日別アーカイブ: 2009年6月24日

神の聖なる戒め-モーセの十戒-

かの有名なモーセの十戒。

出エジプト記20章から見てみましょう。


それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。

わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。
安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。・・あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。

あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。

(中略)それでモーセは民に言った。
「恐れてはいけません。神が来られたのはあなたがたを試みるためなのです。また、あなたがたに神への恐れが生じて、あなたがたが罪を犯さないためです。」

みなさんは、この文章を読んでどう思いますか?
古くさい(掟だ)とか、これは守れる、あれは守れないとか、自分には関係ねーや、等いろいろだと思います。

かく言う私もこの文章を知ってはいても、深く心に留めてはいませんでした。

なんですが、先日、下記本を知りまして、
1.jpg 今の時代にも有効、なモーセの十戒であると。 

世の中の絶対的な真理を教えてくれるようであります。

チョイチョイと拾い読みをしてみたところ、パンドラの箱を開けたような感じで、慌てて本を閉じました。その理由はズバリ、十戒どれも守れない、みたいな。

「盗んではならない」一見するとこの超簡単そうな掟さえ、その示す意味は深いのです。
これは窃盗のみを指すのでなく、勤務中の私用も盗みとみなすことを教えています。

個人的な電話やメール、私用印刷にコピー、プチ用事(銀行に行くとか)なども禁を犯すことにつながりますから、大変です。罪を犯している社会人がほとんど、ではないでしょうか。
 
けれど、だからこそダメな人間に依存するのではなく、全て贖ってくださる主と共に歩む大切さを聖書はこの十戒を通して教えてくださっているのだと思うのですが、
いかんせん、性格的なこともあって私の場合はなんとか掟を守ろうと躍起になって、神様に辿りつく前に疲れ果ててしまうのです。

 この本を読んだ人をググったら、若いうちに読んでおけばよかったという方がおられましたが、私などは知らなきゃよかった、のクチ。

 知ったゆえに、罪に敏感になります。それは、これすなわち、常に神様へ謝らなければならない状態になるのであって、この世を生きていくのに山のような困難を背負っていく気がします。罪の意識が生まれることにより(でもしてしまうのが人間で、だからこそ罪の代価として死なれたイエスキリストに感謝を覚えるわけですが)、自分を省みる機会がたくさん増えます。

 戒めに戒め、規則に規則、ここに少し、あそこに少し。

 
 たまに意識的に悪を試みたい気持ちになりますが、結局自発的には出来ません。
 
 
 その理由はただ一つ、

 神様が怖い。

 そう思うときに、やはり自分は理屈じゃなくて、心底神様を信じているのだなあと思います。