今日は送別会があった。
人を送るのだと思っていたら、自分が送られた。
こういうの、
単なる異動じゃん?
とか
同じ建物だし
などといつもなら言いかねないが、今回はちょっと違う。
だって、会社から去るわけだし・・・。
私にとって、五社目だった会社。
四社目に戻ります。。(>_<。)
皆さま大変お世話になりました m(_ _)m
今日は送別会があった。
人を送るのだと思っていたら、自分が送られた。
こういうの、
単なる異動じゃん?
とか
同じ建物だし
などといつもなら言いかねないが、今回はちょっと違う。
だって、会社から去るわけだし・・・。
私にとって、五社目だった会社。
四社目に戻ります。。(>_<。)
皆さま大変お世話になりました m(_ _)m
小腹がすく16時頃に「たいやき好きですか?」とメールを投げてくるИ澤氏。
「虎ノ門駅のそばに、有名なたいやきやさんがOpenしたらしい」という様子から、おそらく一緒に出かけたいらしいので、じゃあ、食べに行きましょう、とちょっと出ました。
私が「一緒に撮ってあげる♪」と言ったのに、「俺はヤダよ」とごねるИ澤氏。
往生際が悪い。
といっても、こんな何気ない日々も残りあと僅か(><。)
2007年9月18日、ペンシルベニア州ピッツバーグ。ハイテク の街として知られるこの地に本拠を置くカーネギーメロン大学の講 堂で、1人の教授が「最後の授業」を行った。教授の名前はランディ・パウシュ。46歳。バーチャルリアリティ の第一人者と称される人物だ。最後の授業をするにはまだ若すぎる パウシュだが、実はこのとき、彼には長年親しんだ大学に別れを告 げざるをえない事情があった。膵臓から肝臓…
今朝、ふーん、へー、ほぉー、という発見をしたので紹介する。
電通副社長夫人のお話。(どの代なのかは知らない)
なんでも天下の電通副社長だから、帰りは毎晩遅い。
そのため夫人は一人で夕食をとる。
それを聞いた作家の三浦綾子は、一人ぼっちの食卓はどんなに寂しかろう、
というようなことを言ったら電通副社長夫人はこう答えた。
「でもね、この10年間、私は自分一人の食事を、
いい加減にはしなかったのよ。
お菜を3品も4品も作って、そのお菜の作り方も夫に食べさせるように、
決して手抜きをせずに心をこめて作ってね。もちろん食器も選んで。
そしてね、和食の時は和食に合った音楽をかけ、
洋食の時には洋食に合った音楽をかけるの。
淋しいからって、そそくさと食事をしたりはしないように、気をつけたの」
それで、三浦綾子は感動して、
『自分一人の食卓をおろそかにしないという生き方は、
あらゆる人生の断面において、
自分の生活をおろそかにしないということにつながる。
それは自分の与えられた人生を、
真実に生きていくということでもある』
と言いながら、
『日々の小事に忠実に生きていく者でありたい』と括るのだが、
これ、けっこう私的には目から鱗でした。みなさんはどうですか?
