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類天疱瘡に罹患

類天疱瘡(るいてんぽうそう)に罹患して=指定難病162=

父の治療が、慶應義塾大学附属病院で、入院初日から早々に開始された。

3/2、夫と病院へ行った。
「まず治療方針を聞くべきでしょう」と父の面会より先に、医師の予約を入れてくれていた。
さすがだ!私は頭がいっぱいで、そうしていいのかさえ分からなかった。
改めて、この夫を与えてくださった神に感謝した。

父は会うなり、「なんで、今日こうなった?お医者さんはとても忙しいんだよ」と目を丸くした。
あたかも、多忙な医者の時間を取るな、と咎めるようだった。
が、夫が事情を説明すると、父はそんなことが出来るのかといった顔で感心していた。

実際、父は入院後に初めて、医者との総合的な時間を持ったようだった。
状況の把握が進み、私たちは現状を理解した。

■類天疱瘡(るいえんぽうそう)とは?

本来は体を守るはずの「免疫(めんえき)」が、まちがえて自分の体を攻撃してしまう病気(=自己免疫疾患)の皮膚版。「皮膚や粘膜が、べろんとはがれる」

皮膚の構造:

【表皮】
────────── この接着面が攻撃され、✔水疱✔びらん✔ただれ✔紅斑が発生
【真皮】

■これまでの経緯

大病院でステロイド20mと中等量の投入に限界を迎え、2024年に慶應義塾大学付属病院(以下、慶應病院と略)へ。激しい水疱が、口、喉、食道に。ステロイドを増やすには入院治療が不可避。が、父が仕事を辞める決心を出来ず、回避して2年経過。

今回の経緯は、1月に発症したリウマチーー手足がパンパンに腫れて歩けずーーによる。
涙点疱瘡との関連性はないと医師は言った。父には、父の景色があると思うが、私から見ると、神がリウマチを罹患させた、と思った。父がいつまでも頑張るのでそれを与えた。そうでないと、仕事や家を手放せなかった。
私に映る景色はこうだった。

実のところ、父の我慢強さには、医者でさえ舌を巻いていた。


「24年から食道の皮膚がめくれているんですよ。画像見ます?」見た瞬間、おえっ。吐きそう。画像に驚いた。

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医師:重症です…。こんな状態で今までどうやって…?

   普通は食べられず、入院する人が殆どです…。

夫 :(父が)よく我慢してたね…。

医師:(大きくうなづいて)おっしゃる通り…。
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忍耐強いことは良いことと信じる私だが、時と場合によりけり、とこの時は心底、思った。


■治らない病と希少な症例(糖尿病、感染症…)

医師「この病は、治癒が難しい。今の医学では、寛解(=かんかい)しかない

病気の勢いを抑えるために免疫抑制の治療を開始し、効果は出始めている、と医師は言った。

「まだ口の中は剝けています。ただ、範囲がすこし狭まってきている様子がある。
 あと『歯磨きをしても出血しなくなった』ですよね?明らかに治るのは、まだまだ先。
 ですが、少しづつ反応し始めていますよ」


入院前は、真っ白だった父の顔に精気が少し戻っている。父は、他にも病がある。

・1型糖尿病


かなり珍しいタイプですよね。涙点疱瘡の治療で、ステロイドを飲むと、誰でも副作用がある。血糖値が上昇。その中で、1型糖尿病が最もコントロールが難しい。インスリン量を注意して調整していきます」

さらには、入院前の検査で、感染症の肺MAC(マック)症がありそうと分かった。
「通常は経過観察ですが、桜子パパさんの場合、免疫抑制をかける。だから、その感染症が悪さをしないか、というのが非常に大事な点です


このほか、歯が毎年抜けていた。皮膚の炎症で歯ぐきからごそっと取れてしまう。
将来的に歯が全部抜けるのか、と尋ねたら、今日から歯科の介入が入ったようだ。
医師は父を、「我々も診てて不安になる方」と評した。



■退院時のゴール


・今後、より強い治療をするかもしれない。
・方針を色々検討中で、より詳しい検査や、場合によって抗生剤を飲む、可能性あり。
・皮膚科としては、ステロイドとは別の、免疫抑制剤開始の検討も、再発防止のためにある。


父「……大変な病気ですね。…肺まであると思わなかったなあ…。」



<この先の予定>
・高容量のステロイドを2週間継続、好反応であれば、減量していく。
・薬の効果がいまいちなら、減量の期間の変更や、追加治療を検討。
・重症例では、透析もある。もしかしたら、+αで入院が延びる。



