
ソーセージとベーコンにハム。こちらは販売しておらず、試食のみのブース。とても美味しいので、間違いなく売れたはずなのに勿体ない…!、

ソーセージとベーコンにハム。こちらは販売しておらず、試食のみのブース。とても美味しいので、間違いなく売れたはずなのに勿体ない…!、
2010年8月12日。あれから一年後。
昨年視察したおかげで、香港を少し知り、また先日イギリスに出かけたことで、
世界における日本食のポジションが大いに気になり始めた。
香港のスーパーを視察して驚くことは、
日本語で書かれた食品が非常に多い点である。
そのくせ、パッケージを裏返すと、Made in Chinaとあり、
関係者にその理由を尋ねると、日本語を併記したほうが売れ行きがよいから、
ということだった。
商談ルームで同席したブルガリア人が昨年もきた、と仰るので、
去年と比べてどうかと尋ねたら、去年の方がスタッフの英語力がよかった、
といった。
私は去年、出展してないからよくわからない。
出展チームをみると、日本人同士仲良くやっている。
わがNPOブースの隣はカニを出展している北海道企業で、
お米をちょうだい、といわれ、(メンバーが)差し上げた。
今回わがNPOは、雪山に貯蔵したお米、ジャガイモ、小豆の
3種類を出展したほか、北海道の水も出している。
香港人はお米より小豆に興味があるようで、よく質問を受ける。
九州地方の企業からは、うちのジャガイモが美味しいと
評価されて、またサンプルをねだられ、また気前のよいメンバーが
どうぞ、とジャガイモを差し上げていた。
ジャガイモは雪中ジャガイモで、
雪山にいれて貯蔵したおかげで糖度があがり、
レンジでチンしても、甘く、ほくほくしている。
実はこのジャガイモは、洞爺湖サミットでVIPが食した食材なのである。
ここにきて改めてそのジャガイモをいただくと、つくづく、日本食が一番だなあ、
と思う。
夜遅く、いろんな作業をする。 明日から香港フードエキスポが始まって、夜はパーティだ。
パーティーの事前登録がなされていない旨を伝えたら、「VIVA!桜子さんだから特別ですよ」と、インビテーションカードをありがたく頂く。・・・ブログやってて、ほんと、良かった。
とはいえ、ここに来てから毎日寝不足。そもそも、ここに来る前から睡眠不足は起こっていた。精神的にぼろぼろ、という状態に加え、私の肌も眼のクマもシミもすごい。(シミは寝不足に関係ない!?)昨夜は気づいたら電気つけたまま四時に寝、七時に起きた。
本日はありがたいことに、ミス日本と2ショット話のほか、若干のインタビューを打診頂いている。こんな私にそんなお話をありがとうございます。
でも、ミス日本とお写真におさまったら、どう考えても私が引き立て役ですよね?
そもそも20代と30代、一緒に写ることはイタくないですか?
そんなことを内心思っていたら、Twitterで親友がDM(ダイレクトメッセージ)をくれた。
ミス日本に負けない笑顔で頑張れ!
・・・もう、大好き。ここにいたら、間違いなくHUGしてた。
自分は本当にこういう友のおかげで今日まで生きてこられた。
神様、私に友というプライスレスな贈り物をありがとうございます。
美より笑顔だよ、といってくれる価値観の人に出会えたことは、一つの大きな宝である。
眠たい、眠たいと愚痴っていた私だが、彼のおかげで、元気が出た。
今日も生きていこう!
握手したよ。
なぜこんなことが起こったか?の理由は以下の物語をご覧ください。
☆コインの裏側
第一話 イギリス-コインの裏側
第二話 初めてのロンドン
第三話 ノーリッジ(Norwich)
第四話 英国スーパーマーケット(1)
第五話 英国スーパーマーケット(2)
第六話 ニューキャッスル
第七話 最終話
読んでるヒマはない。もっとブラウン首相を見たい、と言う方はココをクリック。
新政権キャメロン新首相誕生、おめでとうございます!今度そちらへいったらお目にかかれるかしら・・・?![]()
Unbelievable!
On the way from Newcastle to London, I happend to see Prime Minister,James Gordon Brown at the station!
Unexpectedly Sakurako shook hands with him.
Yes, I did!