この、一人の食事をきちんとする、ということは、
イコール、<誰も見ていなくてもしっかりと過ごす>
ということであって、
先日考えていたことに通じた気がしたんですよね。
つまり、与えられたことをおろそかにしない?生き方、というのかしら。
それが出来たらいいな、とウットリしました
以前、岡本一郎さんにパオロ・マッツァリーノさんを教えて頂いて以来、すっかり彼のファンとなって著書をほぼ読破した私。このパオロさんというのは外国人かと思いきや千葉県民らしいんですよね。私はどうも岡本さんとパオロさんの性格が被ってしまうんですが、今いちばんインタビューしたい方です。
コドモダマシ―ほろ苦教育劇場
※パオロさん、これを偶然でも読んだらぜひインタビューさせてください。
OKの連絡先は、sakurako*sakurako.cc (*は@マークでお願いします)m(__)m
この本は、お父さんと子どもの会話を中心に、「デキちゃった婚って何? 格差って?」という子どもが持つ疑問にお父さんがどう答えていくか、というのが面白おかしく、でも、本当のとこってどうよ?というのがパオロ・マッツァリーノさんの視点で書かれています。
私が、なぜ彼の本に惹かれるかと言うと、文章のリズムが良いことと、物事を見る視点の大切さを教えてくれるから好きなんです。
ちょっと、一部、「宿題」のくだりを抜粋
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(子供) 「来週までに提出なんだよ。あーあ、なんで読書感想文なんて書かないといけないのかなあ」
(著者)わかる、わかるよキミの気持ち。そうだよねぇ。こどものころはみんな感想文なんか書くのいやがってるんです。そのクセ、オトナになると、頼まれもしないのにブログで本や映画の感想ばっかり書きたがるんだから、わからない、わからないよ、ブロガーの気持ち
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いや、ホントそうだよね。なんでブロガーは書評を書くんだろうね。
一つにはアフィリエイトがあると思うのですが、皆さんはなぜですか?
ちなみに、私が時々レビューを書くわけは、尊敬する人に「書け!」と言われたからです。
なんでも、読後感想文をしたためることによって、内容が頭の中に入っていくそうです。
本日のランチ。かきあげおそば。
人間は毎日いろんなことを考える。
私も毎日いろんなことを考える。
それで、昨日は道すがら、「あー、私の人生、もっと面白くしたいなあー」
と思った。
それで、なにをどうすると人生は面白くなるか、ということを考えた。
3分後。
世の先達もきっと似たようなことを考えたはずだから、
その解は、本から学ぼう、と本屋へ行った。
それで、オノ・ヨーコ「ただの私(あたし) 」と
米投資家の自叙伝「冒険投資家ジム・ロジャーズ世界大発見」」を見つけ、
パラパラとめくって悩んだ結果、恋愛のオノ・ヨーコより、世界を旅したジムを選んだ。
今からジョンを探すのは難しいから、するならやっぱり旅かな、と考えたからである。
家に帰った。お部屋の明かりをつけたら、
ふだんは目に留まらない黒いピアノが、なぜか幽霊のようにボワっと急に浮き上がった。
このピアノは、私が子供の頃にワガママを言って買ってもらったピアノだ。
いまは全然触っていない。
だって、下手だし。弾くと音が大きいから、近所迷惑になるし。
そんなことを考えながら、私はハッとしたのである。
「このピアノ、もし私がちゃんと使っていたら、
私の人生に大きな彩りを与えてくれていたのではなかろうか?」
すると今度は、ピアノの上に置いてある人形が目についた。
この人形は子供のころ、父親が海外出張した折に買ってきたレアもので、
品番と証明書がついている。
お土産にもらった時は、確か父親が
「希少価値があるんだから大事にしなさい」と言ってくれたような気がする。
人形の顔は埃をかぶって真っ黒だった。
ガラスケースにでも入れておけば良かったと私は思った。
部屋の片隅にぽつんと置いてあるピアノと人形に、私は暗い気持ちになった。
せっかく与えられたものを大事にせず、
親にモノを無心した結果がこれかと思うと、ダメ人間に思えた。
と、同時に、
こういった過去のとっ散らかした一つ一つを大事に扱っていたら、
人生は変わっていたのではないか、と思った。
少なくともピアノが弾けたら、
人を楽しませることはできる。人生はちょっと面白くなる。
なにもオノ・ヨーコにならなくても、世界の旅に出かけなくても、
日常の細々としたことを丁寧にやっていったら、
人生は自然と面白くなっていくのではないか?
もしかしたら
与えられたことを大事にしていない結果、なのかも。
だとしたら・・・。
と、まあ、こんなことを考えた。
マグカップに蝶々が止まったから、春はすぐそこ。