独身の頃、課長とランチに行くと「妻と教育方針の違いで揉めてさ・・・」と、課長が嘆いていた姿を今になって思い出す。
当時は、結婚するとそういう問題が出るのか、と未知の世界に少なからず驚いたが、自分がその立場になると、そんなことはよくあると分かり、わが家も例に漏れない。
昨夜は子供が寝静まったあと、私が兼ねてから気になっている「(子に)ジュースを買い与えるべからず」という話をした。
てっきり、「ああ、そうね」と言われるかと思ったら、答えが違った。
「キミは〝〜してはいけない〟が多過ぎる」という内容に転じ、話はエスカレートしていった。
正直言って、夫の指摘はわりあいと正しかった。
いつも対話するたび驚かされるが、夫が年上ということもあり、私より優れた考察をする。
悔しい。
だが、ジュースだけは、絶対に私の方が正しい。
揺るぎない自信があった私は、この点については徹底的に反論しよう、と決めた。
「ジュースは砂糖水で、栄養素が殆ど含まれない“エンプティ(空っぽの)カロリー”だから、特別なとき以外は買わないで!」
私が言っていることは正論だ。私も厳格者ではないから、ジュースを買い与えるときもある。
だが、夫はこうのたまってきた。
「大きくなってから、〝私、お茶しか飲まない〟なんていう、つまらない人間になってほしくない!」
がーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。
頭がかち割れそうな衝撃って、このこと?
ものすごい着眼点だ。こういう返しはアリ??
それは違うだろうと思いつつ、瞬時に、彼の言わんとすることがイメージとして伝わってきた。
確かに、小学生の頃、クラスに1人ぐらい、いた。
いつも地味な服を着て、煮物で身体が出来ていそうな女の子。彼女は、持ち物も慎ましかった。
小学6年生にして、1年の時に買ってもらった下敷きをセロハンテープで破れ目を補強して使っていた。
つぎはぎだらけで、薄汚れていたが、担任はそれを見つけるとキラキラ目を輝かせ、
「清ちゃんをごらんなさい!物を大事にしてエライ!!」と、クラス全員の前で大絶賛した。
私は大変なショックを受け、帰宅するとすぐ母親に言った。
清ちゃんってヘンじゃない?!
私は、汚い下敷きがイヤだった。見た瞬間、げっ、と思った。先生の言う、エライことを私は出来なそうだった。
そのとき、世の中には全く違う人種がいることをまざまざと認識した。
※清ちゃんちはけして貧乏な家ではなかった
話を戻すが、
清ちゃんがつまらない人間、というのではなく、清ちゃんのような価値観を持って成長する子供は確かにいる。
大人になればなるほど、人はポリシーを持つようにもなる。
だから娘もいつか何かの価値観を持つだろうが、少なくとも私たち夫婦から原理主義者が育つとは思えない。
大丈夫、蛙の子は蛙である。
ウチの子はほっておいても、色んなものを飲みはじめるだろう。私たちがそうであるように。