月別アーカイブ: 2018年6月

不安を退けるメンタル法

あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。(1ペテロ5:7)

一昨日、母親が旅先から私に送ってくれた葉書が届いた。見ると、イラストに一言だけが添えられていた。「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい」

これは聖書の言葉だ。見た瞬間、不遜にも(ふん、知ってるわい)と思った私は身内を軽んじてしまうとこがある。それでも、ふっと思った。先般の事件以来、私は毎日疲労困憊していた。(それでブログも書けなかった)
だから、この葉書は母の愛情であった。親はいくつになっても、おせっかいだが、ありがたい。私はそれで思い直し、もう一度読み返してみた。

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい」

これは冒頭にある通り、「神があなたがたのことを心配してくださる」と続く。
だから、神様がわたしを心配してくれるなら恐れることは何もない、という意味だ。

二回目に読んでみたら、私はこの文章が意味する内容に、素直に感動した。

聖書は不思議な本である。知っている文言でも、いつ、どのタイミングで、読むかによって、その都度違った輝きを放ち、心の中に圧倒的な存在感をもって煌めく。私にとっては、二度目に読んだときが、その瞬間だった。

それで、聖書を開いてみた。
不安なとき、私たちを励まし、慰める言葉はどこにあるだろうか。


あなたがたのうちのだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。

あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。

してみると、今起こっている試練は、結局、私自身の信仰が問われているようにも思えた。今日は私の不安の一切を神に委ねて眠ることにしよう。

梅雨の工作・あじさいに願う子の成長

娘の世話はしている私だが、ふだん全く遊んであげていない私。私は、子供と遊ぶのが、すこぶる苦手である。

しかし、先週起こった娘の大事件を癒すため、先輩ママの助言で1日30分は子と遊ぶよう指導された。なんでも、精神科医の話で、子の心の健やかさを保つために必要な営みだという。

この30分は、お稽古や勉強を教えることは含まず、遊ぶ、ということがポイントだそう。

今のところ、言われてからたったの1日しか、実行出来てない。

それでも、娘と作った作品がコレ。

✳︎玄関に貼りました

あじさいです。

ストローで雨を作り、

薄紙で花を作り、

これは娘が単独で作ったカタツムリ。顔は左。よく見ると目が2つ、ちゃんとある。

夕飯はパスタにして、

今日はカワイからピアノが来た。

主人があったらいいだろうと、先週ひとりでカワイに行き、注文していた。。

子供のいる生活は、日常生活をぐんぐん変えていく。始まったばかりの小学校生活を、すこしでも楽しく、伸びやかに、大きくなれと、親は誰しも願いながら、育てている。

渋谷センター街のキレ男

先週土曜日、センター街で私は目撃した。
目の前にいた、赤いリュックを背負った男が、制服の女子高生2人組とすれ違った瞬間、「どこみて歩いてんだよ!!」という怒号と共に、自身のリュックサックを女の子めがけて、思いっきり叩きつけた!
背中にずしんと痛みを感じた女の子は何があったのかと振り返り、恐怖で顔がゆがんだ。

通行人は立ち止まり、私も凝視した。しかし、この場で何が出来よう?「こわかったね」「変な人だね」慰めの言葉は浮かぶものの、彼を撃退する案は浮かばず。せめて、周囲の男性が、彼を静止してくれることを願ったが、当然、火中の栗を拾う者は誰もおらず。

男は、女子高生が反論しない様子を見て、ふん、とその場を去って行った。
女子高生らは震えていた。特に派手な子たちじゃない。否、めちゃくちゃ地味な子たちだったのだ。

「これが今のニッポンだよね。いま、おかしくなっている人多いよね。新宿タックル男もそうだけど、“崩れゆく、ニッポン”って感じがした!」と私が友人に言うと、
「都会の大人がこうなんだから、子供なんて狂っちゃうよ」と彼は言った。

昔から言われているのかもしれないが、これから益々少子化になり、財政難になる日本の国民が、心優しく穏やかに支え合って暮らす世の中が描けるのかと思うと、どうにもこうにも、希望が持てない。

一番大切なもの

昨夜、小学一年生の娘に大問題が起こっていることが発覚した。

もともと、娘のクラスは騒がしい。目黒区のママから、「大丈夫??!」と言われるほどである。

だが、ふだんの私は働いていて、学校には行ってない。何が起こっているのか、分からない。そして、その環境のせいか分からないが、少なくとも想定外のことがわが子に起こっていた。

主人にはメッセンジャーで報告し、彼が帰宅すると、対処法について話し合った。
そして、娘の学校へ様子を見に行くことになった。
私は仕事を休むつもりはなかったが、主人はぎっしり詰まっていた全スケジュールをキャンセルし、娘に付き添うという。そこで、私もその態度に倣った。まさに、夫婦はチームである。どちらか一方が真剣なら、私も真剣になる。すべてをかなぐり捨てて、娘のために学校へ行く。親でなければ出来ない行為に、主人の態度が心強かった。

彼は仕事がたくさんあって、私はその進捗を心配したが、

「一番大切なのは家族だよ。当たり前だよ」

と言った。本当に良い人を夫にもらった。私が悪妻だからこそ、彼が与えられたのだろうか(ボソ)。

閑話休題。

ともかく、今日一日学校に居て、私は昼間だけ、友人との食事で抜けたけれど、主人は給食の時間も共にいて、クラスの様子をじっと見守った。そして私は娘を迎えにいき(今日は四時間授業で給食の途中に主人は抜けた)、彼女と帰宅した。初めて見るクラスの様子と、娘の学校での様子に知らなかったことがたくさんあって、“これは仕事している場合じゃない”、とぐったり疲れた。
けれどもそのあとで、学校から連絡があり、少なくとも解決に向けて全力で取り組むことを誓ってくれた。すべての背後に、神様の計画がある。どうなるか様子を見ることにした。