<退院時のゴール>
・容態が安定し、ステロイド30㎎になれる。→以降、外来にて減量を行い、最終的に5㎎を目指す。
※一般的に5mgが①副作用なく②ちょうどいいバランス、という考え方があるそう


したがって
◎通院で「5㎎になる」を目指すために、まずは30㎎での状態安定を目指す。。
 5㎎になるのは早くて2年後、ちょっとづつしか、減らせないのだ、という。難しい、難しい治療のようだ。


身体が暴れる原因に、、酒や食事はないという。ただし、糖尿病だから血糖値の上昇に気をつけて。
ストレスが最も身体に悪い。だから、よく眠り、気をつけながら生活して。



そんなふうにして、話を終えた。

父は私たちと再会した時もそうだったが、終盤になってもまた、同じことを繰り返した。

「自分のためにみんなが動き回ってくれて、本当に申し訳ない・・・!!」

うっすら涙ぐんでいるようだった。
何度も何度も、同じことを言って、医師に詫びていた。


私は帰り道、夫に呟いた。
「ここは病院じゃない?なんで、父は当たり前のことを、何度も言うんだろう?病院は支援してくれるところだよね?」


夫は、
「生きてきた時代が違うんだよ。人に迷惑かけないように、と言われて、お父さんは苦労してきたんだよ」と私を諭した。

「お父さんの長い長い、修学旅行だね」


病院にいることは、旅行だと夫は言った。
そういえば、
長年、家長として父は人一倍、頑張り続けてきた。休みがなかった。


帰りに見た、信濃町駅は心なしか、キラキラ光っていた。


by桜子

2026年、ストレスは突然に(2)

昨日、家族の昇天を経験した人たちと話をした。

ある娘さんは、90歳過ぎの父を見送った。
最後に、病院で治療させたことを、未だに少し悔いていた。

彼女は、父を病院へ預けない選択肢もあったのに、と言った。

今となっては過去のこと。
だが、それでも考えてしまうのは、大事な人だから。



この日は、本当に不思議な昼だった。
私以外の全員が父親を失う経験をしていた。
ひとりひとりの話を聞くうちに、なんとなく、私の番になった。


・2/25、父が、慶応義塾大学に入院。
・2/26、要介護4の母が老健に入居。


1月から父が、起き上がれなくなった。
父は助けてと言わない。だが、珍しく連絡があった。

「急いでベッドを買って!今すぐに!」

目覚めるとき、床につく手の痛みで身体を起こせない、という。
這って母のベッドポールをつかみ、なんとかはいつくばって起きる状態だった。

この父が、介護サービス一切を使わず、母を世話していた。
私は父に、「助けて」や「手伝って」と言ってほしかったが、最後までこれ以外の支援を求められなかった。

私は実家に行くのが大きな苦痛だった。見る現実が辛すぎた。
が、何度訴えても、父の耳に入らず、父は自分の解釈で物事を進めていた。
私は自分の精神を守るため、実家と距離を保つしか、選択肢がなかった。





人にはおのおの、追うべき自分自身の重荷があるのです(ガラテヤ6:5)



落ちていく実家を、未然に防止したかったが、神は各々に重荷を負わせた。
私は、どちらかといえば、祈りと共に行動を大事にするタイプだが、親の運命は祈るしかなかった。




孤立していく実家を見、クリスチャンの末路を思った。

子どもの頃は、クリスチャンの末期は愛で溢れていると信じていた。
だが、そうでもなさそうな話を最近よく聞く。
第一、聖書には殉教者の死が多数ある。ハッピーエンドは天国で初めて実現するんだろう。




わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、
だれ一人自分のために死ぬ人もいません。

わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、
死ぬとすれば主のために死ぬのです。
(ローマ14:7、8)



両親の死を覚悟していた数年間だった。が、まだ二人は生きている。
孤立からも、ようやく解放されたかもしれない。
入院・入居で、家族以外の目や支援が、両親に注がれる。


なんだって私にはこの上なく、ありがたく思う。

ただ、私は一言だけ最後に書いておきたいことがある。
孤立していった親だが、最低限の人たちを神様は残してくれていた。

私は親がこの上なく悲惨になったと思っていたが、
ひとり、ふたりと、親を慕う人たちが残されていた。
これは大きな驚きの一つでもあった。


by桜子

同姓同名集結ギネス記録ならず、アナザーストーリー③|開場前の拍手と、私の結婚

(写真は夫と主人です)

