一枚置いてあった。
ゴミかと思って裏返したら、そこには絵が描いてあった。
なんと、私が高校3年から大学に進学するときに、
誰に見せるともなく書いた絵日記。
家人が私の留守中、机の上に置いたと思われるが・・・
読んでみると、は、恥ずかしい!!!
しかも、テーマは 「ビバJRの旅」!!!
この頃から、VIVA!(ビバ)って言葉が好きだったんだ~と思いつつ、
マンガを見てみたら、こんなに旅が好きだった自分を発見。
神様、もう飛行機はいい、なんてナマ(意気)言って、ごめん。
というわけで、
一緒にカナリ恥ずかしい日記を見てみましょう♪
Start ↓
マンモス、とか
いま読むと、ほんと顔から火が出そうなくらい、
古くて恥ずかしいギャグ。
だけど、つい載せてしまう私。
だって、記念モノだもん♪
そろそろ、ここで小ネタを一つ。
オランダへ出発する数日前、私は某役員から呼び出され、
オランダフードバレー視察団の添乗員である旨を告げられた。
「桜子ちゃん、今回はあなたには添乗員をして頂くからね♪」
「(@@)えーーーーーーっ!?」
数日前、オランダでフリータイムはあるかと知り合いに
のん気な問い合わせをしたばかりだった。
よく分からないから、集団の一番後ろを歩いていればいいとさえ思っていた。
それが、いきなり先頭ですか!?
手渡されたファイル一式を開くと、全参加者のリストと
詳細な日程表に加えて、旅行代理店業界の用語が混じった
英語書類が目に飛び込んできた。
役員は言う。
「だからね、お願いだから、家に帰ったらすぐこの書類と一緒に
パスポートを入れて仕舞ってちょうだいね!」
「私の知人でパスポートを忘れて乗れなかった方がいるから」
それって
昔、パスポートを忘れて海外旅行しそこなった過去がありますが。
「全員分の食事券も入っているから、それは必ず現地で渡してね」
・・・ということは、私がこれを紛失すると、全員が路頭に迷う?
私は言った。
「・・・こう見えてドジなんですけど。。。」
パスポートのみならず、
昨年は飛行機に乗り遅れたという人に言いたくない過去も暴露して、
この大役を降りられないかと打診したが、
「頑張ってね」のお返事。
よよよよよ。
渡されたeチケットには、名前にTCと書いてある。見たことがない。
「なんですか、これ?」
聞けばツアコンの英語表記だという。それはつまり、グランドホステスからも
正真正銘のツアコンだとみなされる、ということである。
ええーーーーー!!
かくして、すっかり緊張の面持ちで本視察へ旅立ったのである。
そして、アムステルダムのホテルオークラについてから、色々あったのだが
(ツアコンの人はツアーの人たちより1クラス下のお部屋といわれた等)
それを書くと話が長くなるので、今日はこの辺で。
しかし、おかげさまでにわか添乗員になったことは、また一つ、
よい人生/社会勉強をさせていただいたとおもう。m(__)m
朝早く、世界最大の花市場のセリを見に出かけました。
Flora Holland
非常に多くの花がこの花市場を通って欧州で流通するのだそうです。
バイヤーによる値づけ(ものすごい早さで価格決定がなされる)
昔のやり方(花がどんどんケースに乗って運ばれる)
最新のやり方(花の画像がパソコン画面上に載っている)
最新式のシステムでは、遠隔地からの注文も可能だそう。
このシステムは非常によく出来ているそうで、
日本でも一部導入を検討しているところがあるとか、ないとか。
Dr.Charon Zondervan
“Restaurant of Future”の取り組みについて
食のアンケートをとると、「美味しい」「必ず買う」と回答する人が必ずしもその商品を購入するとは限らない、というデータが出ている。
つまり、アンケート結果はイコール消費者の真の声ではない、本当にアンケート結果の通りであるなら商品は売れるはず、というメーカーの嘆きの声を受けて、アンケート回答に依存する形ではなく、実際に商品を食べる時の消費者の顔や態度はどうなのか、美味しいと言いながら美味しそうにしているかなど、実験レストランでモニターして消費者の真の声を拾う試みをしているのが、レストラン・オブ・フューチャー、のようである。
こういった形式のレストランはこのオランダが世界で初めてにて、2007年に開設、具体的な取り組みが始まったのはつい最近のことだそう。
実験レストラン。左写真、天井に備え付けモニターカメラが見える。右、照明装置。
どんな照明の下で食べると良いか、など実験内容によって色や明暗を変えることが出来る。
参加者による集合写真(個人情報保護的に小さめで)
トマトワールド視察
Tomato world
Tommy’s サカタの種苗が元で急成長。
本当はアムステルダムの街を歩く、というタイトルにしたかったのですけど、
通信会社に勤める者らしく、AmsterdamのApple Mac店というタイトルにしました。
色とりどりのスタンド。
お花屋さんとかにしん?屋さんとか。
アンネフランクの家(※冬の旅さんがコメントくれたので行きました)
ゴッホ美術館(※オーディオ借りて、非常にエンジョイしました)