今日、辞任されました。
そんなの、全然聞いてなかったけど、ちょうどイギリス旅行最終話に
ブラウン首相と握手した話をかけるなんて、このタイムリー性にも、
2度びっくりです。
帰国日の朝、空は曇っていた。
イギリスに来てから連日晴れていたのに、帰る日になって曇りだすなんて、
神様ってばやっぱり私を贔屓してるのね、と悦に入った。(すみません)
昨晩は滞在中の日々を振り返った。そしたら、夜中3時まで眠れなかった。
夜遅く、キティが部屋に来て、お土産のお菓子や本をくれ、さらに昼間に
割り勘した日本料理店Wagamamaの昼食代をご馳走したいと言い出した
ほか、寄れなかったアンの家に、明日の朝、家を発つ前に挨拶しに行こう、
と言ってくれた。
嫌なこともあったが、学ぶことも多い旅だった。
キティを通して、二人が一つになって幸せを得る、というのは、
互いを理解し、尊重し合うことが必要だ、としみじみ思った。
相手の気もちを重んじるときは、自分の欲望を抑える必要がある。
ということは、結婚とは二人が一つになるわけだから、いかに自分を捨て
相手を大事に扱うか、ということが非常に重要なファクターになるのだな、
と思い、この先を考えさせられてしまった。
閑話休題。
翌朝--家を出る20分前に、アンの家へ立ち寄った。
もう会えないと思っていたアンに会い、メールアドレスをもらって写真を撮った。私は満面の笑みで嬉しさを抑えきれず。
そして、出発--キティ母(平日は仕事)が土曜日だからと駅まで車で送ってくださった。
目指すはニューキャッスル駅だ。
駅へ向かう車の中で、私の頬は緩みっぱなしだった。
帰るのがうれしかった。
でもまたキティに「帰国するのが楽しそうね」等といわれるのはマズい、と思い、
両手で頬を横に引っ張った。
到着して、出発まで時間があった。
私はこの駅から約3時間半の急行列車に乗ってロンドン市内に入り、地下鉄を経由して
ロンドン・ヒースロー空港へ行く。長い一日になるなあ・・・と思っていた頃、
思わぬ話が飛び込んできた。
たくさんの取材陣と警備員がいた。なんと、こんな(失礼)イギリス北部の田舎駅に、
スコットランドから英首相が今から列車でやってくる、という。
へー、すごーい
と、事の重要性をあんまり理解せずに、「写真一枚ぐらい撮れるかなあ」とつぶやいたら、
あら、ぜんぜん平気よ、と言われたので、じゃあ撮影してくるー♪と、デジカメを持って取材陣
の中へ入っていった。
ブラウン首相って、どういうお顔なのかしら?
まあ、いいや、皆が騒げば分かるよね、などと思いながら、群れの後ろでカメラを持ち、
両手を上に挙げてシャッターチャンスを狙っていたら、すごいことになった。
ワーワー キャーキャー
首相が降りてきたらしい。ジャンプしたがよく見えない。
無駄にシャッターを押したら、ピーピーと音がして、メモリーカードがいっぱいになった。
あああ・・・こんな時に!と焦って必死になって不要と思われる写真をうつむいて削除を
処理していたら、
背が低いからか、あれよ、あれよ、と人に押されて、気づくと目の前に、英首相が立っていた。
周囲の雰囲気から察するに、そこは握手、の場であった。(証拠写真ここをクリック)
信じられない展開だった。英国を発つ日に、その国の最高権威者と握手だ。
私はなぜか、こういった〝時の人〝と出会う機会には非常に縁というか、運がある。
(さらにこの日はブラウン首相の問題発言2日後のことであった)
ブラウン首相ったら、わざわざ見送りに来てくれたのかしら?
彼は私のファンなのかしらね・・・?
