月別アーカイブ: 2009年6月

交通事故

交通事故に遭った。

 

近所で買い物を済ませて自転車を漕いでいたら、
目の前で同じく自転車を走らせていた女性が急停止して、
よけきれなかった。
私は、彼女の自転車後輪に、勢いよくぶつかった。

 

ゴムマリが跳ねるがごとく、

ドンっと一瞬跳ねて、

ハンドルを握ったまま、真横に倒れた(ような気がする)。

 

“事故に遭った瞬間はスローモーションのようになるよ”

 

という話は本当で、倒れた瞬間に尾?骨を打撲した私は
『しまった、このままではやられる』と思った通りにやられた。
一番心配していた頭をコンクリートの地面に打ちつけたのである。

 

 

 

ゴチン、という音がした。

 

 

 

ヤバイ。

 

 

 

突然の事故に私は思考が停止してしまい、
倒れた後も人形のようにハンドルを握ったまま固まっていたら、
ぶつかった人が大丈夫かと駆け寄ってきたばかりでなく、
衝突音がひどかったのか、路面店(蕎麦屋)からも人が出てきて、
私の頭上で、おじさんやおばさんのワイワイ騒ぐ声が聞こえた。

大丈夫か、とか、子供がぶつかったかと思った、とか。

 

うっすらぶつかった人を見たら、
そばには中学1年生(推定)の男の子がいて、親子だとわかった。
相手は倒れていなかった。

 

倒れながら、今日はズボンを穿いててよかったと思った。

 

周囲が一生懸命に身体を起こそうと私の両脇を捕まえる。
身体が痛かった私はしばらく寝かせてくれ、と内心訴えていたのだが、
ふとここで自分が起きないと全員この場から立ち去れないという、
I am 主人公状態に気がついて、やむなく起き上がる決心をした。
正直言って立ち上がった時はくらくらした。
だけど私が落ち込んでると空気が悪いので、大丈夫ですよ、と言った。

ぶつかった女性がすまなそうにする姿を見て、
こういう事故ではむやみに謝っちゃいけないんだよなあ、
と思いながらも、「いや、たぶん、私が悪いです・・・」と小さい声で言った。

 

あとで、その話を知りあいに言ったら、
「すぐいい子ぶるんだから。バカ」
と怒鳴られた。

話は脱線するが、いい子ぶったのではなく、
自転車は自転車道があるわけではないから、ぶつかった私が悪い気がした。
謝るのはやっぱりバカだったろうか。そうだよな、やっぱりバカかな。

 

話を戻す。

 

結局、起こされた私は、女の人に「何かあったら連絡を」と紙を渡され、
「いらないですよ」「私が悪いとおもう・・・」などと言って、お互いにイエイエ、
などと押し問答をしていたら、騒動をみていたおじさんが仲介に入って、
「あんたも名前を言いなさい」だの、
「その紙、もらっといた方がええ。何があるかわからないからね」
というので、私はそうですか、と言ってそれをもらった。

 

世の中というのはこういう親切な人で成り立っているな、などと思いながら、
なんだかんだで家に帰ったら、その夜、熱が出た。
その場で救急車を呼ぶ機転がなかったことを少し悔やみながら、死ぬことを考えた。

日ごろ神様へ早く天国へ行きたい、と訴えている身としては、
助けてください、とは絶対に言えない。
なるようになれ、と、思った。 (=都合良く言うと、委ねる)

 

 

一応、親が悲しんだら困ると思ったので、わが人生に悔いなし、と遺言を伝えたら、
「そうね、(あなたは)確かにそうだと思うわ」と母親にカラリと返された。

 

 

それから数日だるかったり歩行困難が続いているが、どうやら大丈夫な模様。
いや、びっくりした。

(というわけで、もう大丈夫です。ご心配なく)

 

追伸:それでこの日記の一週間後にでも脳溢血で倒れたとしたらそれもドラマな気がするのですが、その場合はもちろん、わが人生に悔いなし、で(笑)。

先月のアクセスランキング

「いつも喜んでみよう」という題にそぐわず日々憂う桜子です。

 だったら君には彼(彼女)を与えよう

と神様が思ってくれたのかわかりませんが、不思議と人生の折々で必要な助け手が与えられている私ではあります。

現在、ブログ構築を無償で( ̄□ ̄)!)対応してくださっているわがsakurako.cc管理人さんもその一人、だったりします。

彼は断れない性格なのか、可哀そうなことに気がついたら相当私に巻き込まれており、あろうことか、先月のアクセスランキングまで勝手に作ってくれていました。
もう、人が良すぎるよ…。本当にありがとうございます。

結果上位3位
※個人的には意外でした。

VIVA!桜子のワンセグを学ぼう(1)

Q:ワンセグとは?

