日別アーカイブ: 2008年7月20日

神様はいますか(2)

宣教師ベック氏の話を先週、聞いた。

毎日曜、礼拝という場で色んな方の口を通して聖書のお話を伺っているが、
「人間は・・・心がかき乱されることでいっぱいです。by聖書」の通り、
休日は日頃の疲れと心配事が頭の中を占め、聞く準備が出来ていないことが多い。

しかしその日は休暇日で、睡眠も十分とっていたので頭が冴えていた。
そうして改めて耳を傾けていたら、へえーっ、と思うことばかり聞いた。

何度も似た話を聞いているはずなのに、やっぱり普段はこの世の雑事で頭がいっぱいらしい。
まるで初めて聞くかのような衝撃だ。

たとえば、

「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。
 そこではむしとさびで、傷物になり、また盗人が穴を開けて盗みます」

「自分の宝は天にたくわえなさい・・・あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです」

「自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、
 また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。
 いのちは食べ物より大切なもの、からだは着物より大切なものではありませんか」

・・・そうなんだけど。

将来の備えを、と人は言うし、『人は見た目が9割』がベストセラーな世の中で、
ほんとに?ほんとに?と、思わず聞きたくなってしまう。

そうなると、自分が神様を信じていることが実に不思議に思える。
なぜ私は信じているのだ?

ここで話を脱線して、信じることが徳か損か、という話にいこう。

・・・告白するのは若干怖いが、私は「損」だと思っている。
その理由は後日触れる。がしかし、それは間違いらしい。というのは、同じクリスチャンのパウロという人はこんな告白をしている。

「キリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。
 私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています」

多分、自分はマリー=アントワネットなのだ。
ケーキとパンが当たり前すぎて、いかに恵まれているか、今ある素晴らしさが分かっていないのだろう。

で、話を戻して、だと私の場合思っているにもかかわらず、じゃあ信じるのをやめましょ、と言われたら、なんとそれが出来ない。仮にしたかったとしても!

それは、第1に信仰は損得ではないこと、第2に信じるということは理屈ではないからだ。
鈴木光一著の『リング』『らせん』に似ている。
あれは、一度知ってしまったら知らなかったことに出来ないという筋の物語だが、それと同様、信じるというのは、知ってしまった事実であり、もう戻れない。ある種のホラーだ。

しかし、この場に近づくことで、私は過去、人生に関する多くの疑問について答えてもらった。

すなわち、

 ・私はいったい何のために生きているのか。
 ・私の人生の目的は何だろう。
 ・どうして神は、私をつくられたのか。
 ・私は自分の人生で何をすればよいのだろう。

・・・明日からまた会社だ。今日はこれにて m(__)m

神様はいますか?

昨日から梅雨入りした。朝から太陽の光が激しく眩しい。
こんなに暑くて今夏は無事に越せるのか心配だ。
既に洋服はノースリーブ。8月はいったい何を着たら良いのだろう?

さて今日は、万人に共通するテーマで書いてみようかと思う。
題して、”神様はいますか?”

私は聖書を信じている。
聖書を信じている、というのは、
「聖書に書かれていることを信じている」と言う意味だ。

すなわち、イエスキリストは神の御子であって、
処女マリヤから人の姿をとってこの世に生まれ、
私たちの罪のために購いの代価として死なれ、
死後三日目に甦って天に昇られた、ということ。

・・・こう書いたら、私は間違いなく偏見を持たれるだろう。
うわ、キリスト教じゃん、とか、アタマ大丈夫?とか。

あー、やだ。

でも、桜子だから、まあいいや。

私は聖書は信じている。でも、キリスト教に入信していないし、
クリスチャンネームというのもない。
(信じているというと、クリスチャンネームを聞かれることがある)

文部科学省が日本で認定している宗教団体というのは、現在1万300018万2796 (平成18年度宗教統計調査より)あるそうで、
どの宗教が正しいか、というのを、私たちがもし本気で確認しようと思ったら
それらすべてに目を通さなくてはならぬ。全経典を調べるのに、
どれくらいの時間と忍耐が必要なのだろう?・・・ああ、途方もない。

そもそも宗教団体をつくったのは誰か、といえば人間である。
だから、本当にそれが正しいのか、正しくないのか、
知っているのは神様だけである。

とすると、神様から見て、人間は2通りになる、という。

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(実際にその人がどこに所属していようが何をしていようが)
 本当にわたしを信じている人、わたしを信じていない人 by神様
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その話を私はある大学教授から聞いたとき、いい言葉だな、と思った。
その人が本当に信じているのか、神様だけが知っているのだ。

ということは、もしかしたら、私も信じているとかいいながら、
本当は信じていないのかもしれない。

Who knows? Nobody knows. Only God knows.

さて、午後の礼拝にでも行って来よう。というわけで今日はここまで。