同姓同名集結ギネス記録ならず、アナザーストーリー①祈った朝 | 交差点の、となりで。Since2003
同姓同名集結ギネス記録ならず、アナザーストーリー②|渋谷で広がるつながり | 交差点の、となりで。Since2003
の続き。

一週間前に行われた、ギネスのイベント会場の話。

予定時刻を過ぎても、ホールの扉はまだ閉まっていた。
続々と並ぶ人たちは、そろそろ入場する時間になっていたが、リハーサルが押していた。
誘導スタッフの皆さんは、その頃、壇上にいた。

「外に誰もいないよ!」と、ボランティアスタッフの、花まつり田中宏和さんが言った。
誰かが、外に行って誘導支援をしなくては。

そのとき、花まつりさんがぽつりと言った。
「こういうの、女性が仕切るといいんだけどな…」※あくまで私の記憶内のセリフ

即座に、自分が行くしかない、と思った。
入り口には有志のタナカヒロカズさんらがいて、全員男性。

ボランティアのタナカヒロカズさんたち


恥ずかしかったが、扉の外に行き、まるで現場スタッフのように、大声で言った。
「あと、5分ほどで、開場します~!」

もう、これで大丈夫、
とやや鼻の穴を膨らませて、得意げに現場に戻ると、皆さんが言う。

「前列はあっちですよ!あっちが先に並んでるんです!」

列はまだあった…

見ると、遠くに列があり、折れ曲がって並んでおられる。
そうだったのか・・・!!まずい。現場が混乱したらどうしよう。
すみません。知らなかったです・・・。

ずんずん奥に進んで、同じセリフを繰り返した。
「あと、5分ほどで、開場します!」

私の目には、前列と知ったせいか、皆さんが疲労困憊でイライラしているように見えた。

そうだ、こんな時は自己紹介するといいかもしれない。
そんなアイデアが浮かんだので、思い切って言った。
「こんにちは。私は、渋谷のタナカヒロカズの妻です。いつも主人が、大変、お世話になっております」
そう言って、お辞儀をすると、みるみる空気の流れが変わっていった。

私に視線が集まるのを感じながら、(ああ、もう言っちゃえ!)と、自己紹介を続けた。

「実は、皆さん信じられない話だと思いますが、このタナカヒロカズ運動がきっかけで、
結婚しました。—— 子どもが生まれた日は、ギネス認定の翌日で、 皆さんに、娘の名前を考えて頂きました」


その瞬間、なんということか。パチパチパチ…と大きな拍手が起こった。
わあああああ・・・・・驚いた!なんだろう、これは……!
嬉しい。
そうか、皆さん、タナカヒロカズさんだから、祝福してくださるのか!


緊張していた空気が、ほどけたように感じて、もう大丈夫、と悟った。
皆さんなら開場を待ってくれる。


私は入り口に戻り、
「ああ、大仕事をした」そんな気分でいた。

が、一番の仕事は、この後だった。

つづく

by 桜子

渋谷区長

同姓同名集結ギネス記録ならず、アナザーストーリー②|渋谷で広がるつながり

渋谷のホールに向かう道すがら、私は馴染みの空気を胸に吸い込んだ。
私はここで結婚し、新生活をスタートさせて今に至る。
記憶がよみがえり、嬉しい再会がそこにはあった。


最初に現れたのは松濤マダム(ツイてる私の七夕ナイト | 交差点の、となりで。Since2003)だ。
保育園時代の、私の恩人で、母親が倒れた時、まだ知り合って間もなかったのに、娘の送迎を無償で1か月間担ってくれた、母のような存在。思い出しても涙腺が緩むが、当日の知らせに足を運んでくださった。

「うちのパパも誘ったけど、飲み会だって。あなたに会えて嬉しいわ」

って81歳と思えないバイタリティー。もう、こっちが嬉しいです!
胸がじんとした。



次に、20代の友人がわざわざ来てくれた。
「面白そう、と思って。応援に」と言う。
今度は胸がキュンとした。


名前に関係なく、誰でも参加できるイベント。
私は当日参加を決めたが、神様が必要な人に会わせてくださることがうれしかった。


そして、タナカヒロカズさんとの再会も欠かせないだろう。
ギネス認定の時、初対面だった花まつりさんや、子どもだったブレザーくん。

今では青年になったブレザーくんと、いつも優しい花まつりさん。
あの日と変わらず、明るい笑顔!


