2月1日から住む家がない、の続き。(詳細はhttp://ニュージーランドの家探しより)
31日の朝、緊張して起きた。
パソコンを開くと、一通のメールが届いていた。
それは、それまでせっせと、わが家を見に来い、と私たちに営業してきた、Airbnbの家主エル(仮名)だった。
「コテージは安全だから、まずこちらに来て。それで、2月2日までは、わが家の1階に泊まったらどう?いいアイデアでしょう?」
詳細割愛するが、私たちは彼女の一軒家に2月2日から泊まる予約をいれていた。(31日から満室で予約不可だった)
それで、私は、これは神様から来た、と雷に打たれたように判断した。
「なんかよく分かんないけど、まずこの人に会いましょう!」
と夫に言って、荷物をすべて車に積んだ。
別れ際、それまで滞在していた家のオーナーが、ちょっと渡したいものがある、と言って、両手に、
①冷凍の羊肉(彼女の羊)
②卵8個、を持ち、
私たちの家の玄関に現れた。
感動した。
神様に見える。
後ろから後光がさすよう。
いや、嘘だけど。
前日、娘と手作りパンを差し上げたのが良かったのかな、と一瞬、私は考えた。
が、そんな下世話な自分を恥じた。
間違いなく、神様からの憐れみでしかない。
第一、滞在中に家主から「スーパーで羊の肉を買わない」と聞いていて、
「そんなラムは、いったいどんな味だろうね」と話していたから、素直にうれしかった。
そして、ここでは高額な卵も、8個(日本円で千円ほど)も頂いて、すごく助かる、と思った。
私たちは、その上、最後に、果物の木からたくさんのプラムを摘んで、「日曜になったら、教会のみんなに差し上げよう」と笑い、エルの下へわき目もふらず、車を走らせた。
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ニュージーランドの家探し~短期移住2
1月から苦しいニュージーランド生活(1~3)を書き始め、舞台はニュージーランドの家探し~短期移住へ。文章化するとミーハー臭が漂う。が、私はリアルに苦しい。そして、早く日本に帰りたい。
今朝、夫に、
「どうだろう?何もかも捨てて、もう日本に帰るっていうのは?」と尋ねたら、
「それじゃ、バカでしょ」とあっさり却下された。
2月1日から住む家がない、と書いた。
31日の夜23時半を過ぎ、日付をまたいでも、私たちは移り住む家が決まってなかった。
日付を少し巻き戻す。
ニュージーランドの家探し~短期移住で、最終的に2月1日から住める家の候補地が「4つ現れた」と書いた。
が、それには、続きがあって、1月30日に4つ目の候補地へ行くと、何もなかった。
箱根から渋谷ほどの距離を往復し、紹介筋は、地元教会のクリスチャン夫婦で、前日には「必ず行くように」とリマインドまで送られて、地図をみると、学校の目と鼻の先の家だったから、私たちは期待した。
そのため、30日夜は、落胆した。
数日前、神様を必ず信じる、とブログで書いたが、いつも前向きでいるのは厳しかった。
しかし一方で、同日、驚くべきニュースが入ってきた。
2月1日の入学に備え、部屋探しをオークランド市内で探していたが、政府が、学校の始業を1週間延長する、という。ご存じの方もいるかもしれないが、オークランド市内の大雨による洪水で、道路復旧のため、政府が学校側に送迎渋滞(子供の登下校を親が見守るのがこの国の仕組み)を割けるため、という。
ああ、家確保の猶予が与えられた。
けれども、娘の体調管理も含め、私たちはそろそろ、羊がたくさんいるニュージーランドの箱根から、ニュージーランドの渋谷辺りまで戻ってこなければならない。いつまでも、ぬくぬくと自然を愛でているわけにはいかなかった。
延泊したい気持ちを抑え、31日はやはりチェックアウトしよう、と夫と話し合った。
もしどうしても、何も見つからなかった時は延泊だ、と後は何かが明朝、いや、正しくは今日だが、動くことを期待して、やるべきことはやった、と1日0時半、私はベッドにもぐりこんだ。
by桜子
日本一毛刈りが速い男、大石駿FromNZ
毛刈りってなんやねん、と思った。
羊の毛を刈る職人が、日本人でニュージーランドに居る、という。
腕前は、日本一。2分で羊一頭の毛を刈るスキルの持ち主は、今春、来日して講習会を予定。
おかげさまですでに満員という。
「駿くんに会えるように、祈ってます」
そんな情報の主は、以前インタビューに応えてくださった、その51:サーヴァンツ・インターナショナル創業者・相談役 古田稔氏。
「棺桶に、片足つっこんでる」と、病床からわざわざ「それぐらいかなあ、僕が出来るのは」と、稔氏。私、何もお願いしていないですが、うっ、うっ、古田さん。優し過ぎる。この感謝をどう伝えればいいか・・・!