A:1segment broadcasting。
  携帯を主な受信対象機器とするISDB-T(地上デジタルテレビジョン放送)。
  ISDB=Integrated Services Digital Broadcasting。
  
日本の地上デジタル放送方式(ISDB-T)は、1つのチャンネルが13のセグメントに分割され、これらを束ねて映像・データ・音声等を送信している。
ハイビジョン放送(HDTV:NHK放送技術研究所が開発した高精細テレビ)を実現するためには12セグメントが必要だが、通常画質放送(SDTV)は4セグメントですむ。このセグメントのうち1つを移動体向け放送にして放送されているのがワンセグ。

ワンセグ受信回路=アンテナ・フィルタを含むチューナー回路、OFDM復調回路、MPEG-4AVC/H.264, MPEG-2 AAC復号化回路から構成

帯域=通常放送の1/4 サイズ=320×240ピクセル(or320×120) 
映像の符号化=H.264(MPEG-4 AVC) 音声の符号化=AAC LC
静止画=JPEG、gif、アニメーションgif、
著作権保護技術 CCI(コピーコントロールインフォメーション)によるコピー制御

BML:XMLベースのデータ放送向けのページ記述言語
     
衛星デジタル放送用=ISDB-S
地上デジタル放送用=ISDB-T
地上デジタル音声放送用=ISDB-TSB
デジタルケーブルテレビ用=ISDB-C

MPEG2TS=トランスポートストリーム形式のMPEG2をインターネット上で伝送するためのソフトウェア。・システムは1台のLinux PC上で実現可。使用帯域4Mbps~6Mpbs。
IPv4/v6、IPマルチキャスト等にも対応し、TV品質並みの動画像を伝送可。
ネットワーク上で発生するパケット損失への対策として前方誤り訂正符号FECを用いた伝送を実現し、これによりパケット損失による映像/音声への影響を抑制することができる。また、IPマルチキャスト(特定のグループに対して同じ内容の情報を同時に効率よく配信すること)による映像送受信可。

ワンセグ.gif
(図の出典元:マルチワンセグメントサービス実証実験協議会

Love letter

ランチタイム、毎週火曜日は社外の女友達とごはん。

彼女が見せてくれたクリスマスカード。
090604_124419.JPG

開くと、こんなメッセージが。
090604_124358.JPG

 

なんでも週末の部屋掃除で出てきた季節はずれのクリスマスカードだった。

 

彼女いわく、

 私、大学の時には神様なんて全然信じていなかったから、
 読んだときは意味が分からなかったと思う。
 私が神様を信じるようになったのは社会人になってからなの。
 

 おじいちゃんがこんなカードを送ってくれていたってことは、
 おじいちゃんは私のことを祈ってくれていたんだね。

 

 

 

おじいちゃんの言葉は私の心をも慰める。

 

神様は信じて祈る人には必ず希望を与えてくださいます。
神様の喜ぶ人になりませう。

 

時を越えての ラブレターに二人で心を温めた。 

Have you ever got this kind of letter?

前に向かって進め

 

 

「すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み」
                                  (聖書ピリピ3:13)

 

 

神様が、過去に与えて下さった祝福、恵み、教えて下さったこと、
良くして下さったことは、決して忘れてはならない。

主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな(聖書)の通りである。

何一つ忘れてはならない。しかし、忘れるべきものがある。

過去の罪、失敗、罪責感で、今もさいなまれているなら、それは間違っている。
その罪を悔い改めたなら、神は完全に赦し、二度と思い出さないと言われる。
忘れると。完全な赦しを受け取り、前進すべきだ。

例え、失敗があったとしても、人生そのものに失敗したのではない。
誰しも失敗する。弱さゆえに必ず失敗する。失敗しない人は一人もいない。

転んでも再度立ち上がるべきだ。大切なことは失敗から学ぶことだ。
失敗から学べば良い。

信仰の父アブラハムも何度も失敗し、イサクもヤコブもモーセもダビデも失敗した。
しかし、彼らは皆、ヘブル11章の信仰の人々に名を連ねている。

モーセは自力で民を救おうとして失敗した。
荒野での40年を通して、砕かれ整えられ、出エジプトのリーダーとして素晴らしく用いられた。

ダビデも大罪を犯したが、真っ直ぐに悔い改め、赦しを受け取った。
ダビデの詩篇から受ける慰めと益は測り知れない。

私たちは赦しを受け取り、今、後ろのものを「忘れ」、前にむかって進もう。

 

 

 

 

今日読んだメルマガ。発行元は広島聖書バプテスト教会。

 

過去を忘れ、絶えず前進、あるのみ!

 

(なお、私はこの教会は全く知りません)