よくよく考えれば、渋谷区長の長谷部健さんも、
以前桜子としてお会いしてたから(渋谷区長・長谷部健氏に桜子インタビュー! | 交差点の、となりで。Since2003)まさに再会。


でもこの日、私が“ただ来ただけ”ではなかったことに、
気づくのはもう少し後のことだった。





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つづく

by桜子

同姓同名集結ギネス記録ならず、アナザーストーリー①祈った朝

ギネス挑戦の朝、私は祈っていた。

行くか、行かないか。

結婚してから、ギネス認定の瞬間まで、何度も立ち会ってきた。
でも今回は、少し距離を置こうかなと思った。
平日は仕事、子どもは中学生。親は高齢でふたりとも難病。
優先すべきことは他にある気がした。

夫も「好きに決めていいよ。来なくても全然構わない」と言っていた。


しかし、祈るのは大事である。
実のところ、私は一週間ずっと祈っていた。
神様、どうしたらいいですか?とまだ決めかねていた。


すると、ピコンとLINEが鳴った。

タナカヒロカズ嫁のA子さんだった。

ギネス認定以来、久しぶりの連絡。
「会場でお会いできる?」
よくぞ、何年振りかの私のLINEを見つけ、早朝に声をかけてくださった。



その気持ちが嬉しくて、私は決めた。
「A子さんが行くなら、私も行きます〜!」

せっかくだからと、ブログに宣伝を昼に書いた。
すると夫が、「じゃあ、これやって」「早めに集合ね」と雑務を頼んできた。

なんだ。
「来ても来なくてもいい」と言いながら、
結局、私が行くと助かる何かがあるのね、と思った。



今回のタナカヒロカズ同姓同名は、主役がタナカヒロカズでありながら、
そうではない、と夫から聞いていた。

これからは、同じ名字や名前など、何か接点を通して、
人がつながる大切さを問う、と聞いていた。
みんながつながり、世界の人とつながっていく運動だそうだ。




私は既に、A子さんとのつながりに、喜びを味わっていた。


しかし、これは序の口で、
幾つものつながりが、この後に私を待っていた。

つづく。

A子さんが送ってくれた
ギネス認定後のご自宅写真

by桜子

タナカヒロカズ嫁つながり #タナカヒロカズ家族つながり #SAMENAMEPEOPLE

私の味方はどこに?

ある方が呟いた。
「私の味方って、いるのかな…」


複数の人がいる場で、私は初対面だった。
言いづらかった。

だが、これだけは伝えようと思って、言った。



「この場でそれが誰だか言いませんがーーーあなたの味方はいます」



あとで、その人はそれを「うれしい」と述べておられた。だが、どう解釈されたろう?
それは人ではない。神だ。

(神が、あなたの味方なんですよ)

と、私は、叫んで伝えたかった。



・もしかしたら、今は誰もあなたの味方は、いないかもしれない。
・人はうつろいやすく、あてにならない。
・大事な家族や友人も、永遠の存在ではない。


そんな中で、神だけは、いつの時代も、孤独な夜も、揺るぐことなく、
私たちを一人一人愛している。
だから、神があなたの味方である。

               

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4)

もし神がわたしたちの味方であるなら、誰がわたしたちに敵対できようか
(ローマ人への手紙 8章31節)


信じられないと嘆く人もいるだろう。
私だって、孤独を感じる日もある。

でも、それは本当だ、ということはここに書いておきたい。


by桜子


追伸:タイトルと合う写真を探して、娘の幼少期の写真を偶然見つけました。
懐かしいなあ、可愛いなあ。イヒヒ。

自分を大事にしていい

人には、神が定めた、いくつもの人生の山がある。
大人になって私が乗り越えた「呪い」も、確かに一つの大きな山だった。

私は小学生のころ、日曜学校に通い始めてイエス・キリストを知った。
紆余曲折を経て信仰を持ったが、その後の道のりは決して平坦ではなかった。

若くしてキリストを知ったことが、私を何度も何度も苦しめた。
聖書に書かれている、この世の真理や、清いこと。
好き勝手して、老年期に神を信じるならいいけど、私は先に知ったから好き勝手できなかった。
今思うとそれは神の守りだとわかるが、当時は人生を好きに生きる人が羨ましかった。