そういうわけだから、駿さん、私たち、会わないといけません。
という、熱意が通じたかは分からないが、普段はニュージーランドの南島で暮らす彼が、ちょうど北島のオークランドに仕事で来ていて、タイミングよく、私たちは対面できた。
写真撮影後、私が、携帯の写真を見せて、
「この写真…ズボンの紐、ちょっと気になったりします?撮り直す?」
と、聞いたら、
「いや、僕、そういうの、全然気にしないんで、いいです、ハハハ」
と、駿さん。
シルビアパークのベンチに座り、お茶をしながら、私たち家族と一緒に、いろんな話をした。
ここでの暮らし、羊の毛を刈る大会の話、首相と話した経験や、ニュージーランドにおける子供の学校選び、とか。
「オークランドより、クライストチャーチがいい。学校の子どもたちは、農家の子供たちだから、いじめもない」
というような話を聞き、次にニュージーランドへ行くときは、私たちは南島へ行こうと考えた。
by桜子
ニュージーランドの家探し~短期移住
苦しいニュージーランド生活3で書いた通り、私たちは今、2月1日から住まいがない。
この家を出る日まで、あと3日。
父親が、電話で言った。
「ホテルに住めばいいじゃないか。」
しかし夫は、「ホテルが近くにないんです。」と答えた。
無理してオークランド空港近くのホテルに住む手も、なくはないだろう。
が、なんということだろう。
3日前、記録的な豪雨に襲われたオークランドは、空港が水浸し。
多くの家屋が洪水被害で浸水し、道路は閉鎖も多く、市では緊急事態警報が発令された。
ここ真夏のニュージーランドでも、極寒の日本と同じく異常気象が発生して、
「こんな夏は初めて!」と会う人が口を揃えて言う雨の夏を迎えている。
「洪水で、部屋がない人が増えたから、部屋探しはさらに難航するでしょうね」
と、土曜日、ドイツ人ママから、私にメールが来た。
彼女は、わが家と同じく子供の短期留学でニュージーランドに夫婦できていて、2日前ササっと連絡先をくれた人だったが、わざわざ、心配して、頼りになる不動産屋の電話番号と担当名を私に送ってきてくれていた。
しかし、私は、次のように考えていた。
さっき、神様が私に家を与えると約束してくれたから、
その不動産屋さんにお世話になる可能性はかなり低いわ、と。
なぜか。
それは、土曜の朝、私はオンラインで見つけたのだ。
理想の家を。
そして、私は大胆に祈ったのだ。
ああ、神様、私たち今、2つの部屋の候補がありますけど、
私たち、部屋じゃ、ダメなんです。
私たち、家が欲しいんです。
私たち家族が、リラックスできる家が必要なんです。
家をください。
そして、もし家が与えられるなら、神様、その証拠に、卵を下さい。
今住んでいる家には、放し飼いにしているニワトリがいて、来てからずっと、私たちは卵が欲しい、と大家に言っていた。それで、オーナーは、「うん、あげる」と言ったが、「最近どこで産んでいるのか分からない」と言って、もらえないでいた。
それで私は、祈った後、期待して、家のドアを開けた。
そして、ニワトリが卵を産みそうな茂みを見た。
・・・
空っぽだった。
ガーン。ショック。
それで反省した。
ああ、こんな風に神様に家をくれる「しるし」を下さい、なんて、
そんなこと、祈っちゃいけなかったよね。
「しるしは今の世では与えません」とかなんとか、聖書のどこかに書いてあったよなあ、と
ガッカリして、原っぱをのろのろと歩いた。
そして、気を取り直して、家を出たついでに果物の生る木の茂みに出かけ、バッグに果物をたくさん詰めて、家に戻った。
すると、どうだろう、先ほどの茂みに、ニワトリが座っている。
そしてお尻をプルプルっと降っている。
あれ、もしや、ひょっとして…
私は祈った。ああ、神様、この子が卵を産みますように…!
神様、神様…!!!
