ポルシェのパパ友、さよならは突然に

娘が3歳の頃、南平台のデニーズで娘と夕食中に、ある父子とあった。
それが娘の同級生と分かるのに5分とかからず、私が挨拶をすると、彼はこう言った。

「僕、離婚したんですよ」

初対面にもかかわらず、サラリと妻が出て行ったことを打ち明けてくれた彼に、私は心底驚いた。が、動揺する姿を見せまいとしたら、彼がその雰囲気を払拭した。

「でも、片親だと医療費が安くなるんですよ。だから歯医者に行こうかなって」

そう言って、彼は笑った。私は経済的に困っているのかと考えた。が、ふとテーブルを見ると、ポルシェのごつい、大きな鍵が無造作に置かれていた。歯医者の話とポルシェの鍵が対照的過ぎて、当時の出会いは今でも忘れない。

やがて、暮れにわが家で真面目なクリスマス会があり、奇しくも彼らが来ることになった。

一人一人、短いスピーチをする中で、彼は正直に今の境遇を語った。居合わせた私の両親や姉妹はそれを聞き、祈らずにはいられなかったろう。彼は初めて集まるそこで、聖書の意味はおそらく分からなかっただろうが、アーメンと言った。

その父子が、3年余の月日を経て、親しい友人となった。

さらに、再婚し、今夏、第二子を授かる予定になった。私たちは、彼の新しい奥さんとも親しくなり、春には代官山ヒルサイドでランチをしたあと、さらに彼の引っ越ししたばかりの雑然とした家で、ワインを飲み直すという仲にまでなっていた。

だが、それが最後の会食になってしまった。
別れはある日突然、やってきた。
晴れた日の朝、彼の妻から、一通のLine(ライン)がきた。

「急なことですが、切迫流産になり、安静のため、明日より新潟県へ引っ越すことになりました。また会える日を楽しみにしています」

急すぎる別れの宣告に、わが目を疑った。こんなことって、あるのだろうか?
私は出勤する道すがら、電話をかけた。「あんまりじゃないの?!」

けれども、本人たちも医師の診断で決意したのが前日で、やむを得ない選択だった。
私はせめてもの慰めにと、放課後、彼の子を家で預かることにして、最後の晩餐を娘と三人で行った。(時短していてよかった、と心底思った)

夜になって、ポルシェで彼が妻をリクライニングシートに座らせ、娘を迎えにやってきた。不思議なことだが、その夜に限って夫がいた。私たち家族三人で、走りゆくポルシェに手を振った。別れは本当に突然だ。昨日とおなじ日常が、また明日もやってくるとは限らない。しみじみと、そう感じた。

彼らが引っ越す早朝に、私は胸が締め付けられる苦しさを覚えた。まるで、誰かが急に召されたような感覚に襲われた。過ごした日々はもう二度と戻らないと思うと、泣きたくもなった。よもや、私がこれほどまでに、この家族に愛情を感じているとは夢にも思わなかった。きっと、私がこんなに苦しんだことは誰も気づかない。

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。
くずすのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。
嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。
抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
捜すのに時があり、失うのに時がある。
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。
黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。
戦うのに時があり、和睦するのに時がある。    (聖書からの引用)

すべての背後に神様の計画がある。

出会うのに時があり、別れるのに時があるのだ。

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