と私が大真面目にいったら、キティ親子に笑われた。
ハハハハハ(笑)
--そして、私の列車が経つ時間になった。
「今まで、お世話になりました。本当にどうもありが・・・・」
と挨拶しかけたら、信じられないことに大粒の涙が出て、泣きだしてしまった。
まさか泣くとは、これっぽっちも思ってなかったから、自分で自分にビックリだった。
別れが悲しいはずはなかった。
ストレスは相当たまっていたし、疲れていた。
だけど、数え切れない恵みと人の出会いと、最後にあった出来事、
これらが私を圧倒した。
予期せぬエンディングは創造主の偉大なる力であった。
私は神様を信じている、と普段言っているけれど、ミーハーであり、
奉仕はあんまり好きじゃないし、祈る力もすごくない。
けれど、こんなに未熟でダメなクリスチャンですら、神様はいつも見ており、
自分の力では到底及ばないことをしてくださる。
神様は確かに生きて働いているんだなあ、と思ったら、感動してんだと思う。
まさか、泣くなんてね。
感謝、という一言では言い足りないくらい、色んな意味で、実りが多い旅だった。
(Fin)
見知らぬ女性アンは、優しく、また機転の利く人だった。
別れ際、「知らない人の車に乗ったと聞いたら驚くはずだから」と、キティ家に挨拶すると寄ってくれ、「よかったら明日車で外へ連れてってあげるわ」と申し出てくれた。
私は彼女の後ろから、ウン、ウン、(行こう)と無言で頷いた。
だが、キティはどうも乗り気ではなかったようだ。
〝アンと一緒にいたかったら、明日の午後アンの家へ行けばいい〝と言い、〝午前中はニューキャッスルへ行こう(家から列車に乗って約1時間)〝と言う。
朝、起きるのが遅く、時間どおりに行動しない彼女。病気なのか、性格なのか、いずれにしても、期待が長引くと心が病む(聖書)の言葉どおり、それを信じてまた心がどんよりするのは、もう嫌だった。
「いいよ、ニューキャッスルに行かなくて」と申し出を遠慮したが、
「私、そこで用事があるからどっちにしても行かないといけないの」と言う。
なんだ。用事があるんだ。また自分のためなんだ。
じゃあ、私も本音を言ってもいいよね。 「じゃあ、午後はアンの所へ行くね」
翌朝――
キティは歯が痛むと言った。「まず一緒に歯医者へ行って、
それからニューキャッスルへ行こう」と言い出した。
ああ、まただ。
「ねえねえ、ニューキャッスルは行かなくていいよ。私、ここでお世話に
なっているだけで十分なんだから。今日は午前中は出かけない」
と努めて前向きに応じたら、
「なんですって! 私と過ごす最後の一日なのに!?」
と、瞬間湯沸かし器みたいに形相を変え、自室にバタンと入ってしまった。
その後のことは省略する。結局、私が折れて歯医者に行き、ニューキャッスルへ行った。
駅で黒いカラスと白いハトを見た。
左が悪魔で右が神様・・・みたいな気がした。
私はいまどちらを彷徨っているのだろうか。今日はどんな日になるだろう。
ああ、神様、助けて・・・!
というような、か弱い声は出なかった。そんなことより、神様は
すべてご存じだから、もう〝身を任せよう〝と委ねていた。
この後どうなるだろう、というつぶやきは、他人の話を聞いているかの
ようだった。
これを信仰と呼ぶか、あるいは怠慢(祈らない罪)というべきか、
どちらになるのかわからなかったが、子供の童謡にもある、
♪かみさまの言う通り♪と思った。
だが、キティは、道すがら、3度も私を試すようなことを言った。
「桜子、日本に帰るの、楽しみでしょう?」
・・・忍耐、だよ、人生は。
渋々出かけたニューキャッスルだったが、駅は巨大なショッピングモールと隣接して、
「桜子、どこか、興味がある所ある?」と尋ねられた時は、ない、と答えるのが厳しかった。(ここへ放ってくれたら一日中遊んでいられる自信があるよ、とは言えなかった)
古い街並みは圧倒的な美しさを放ち、私のテンションは少しずつ上がっていった。
お昼時--日本食を食べたい?と、また、冗談のような質問が来た。
頭が悪いのかと思った(ごめんなさい)。
「私、明日、日本に帰るから、食べたくないよ(笑)でも、キティが食べたいなら一緒にいくよ」と答えたら、
連れて行かれた。 Japanese restaurant WAGAMAMA
お店の前で、にっこりと笑う彼女。ギャグだ、と思った。ブログのオチにしては出来すぎだ。旅に来てからずうっっっと、くすぶってたものの正体が分かった。
そうだよ、彼女ってXXXXだよね???