ポトン
ニワトリは私をチラッと見て、そして去っていった。
た、た、たまご・・・!
ちょっと、人生で初めてニワトリが卵を産んだところを見たんですけど!!!
「ねえ、私たち、絶対、家が与えられるー!」
声高らかに、玄関で私はホカホカの卵を手に、娘と夫にその「生卵」を触らせて、コトの顛末を話した。
ハハハ
と夫は笑っていた。
私は、信じることにした。
この理想的な家、必ず私たちの住む家になる、と。
何事でも信じたらその通りになる、って聖書にあったではないか。
疑わずに信じよう。
しかし、実のところ、この家は、こちらでの賃貸物件のため、その実現は容易ではない。
第一に、契約は最低1年が求められる。しかし、私たちは短期だけ契約したいのである。
おまけに、この契約履行が仮に進んだとしても、最低1週間は審査等で時間がかかり、
おまけに土日祝日は、オフィスが閉まっている、とニュージーランドの人たちは私に教えてくれた。
ふむふむ、だとすると、私たちはいずれにせよ、2月1日ここに住めないのは確定だ。
だとしたら、それまでどこに仮住まいを決めたらいいだろう?
1月29日、日曜日。私たちはオークランド市内の教会に参加した帰り道、高速道路で、虹を見た。
水平線から水平線へと続く、大きな虹を見た。
「ママ、虹!虹が180度だよ!神様がいい家を与えますっていうことかな?」と娘がその美しさのあまり、興奮して言った。
うん、そうだねーと、私は言った。
そうだ、神様は必ず、良い家を与えてくださる。
第一に、卵が与えられた。
第二に、虹が与えられた。
そして、
礼拝後にお会いした宣教師の方が、私たちに
「一つでも住まいの選択肢があるなら良かった」
と言ってくださっていたのだけど、帰る頃になると、あろうことか、私たちは、一つどころか、四つも選択肢を持って帰途についたのだった。
by桜子
タイムリミットまで、あと3日
苦しいニュージーランド生活3
国境の長いトンネルを抜けると、天国であった。(※川端康成の『雪国』をパロって)
私たちは、「試練の長いトンネルを抜けた…」か、分からない。だがここは天国と見間違う。
羊40頭、ニワトリ5羽、犬1匹。
私たちを慰めて余りある大自然は、私たちの失った日々を取り戻すのに十分だった。
ここはオークランド郊外のAirbnbの家。
4日前、すべての荷物を車に乗せ、家を出た。
ずっと思っている。
私たち、呪われてなんか、いない。
すごく、神様に愛されている!
そうでなければ、こんなこと、どうして起こる?
昨日、娘の術後経過を見るために、クリニックへ行った。
すると看護婦が、娘の誕生日を聞いて目を輝かせ、
「あら、うちの娘と同じよ!あなた、きっと優しい子なのね」と言い、
娘の指が痛まないように、この上なく優しく、優しく、包帯を剝がしてくれた。
ああ、神様は、こうやって、人生をいつも彩ってくれる。
看護婦の子供が娘と言うことも、同じ誕生日、という偶然も、
日常のスパイスにしては、効き過ぎている!
そして、今滞在中の家は、「これは君の好みの家に違いない」と夫が懸命に見つけた。
素晴らしい家だ。幸い、オーナーとも親しくなった。
だが、残念なことに、娘の学区から遠いため、私たちは2月1日には出ていく。
その先はどこで暮らす?
まだ、見つからない。
でもきっと見つかる。
新学期が始まる2月1日までは、ここで私たちの居場所だ。
すべての疲れが溶けて流れていく。
もう、部屋の中に閉じこもらなくていい。
朝からひそひそ声で喋らなくていい。
廊下に響く足音に怯えなくていい。
台所で好きな時に、好きな料理を作れる。
お皿を洗わずシンクに食器を置いてても、叱る人は誰もいない。
自分たちだけの空間が、これほどまでに愛おしいとは。
そういう喜びを、この年で知るとは思いもしなかった。
東京で当たり前のように暮らしていた日々こそ極上、と気づく。
人生の中盤で、これを知る。
同時に、ウクライナとロシアの生活に思いを馳せる。
ああ、彼らはいったいどんな日常を過ごしているのだろう。
by桜子
苦しいニュージーランド生活2
「ごめん、ママ、もう祈れない。代わりに祈ってくれる?」
娘はいつのまに成長したのか、私のために、心を込めた長い祈りをしてくれた。
この子が生まれたのは、私を助けるため。
そうとしか思えない瞬間だった。
どっちが親か分からない関係だが、私がどうしても苦しくて立てなくなった夜、それが自分を救う方法だった。
いつもの試練のレベルを超えている。
日ごとに、連続して、新しい苦しみが生まれる。
今まで味わったことのない試練の種類。
ここまでくると、どうやら、神様は私たちに何か言いたいのではないか?と考えざるを得ない。
嫌なことが終わらない、止まらない。
夫は「呪われている」と言った。
ああ、そうだよな、聖書を知らない人はこういうとき、お払いに行くんだよな、と私はぼんやり思った。
私は痩せたが、夫も痩せた。
彼もまた、胸を痛めて辛そうだった。
気が付けば、私たち家族は、家族だけの空間になると、いつも祈るのが常になっていった。
先週、パスポートの入ったバッグを失ったときは、さすがに思った。
これはもう、絶対に私のせいじゃない…!
