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一番大切なもの

昨夜、小学一年生の娘に大問題が起こっていることが発覚した。

もともと、娘のクラスは騒がしい。目黒区のママから、「大丈夫??!」と言われるほどである。

だが、ふだんの私は働いていて、学校には行ってない。何が起こっているのか、分からない。そして、その環境のせいか分からないが、少なくとも想定外のことがわが子に起こっていた。

主人にはメッセンジャーで報告し、彼が帰宅すると、対処法について話し合った。
そして、娘の学校へ様子を見に行くことになった。
私は仕事を休むつもりはなかったが、主人はぎっしり詰まっていた全スケジュールをキャンセルし、娘に付き添うという。そこで、私もその態度に倣った。まさに、夫婦はチームである。どちらか一方が真剣なら、私も真剣になる。すべてをかなぐり捨てて、娘のために学校へ行く。親でなければ出来ない行為に、主人の態度が心強かった。

彼は仕事がたくさんあって、私はその進捗を心配したが、

「一番大切なのは家族だよ。当たり前だよ」

と言った。本当に良い人を夫にもらった。私が悪妻だからこそ、彼が与えられたのだろうか(ボソ)。

閑話休題。

ともかく、今日一日学校に居て、私は昼間だけ、友人との食事で抜けたけれど、主人は給食の時間も共にいて、クラスの様子をじっと見守った。そして私は娘を迎えにいき(今日は四時間授業で給食の途中に主人は抜けた)、彼女と帰宅した。初めて見るクラスの様子と、娘の学校での様子に知らなかったことがたくさんあって、“これは仕事している場合じゃない”、とぐったり疲れた。
けれどもそのあとで、学校から連絡があり、少なくとも解決に向けて全力で取り組むことを誓ってくれた。すべての背後に、神様の計画がある。どうなるか様子を見ることにした。

渋谷区保育園探し(初めての保活1)

最近、ちょっとづつ、出産前の自分を取り戻しつつある。

子供がいるからと我慢していたヘアースタイルも、したい髪形をするようになった。
洋服も、授乳しやすさを第一にしていたけれど、ごくたまにワンピースも着用。
鞄も、黒のマザーズバッグ1つ、と割り切って過ごしていたのを、TPOに合わせて変える、
という芸当をときどき(※)し始めた。 ※毎回はさすがに無理・・・

そして、そういうことをし始めたら、
最近続けざまにビジネスの方とお会いする機会に恵まれて、
社会に出ていた頃を思い出した。
なんだかそろそろ社会復帰してみてもいいんじゃないか、
という気になってきた。

これには、娘が思いのほか健やかに育っている、
ということも影響している。

私は今年4月、復帰しようと思っていたら、
渋谷区の1歳児クラス保育園に落ちた。
あとで分かったことだが、結局私の希望する保育園は定員3名
とあったのに、実際に入ったのは2名だった。
(超、狭き門)

それで、

1歳児クラスが落ちたなら、2歳児クラスで申し込んでも、
ほぼ100%入れない。ならば3歳まで専業主婦をやろう、と
2ヵ月前に決めた。

それなのに、ちょっと待てよ、と思ったのは、
心境の変化のほかに、決定的な事実に愕然としたのである。
安倍さんは3歳まで抱っこし放題、と仰ったけれども、
3歳まで抱っこし放題だと、そのあと、預ける先がないのである!!
(2013年現在、桜子独自調査結果)

     *      *      *

去年、渋谷区に
「どうして、うちの近所には保育園がないのでしょう!?」
と詰め寄ってみたら、

「その辺は子供が少ないんです。人口分布図で多い所に施設を置いてます」
と言われた。なんでも笹塚辺りなら多いとか。
おっと、それなら、この土地に住んでる私が悪いのか!?

夫に、
「なんか、もう、どうしよう。誰に相談したらいいのか。
横浜みたいに保育コンシェルジェがいればいいのに」
と、泣きついたら、

「きっと何か見つかるさ。探そうよ!」
と、頼もしい返事をしてくれた。

・・・そうかしら、見つかるかしら。

かくして、私のゆるやかな保育園探し(略して、保活)が始まった。
いまさら遅いけど、得た有益な情報があれば、みんなにシェアしたいと思う。

渋谷区認定こども延長時間保育説明会

神宮前に保育園+幼稚園ができるよ

渋谷区では幼稚園と保育園を一元化する方向で施設整備がされている。
新設される幼保一体型保育園は、一般的な「保育園」よりも、教育が充実しているのかと期待してみれば、「あくまで保育園」とのこと。なんだ、がっかり・・・。

と、それよりも、うちの隣にいた夫婦が、うちの子がいくら笑いかけてもまるで無視なので(というよりも自分の子供以外には興味がない様)その態度に大変ショックを受けた私。

夫にそれを話すと、「そんな人はいるよ」とあっさり応え、それよりも「まるで今さっきこの世に生まれてきたような人みたいなこと言わないでよ」と呆れられた。

さらにこの話を実家の父に会った際、打ち明けたら、「お前、そんなことで傷ついていたら、世の中生きていけないぞ!」と同じく呆れられ、

「だけど、いいなあ、その年になって、まだそんなことで感動するんだ!?」
と、ある意味で褒められた(?)。

まあ、世の中をたんたんと生きていくためには、いろんなことに鈍感でないといけないよね。だけどやっぱり、街中で見知らぬ誰かの優しさに触れると心が温まるから、誰かに期待してしまう部分は捨てられないんだよね。