私は神様に興奮しながら語りかけた。
神様、神様、これはブログネタにするにはすごすぎます。でも、面白すぎるから、私、ぜったいブログに書きます。だけどみんな作り話だと思うでしょうね・・・
心の中で叫んでいたら、
「wagamama大好き!お気に入りなの!」とキティが喜ぶから、
また可笑しくなって、私はシャッターを切るとき、手が震えそうになった。
ぷぷっと意地の悪い笑い声が洩れた時、ハッとした。
この笑いは、いやらし過ぎる。人としてあってはならない、と反省した。
だが、想像もしなかった日本食のレストランのネーミングは激驚き、
と言う単語はないだろうが、本当に驚いた、の一言だった。
そして、その夜――
信じられないことに、私たちの仲は回復した。二人寄り添って、インターネットを見ながら楽しく会話した。朝に喧嘩したことが嘘のようだった。
神様、ありがとうございます。すべてあなたさまのおかげです。
感謝の言葉を、私は手帳に書かずにはいられなかった。
明日はとうとうイギリスを発つ。
(次回、最終回)
”How kind you’re!”の感嘆文はこういう場面で使うんだな、と中学英語を思い出しながら、「ありがとう、ありがとう、あなたはとても親切な人ですね!私はなんて幸運でしょう!」とひたすらお礼を言った。
まるで、テレビ東京の『田舎に泊まろう・イギリス編(現在は放送終了)』みたいだな、と思いながら、番組の主人公になった心境だった。思い起こせば、見知らぬ人の車に乗ったことは(確か)なかったはずだが、番組を見慣れていたせいか、よそ様の好意に甘えない選択肢は皆無だった。
そして、海 ---海だよ、海が見えたよ。
「1,2,3」と私はカウントすると、脱兎の如く、彼女の待つ車へ戻った。
送ってあげる、といったアンは、私を待っていた。
なぜなら、海まで行く道中で、私たちはこんな会話をしたからだった。
「ところで、もし私と会わなかったら、あなたは何をする所だったんですか?」
「車でスーパーへ行くとこだったわ」
「・・・ということは、このあと・・・?」
「スーパーよ。スーパーへ行くわ」
「私、実は海とスーパーのどっちへ行こうかと悩んでたんです!」
と話し、「ほんの数秒間だけ海を見たらすぐ戻ってくるから」
と約束して、車が止まった瞬間すぐさま海へと走り出すと、
数を数えて、駐車場へと駆け戻っていったのである。
神様、ありがとう、ありがとう。
私はどちらか一つを選場なくては、と思ったのに、
あなたは私にその両方を与えてくださいました。
ショッピング籠を手にするAnn
(※ショッピング籠は手で持てるほかに、写真のように片側の取手を伸ばしカート使用も可)
お洗濯の色分けシート
(※この紙を一枚洗濯機の中に入れると、白い服に色物の服を混ぜても色が移らないという優れものだとか。円換算して約500円也)
お菓子。
(ついついこういうのは食いしん坊で撮ってしまいます)
そして、最後にアンはこう言った。
「さっきから話を聞いていると、もしかしてあなた、
スコットさんちに泊まってるんじゃない?
スコット夫人は良い人よ。私たち、仲が良いの。
彼女には娘さんがいたわ。娘さん、病気よね。
ふだん滅多に外にいるのを見ないけれど」
アンとキティ・スコットのご近所事情が分からなかったから、私はずっとキティの名は伏せていた。が、関係が良いと聞き、戸惑いながらもええ実は、と事情を簡単に話した。
「初めて日本からこんな田舎まで来て家にいるのは勿体ないわ。
私はもうリタイヤした人間だし、時間はたくさんあるの。
そうだわ、明日私が車で観光にでも連れてってあげましょうか?
大きなショッピングセンターがあるわよ」
私はアンのほっぺにキスしそうになった。最高だ、と思った。
(つづく)
カレーライスを作ったあと、午後は徒歩20分先にある海へいこう、とキティが言い、
その前にまず昼食用サンドイッチを買いにスーパーへ行こうということで、その日初めて外へ出た。
時間はとっくに正午を過ぎ、これまでの経験から、スーパーまでの距離と、海までの距離(双方は正反対に位置)に加え、彼女の疲れやすい体調を思うとき、これは海へ行かない可能性が高いな、と感じた。
ならば、と私は考えた。
「スーパーでお昼を買ったら、その足で海に行ってランチしよっか?」
ところが彼女はこう言った。
「うーん、わかんない。スーパーで買った荷物の重さによって決める」
私が彼女について理解できないのは、こういうところだ。どうして、予め考えてから、行動しないのだろう。
そういった局面は、この旅のいたるところで、しばしばみられた。
家を出るときはスーパーと海に行こう、と言ったではないか。と言いたい気持ちを抑え、グッと耐えて、気持ちを切り替えた。
スーパー行きは楽しみだ。
イギリスに来てからずっとスーパーが見たかった。スーパーは、その国の文化や生活を知る場である。アメリカとの違いはあるか、どんな台所用品や食材があるのか、じっくり見ようと思った。 スーパーマーケット
しかしその胸算用と裏腹に、キティは用事を済ますとすぐに疲れ、家に帰ることになった。先に帰ってて、と言いたかったが、帰りの道順が分からない。
しょうがない、一旦帰って、またここに一人で戻ってこよう!