「確実に」神が私たちをそのような環境に置かれた、と思った。
何のため?
主は私に何を語ろうとしている?
その翌日、アイススケート場で娘の指が、他人のアイススケートシューズにひかれた。
どちらかといえば運動神経が良い娘が、たまたま転倒して氷上に指を置いた途端、指をひかれる、なんて、こんな偶然あるだろうか?
病院を2か所廻って、緊急外科手術。
幸いなことは、指がちぎれたわけではなかったこと。
爪を完全にはがした。そうしなければ、と言う。
でも、爪なら髪の毛と同じように生えてくる、ということだった。
手術中に泣く娘を見るのは辛かったが、
娘はその前、病院から病院へと移動する時に、外の景色を眺めながら、
「主我を愛す」を歌い始める私に、
「・・・それ、英語の歌詞でなら知っている」とぽつり言い、Jesus loves me yes I know…を彼女が歌い始めた。
そうだね、ここニュージーランドだから、英語が良いね、と私は言って、
娘を抱き、車中で2人、慣れないこの曲を歌ったことを、私は生涯忘れないだろう。
私たち夫婦はけして英語が得意ではない。
それでも連日の苦難に、喋らなければ、伝えなければ、パスポートの話を警察と出来ないし、
娘の手術も2通りあることを判断できないし、決められなければ、次の病院にもいけない。
毎日、毎日、必死で生きてく。
そんな生活は、日本じゃ味わえなかったね、と、言って、
今回ずっとこんな暮らしをここでしている。
私は今週になってふと思った。
これは、私たち家族一人一人が、神様との関係を問われる、信仰の旅なんだ、ということを。
by桜子
苦しいニュージーランド生活
人生はいつも、私たちに色んなことを教えてくれる。
私はNZに来て以来、キラキラのイメージと真逆の生活を、けして誇張でなく、送っている。
辛い日々は私にウクライナとロシアの戦争を思い起こさせる。
それより、はるかにましな環境にいることは間違いない。
だがしかし、これはいったい、何なんだ?
日ごとに胃が雑巾のようにしぼられる。
私はすこし痩せた。
人は苦しい時どうやって耐え忍んで乗り越えるんだっけ?