「いっそ神を捨ててしまおう」と試みたことは数知れず。
けれど、そのたびに神は不思議な出来事を起こした。
人に話せば「偶然だね」と片づけられるようなことが、私には繰り返し起こった。

――神は私をなぜだか特別に愛している。神が私を手放さない。
降参して、私は今に至っている。

若い頃の私にとって、信仰とは「我慢の連続」であり、
「己を捨てる」戦いの連続であった。

当時、私の教会では合言葉のような言葉が飛び交った。
「頑張らなくていい」
「自分のことはどうでもいいよ。一番大事なのは神様」


その言葉を胸に抱えて、学生時代は特に辛く、また20代も辛かった。
持て余す、若いエネルギーはどうでもよくて、頑張らなくていいとは?
何をすれば神に許され、正解だと言われるのかが全く分からなかった。
日常はこの世であふれていた。修道女ならいざ知らず、
一般人の私は家に帰って祈っても時間が余ってしまい、
週末や、暇な時間を何に費やせばいいか、全く分からなくて悩んで苦しんだ。




結婚が、私に大きな変化をもたらした。
呪いからの解放だった。

夫との会話を通して、私は生きづらさを抱えた人であり、
「若い頃に自己理解を深めてこなかった」という大きな問題に気がついた。

なんのために 生まれて なにをして 生きるのか?
こたえられない なんて そんなのは いやだ!
なにが君の しあわせ? なにをして よろこぶ?
わからないまま おわる そんなのは いやだ!


私はやなせたかし氏の、アンパンマンの歌が大好き。

なにが君の幸せ?何をして喜ぶ?わからないまま、終わる。そんな人生はイヤである。



私は、主にあって、自分を大事にしていい。自分を上機嫌にさせていい。
そう知ったのは、だいぶ前だったけど、まだまだ、アラフィフの自分探しの旅は続いている。

あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、
あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。

(第一コリント6:19)



力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。
箴言4:23


聖書をちゃんと理解している人には、私のような呪いは無関係と思う。
でももしかしたら、読者の中には心の呪縛がある人もいる、かもしれない。
そう思って、今日は書いた。



ああ、どうか、主にあって、皆さん、心と身体を大切に、大切に。
私たちは一人一人がユニークな存在なのだから…!

by桜子

mountain ranges covered in snow

まさか叔父がイッテQに!74歳の挑戦に思うこと

久しぶりにつけたテレビに、まさかの天国じじい。

最近、ずっと机に向かっていた。
勉強しなきゃいけないことがあり、社交、仕事、家事を控えて過ごしていた。

一区切りついた日曜の夜、食卓で娘が何気なくつけたテレビをぼんやりと見ていた。
久しぶりに画面越しの世界に触れた気がする。

その時——。
「えっ?……ちょ、待って!」

画面に映ったのは、まさかの叔父だった。

74歳の挑戦、登山家の叔父

叔父は74歳。イモトさんとの登山は7年ぶり。
この間、イモトさんは「ママ」となり、叔父は日テレにもう出ないものだと思っていた。

驚きすぎて二度見、いや三度見した。
第一、叔父から番宣は来てなかったし…!
興奮しすぎて、この日は思わずLINEでたまたまピンとくる人に連絡してしまった。

「いま、叔父がテレビに出てるんだけど!」

ああ、すごい。

叔父は、私の母の弟だ。
母は今、家に引きこもっている。私が電話しても、電話に出ない。
父に連絡したけど、このテレビを見られるだろうか?

私はテレビ画面に釘付けになった。

「ここから先は登れない…」

イモトさんと叔父が山に登る姿を見て、胸がじんとした。

滑落した中島建郎さんの話も、私は確かに昔、叔父の会社で建郎さんと会っていたと思い出し、「叔父の秘蔵っ子」という死の悲しみやいかばかり、と二人の目に光る涙に心苦しくなった。

ああ、やっぱり山は怖い。
命がけなんだよ。

そんな叔父は、以前、私の連載に無償協力してくれ、
その時に登山をするときの注意を話してくれた。
(※残念ながら、その記事はサイト閉鎖にて閲覧できず)
それで、山がいかに危険であり、リスク管理が大切かという話を聞いたのだけど、
この日はなんと、叔父がリタイヤするという、私の視聴市場初のシーンが出て、非常に心打たれた。