と、心の中で固く誓うと、てくてくと家に帰り、玄関を開けて荷物を置くなり、
決心が鈍らないように、自分の意志をすぐさま伝えた。
「ちょっと1時間ぐらい、散歩してくるね! サンドイッチは海辺で食べるよ!」
・・・今来た道を戻ってきます、とは言えなかった。まずスーパーへ行き、そしてビーチをみたい。私はもうすぐ日本に帰る。そろそろ外に出て、見たいものを見てもいいんじゃないかな、と考えた。
「夕方になったらビーチへいくのに」と怪訝な顔を彼女は見せたが、
兎もかく、外へ出させてもらった。
(※ここでひとつ、なぜ私が外へ自由に出入りしないかと疑問を抱いている方へ
補足する。その理由は、キティが部屋の出入りの度に厳重に施錠するため外出しづらかったということがある。この時も彼女は鍵を開けるのに非協力的で、私はこの家を出るのに5分ぐらい鍵と格闘する時間を要した)
話を戻す。
玄関先を出た瞬間、ふと思い出した。そうだ、地図がまったくわからない。私は先ず鞄からペンと紙を取り出した。この家からの道順を記録して出かけなければ道に迷う。
そして、それを終えたとき、残り時間は45分になった。
ヒマな時間は山ほどあるのにどうして観光時間はいつもこんなに少ないんだ、
と嘆きそうになったが、落ち込んでる暇はない。決めなくては。
スーパーとビーチの両方が無理なら、どちらを選ぼう?
物質的な満足より、やはり、精神的な満たしだろう。
よし、海に行こう!
ところが、一度もそこへ行ったことはない。
あっちの方角だ、ということだけは聞いている。
徒歩20分は確かなのか、確認しなくては・・・
と思った瞬間、前方に一人の中年女性が現れた。
「すみません、ここから海まで歩いて何分ですか?」
すると、思いがけないことに、
「今から車を出すところだったから、送ってあげるわ」
と言われた。
私は、飛びあがらんばかりに 喜んで、飛び乗った。
(続く)
3日目の朝、私たちはロンドンを離れ、キティの父が住む北東部のノーウィッチへ移動した。バスや列車を乗り継ぐこと約3時間。その間、兼ねてからメールでは聞きづらかったことを、初めて質問した。
キティの父・・・ノーウィッチ在住
キティの母・・・ニューキャッスルでキティと同居
と聞いている。ご両親は別居中なの?それとも・・?
そろーり、そろりと尋ねたら、父親は既に新しい家族を築き、15歳の娘もいると言う。
え!?そんなところにお世話になりに行くの!?
あなたとその奥様やお嬢さんとの関係は大丈夫なの?
ごくんと唾を飲んだら、全然平気、とキティは答えて、実になんでもないという風だった。だが、いや、全然平気じゃないでしょ、と思った。
もし私が彼女の立場なら、父を取った家族のようなもの。居心地が良いはずはない。
想像力を働かせて、キティの気持ちになってみよう、と考えたが、彼女の心境が汲み取れなかった。
「あと、祖父母もいる」
え!?おじいちゃんとおばあちゃん!?聞いてないよ!
目をまんまるにする私がウケたのか、キティは「今朝急に決まったんだよ~」と笑った。キティの父の両親(つまりキティの祖父母)は90歳近い高齢ゆえに、体調の関係で1週間ほど引き取ることが突然決まったのだと言う。
「そんなに大人数が泊まれるなんて、大きな家なんだね」と、私は感心した。
が、肩身が非常に狭かった。というのも、さらに悪いことにはキティ父の妻側の母が、老衰で入院して、彼女は病院を往復している最中だ、と聞いたからだ。
なんだか、とんでもなく、忙しい家に行くではないか。
どんな強面な女性が出てくるのだろう、今から行く家で苛められるのではないか。キティも内心は、わたしのためにと無理をしているのではないだろうか。
しかし、その心配はなかった。アビーは向日葵のような人だった。
料理も上手で、イギリス版栗原はるみこと、Delia Smithのレシピから、アップルデザートなど作ってくださり、私は初めてまともなイギリス料理を頂いた。
それまでキティと二人、冷たいサンドイッチばかりを食べていた。本格的なテーブルダイニングに心安らぎ、私は、何か手伝うことはないですか、と彼女の家事を手伝って、自分の滞在に際し、とても気を使った。
キティも当然なにかを手伝うだろうと思ったが、一方の彼女はどかんとソファに座ったまま、まったく動かなかった。
どうして、何もしないのか、私には不思議でならなかったが、アビーは一人でも全く困らない感じで家事を切り盛りしていた。
そんなキティは、長旅に疲れたらしく、7時になって「ちょっと横になるね」と言ったまま、朝まで起きてはこなかった。
(つづく)