NZで同居生活をスタートさせてから、部屋にいても、会話が聞こえる。
そのため新年があけたのに、私は日本に電話をしていない。
しかし、皆がいなくなった時、私は父に電話し、辛い胸の内を告白した。
すると、
「ばかみたい!…ばっかみたい!!!」
「こういう(苦しい)時こそ、楽しまなくっちゃ!」
「もっと上から物ごとを捉えるんだよ。
さて神様、これから私をいったい、どうされるのでしょうか?、と(聞きなさい)」
私は弱っていたから、ただひたすら父の声を耳にして、ああ、この人めちゃくちゃメンタル強いな、と思った。
しばらくして、ほかの日やっぱり心臓が苦しくて、今度は母に電話した。
私は言った。
「苦しい…」
すると、母は言った。
「厳しい言葉を言うようだけど、あなたが成長するチャンス。素晴らしい機会を頂いています。」
「良かったじゃない。あなた、いつもなんだか、”私は仕事してます”って感じで、威張ってるもの。自分が小さくされるために、素晴らしい恵みを頂いています」
私は絶句した。
辛い時だから、ふだんなら反論する私も、なめくじに塩。
偉ぶってるつもりはないけど、そう見えるなら、確かにそうなんだろう。
でもどうしたら変えられる?って思ったら、自分の努力じゃ、やっぱり変えられない。
謙遜になるように、砕かれなければ…と、いくら唱えてもなれるもんじゃなし。
やっぱり必要な痛みなんだろうなあと素直に納得した。
それでも、
やっぱり苦しい。
何が苦しいって、書きたいけど書かぬ。
結局は、私たちクリスチャンは口を閉ざさなければならない。
ごくごく親しい人にはその心を吐露してもいいだろう。
でもできれば、それさえなくした方がいい。
悪い言葉を一切口から出さないこと。
それが神が私たちに求めていることだ、と私は分かった。
1月21日日々の光「朝」より===
患難さえも喜んでいます。
それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、
練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
訓練と思って耐え忍びなさい。
神はあなたがたを子として扱っておられるのです。
父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。
もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生児であって、
ほんとうの子ではないのです。
すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、
後になると、これによって訓練された人々に平安な義のみを結ばせます。
ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。
by桜子
ニュージーランド短期移住のきっかけ
「良かったら年末、ニュージーランドに家族で来ない?」
昨年、夫が友人サラ(仮称)に声をかけられたのが、その始まりだった。
彼女は、高級住宅街に住む4LDKの家のオーナーだ。
ニュージーランドでは、フラットメイト、と言って、空き部屋を誰かに賃貸するシステムがあり、部屋を2世帯に貸して暮らしていた。
それで、コロナが収束し始めてきたので、彼らが帰国する間に空き部屋を使っていいよ、ということだった。
私はちょっとモヤっと思った。夫の女友達??
しかし、そのモヤモヤに勝って即座に私が感じたことはコレ。
行ってみたい・・・!
それで、ほんの少し、ニュージーランドに年末年始、行くだけのつもりだった。
それが、色んな導きで、娘を現地校へ通わせることになった。
こういう時、母子留学が常、のようだけど、うちは家の方針で家族全員で行動。
よって、夫も私も会社の都合をやりくりして、全員で渡航した。
日本の新学期に該当するのが、ニュージーランドでは2月1日。
小5の娘は、Year7として、現地校へ通う。
by桜子
ニュージーランドの朝
NZに来て2度目の土曜の朝。
初めて晴れた、といっても過言ではない。
こちらの気候は、日本の逆だから真夏、と聞いていたが、
ずっと、ハロー、ニュージーランド!海外移住にある、曇り空と雨が続いていた。
マウンテンバイクを使っていい、と言われた。
今から夫と近くを走らせて朝ごはんを食べてみる。
ハロー、ニュージーランド!海外移住
NZに来て10日間が過ぎた。
元旦に成田から飛行機に乗った。
2日、オークランド空港についたら、迎えに来る、という人がいなかった。
初日から今日まで、怒涛の日々だった。
どこから書こう?何を書こう?
そもそも、私はなぜ、異国にいるのか。
いや、よく来たよ。涙が出ちゃう。
↑うちから、徒歩5分のところから見える景色。夫と散歩して、撮ってもらった。
思い切って、来てよかった。
今なら人生まだ残り時間がありそう。
これから、私たち、どこでどう生きるんだろう?
ニュージーランドに来た、と書くと、すごくキラキラしたイメージがあって、華やかに聞こえる。
実際、私もそう思って来た。けど、書けないぐらいビックリすることが「山ほど」あった。
それで、5日目ぐらいに(今から帰国しようか?)という考えが真剣に過った。辛すぎて…。
でも、その嵐は徐々に収まっていき、
今朝は、「来れた」という事実にまず、感謝したい、と悔い改めの気持ちが起こされた。
悔い改めは気持ちがいい。
私はこういう時、この聖書の言葉がすぐ頭に浮かぶ。
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神へのいけにえは、砕かれた心。
悔いた魂。
主はけして、それをさげすまれません。
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そして、「不平不満の眼鏡」でなく、「感謝の眼鏡」をかけてみる。
そうしたら、こんどは、この聖句を思い出した。
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わが魂よ。主をほめたたえよ。
私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。
わが魂よ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
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きっと、今日からは大丈夫。
いや、永遠に、と思わず、まずは1日1日を、大丈夫、と思って過ごすことにする。
私がどうしてここにきて、どうやって生活しているのか、
これから少しづつ、書いていきたいと思う。
良かったらぜひ、読んでください。
日本のみんな、オープンダイアローグのみんなも、会社の人も
今日が良い日でありますように。
by桜子