老いの現実を伝えつつ、その諦める選択をした姿は、悲しみとともに、美しく見えた。

夫は、「叔父さんは自ら退くことを決断できる人なんだね。それってなかなかできないよね。」と尊敬の念を込めていった。

ああ、そうだ、以前も、こんなシーンがあった。


何十年も前のこと。
新聞でも報道されたけど、
エベレストにあと少しで目標達成というとき、諦める決断をしたことを聞いた気がする。
私はそれを思い出すと、私はつい、母の言葉を思い出してしまう。

「神様は傲慢を嫌うから気をつけてね」と、ネパール出発前に、母は叔父に伝えていた。
彼がそれを思い出したかさておき、それがあって、今生きている叔父がいる。
もしかしたら、命を落としていたかもしれなかった。

その目立たない「ものすごい勇気」に、私はまた胸が熱くなる。
命あってこその人生。
生きていることは、それだけで素晴らしい。
私、あの人の血が、流れているんだよね…とぼんやり思った。

挑戦し続けるって、すごい

私の叔父は、74歳になっても挑戦を続けている。
私もまた、精一杯、人生を歩みたい。

久しぶりのブログ更新ですが、仕事の時間休をとってまで、書きたくなった今日の想い。
みなさんは最近、どんなふうに生きていますか?

色々あるけれど、一緒に前に向かって、天を仰ぎ、生きていきましょうね!

by 桜子

新年

「私なら神に尋ね、私のことを神に訴えよう」(ヨブ5:8)

新しい年が明けた。
わが家は昨年末に引っ越しをした。

思えば人生で、引っ越しとほぼ無縁で生きてきた。結婚の時も、夫の家に転がり込んだ。だから、荷造りから当日の心得まで、大変であった。


引っ越してすぐ過労で寝込んだ私は、一週間ほど経ってから、夫とご近所へ挨拶巡りをした。
すると、隣は、私の同級生のお母さまが単身住まいであり、
わが家の上は、知り合いのクリスチャンの妹さんがこれまた単身住まいと分かった。


「まるでこの家に住みなさい、と用意されたかのようだね」と、夫は驚いていた。私もたまげた。
いつも不思議なことが起こるわが家だが、そもそも、近所の挨拶だけで、どうやってお互いの素性が分かったのか、という話である。が、これは、割愛する。

兎にも角にも、
私たちはごく自然な流れで、ご近所さんらと知り合い、この新居は神様が用意された、という確信を強めた。

で、あるならば、この地で暮らす私たちの生活を、神が祝福しないはずがない。
磁石のマグネットのように、わが家が用いられたらいい。
何しろ、駅から近いから、うちは便利だ。

今年も神と共に歩む暮らしを胸に、人が生きる意味や日々の仕事や生活について思い巡らす。
皆さんの新しい一年に、神の恵みと平安がともにありますように。

by桜子





Chip Tanaka

世界の作曲家、Motherの田中宏和氏と会う

最近思ってること。

「思ったことはやりましょう!

我々にはもう、ためらってる時間はあまりない!」

大泉 洋

ほんとそうだよね。誰が見てても、見なくてもいいじゃん。
面白かったことや、うれしかったこと、気づいたこととか、書いちゃおう。

ってことで、先日は作曲家のたなかひろかずさんに、バッタリ会った。
昼休み、めったにいかない夫の会社に寄ったら、得した~。
ポケモンのテーマソングを作曲し、ゲームミュージック界のマエストロとして世界的にも知られる有名人であり、「田中宏和という同姓同名運動」で3番目の人。(私の夫は2番目)

「同姓同名運動でも見かけないレアキャラだー!」と私は、彼に会って年甲斐もなくはしゃいだ。
初対面だったので。そして、なぜか、この日はいっぱい話せ、フランクな方だったことも、とてもうれしかった。

奇しくもCDを発売したばかり!糸井重里さんともイベントされたばかり!
MOTHERのおんがく。 – ほぼ日刊イトイ新聞 (1101.com)

More Lost Tapes byたなかひろかず

宣伝しときますね!ってブログ掲載許可もらった!記事はこちら→たなかひろかずは「MOTHER」の音楽や“めざせポケモンマスター”をどう作った? 佐藤優介が聞く世界的作曲家の秘話 | Mikiki by TOWER RECORDS

一緒に写真で、ありがとうございます!

私、超うれしそう。
この日は仕事でストレス過多だったから、ものすごい気分転換になった。

ミーハー魂、炸裂。
恥ずかしいけど、今日も、神様のキセキに感謝。

by 桜子