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sakurako について

Sakurako,a business working woman who live in Shibuya,Tokyo.

会社というもの

今日も会社でいろんなことがあった。

エピソード1.

私がパワハラを受けた。

年上の女性社員とすれ違ったときに、「あ、髪型変わりましたね?」と話しかけたら、返事がコレだ。

「あんた、全然働いてないでしょ!働いてないってウワサだよ!」(コワイ真顔)

私は、笑ってウンともすんとも言わず、黙ってその場を去った。

あとで、なんで社長でもない人にこんな暴言を吐かれなきゃならないんだろう、と憤り、調べてみたら、侮辱行為は上司でなくとも、パワハラだと判明した。

そろそろ訴えてしまおう!!

この人は過去、私が妊娠したときにも、「あんたが憎い」と直接言ってきたこともある。

が、私は知っている。

この人には心優しい面もある。

きっと彼女は私のことが好きなのだ、と思うようにして、我慢することにした。私もこの人をどこかで好きなので、信じたいのである。

エピソード2.

派遣社員の人が、派遣社員間で仲間外れにされていると打ち明けてきて、見たら瞳に水がいっぱい。

私は同じチームではないが、だから話してきたのだろう。聞いていたらあっという間に30分以上経過した。

その話には未確認の部分もあったので、勘違いかもしれないよ、と励ました。

勘違いであってほしい。

が、こういう場合たいてい、合っているのだ。。。

エピソード3.

事務処理で必ず嫌味を言う人がいて、

この人、必ずイヤミを言うんだよなぁ、

と、思いながら連絡したら、案の定、長々とトゲのあるメールを送り返してきて、ガッカリした。

このパワー、なんなんだろう?

もう無視するしかない。

と、そんなこんなで、今日一日が終わった。

仕事よりも、人間関係が一番学びが大きい。会社は実に奥が深い。

働く私を救う、ご近所メシ

これは、今日私がご近所宅で、ご馳走になった夕飯の写真だ。

ことのくだりは、先週末、急遽部長から「来週の月曜と火曜に欠員が出たから、行ってくれ!」と、頼まれた社内研修である。

勉強は良いことだと気安く引き受けたら、火曜の研修後にテストで終了時刻は19時、と判明した。

(…保育園のお迎え、間に合わないじゃん)

夫に予定を聴くと、会食だと言う。

遠くにいる親に頼むかしばらく悩んだ結果、よく助けてくれるご近所さんに相談すると、なんと快諾だった。

「いいわよ。帰り、19時半ぐらい?おにぎり、食べさせておきます。かず子」

で、予定より早くお迎えに行くことが出来た私は足早に娘を引き取りにかず子さんちに行くと、「ついでに上がれば?」と、かず子さんからカレーを頂いたのだった。

ああ、食器を洗わなくていいシアワセ。。

(´∀`)

ちなみに、作ったのは、かず子さんの旦那様で、この日は不在だったので、上がらせてもらえた。

かず子さんは、わが街、渋谷のセレブシニアで、家事はしないのが特徴だ。(家事は旦那様の役目だと言う)

私は、このかず子さんと2年ほど前から急に仲良くなり、今では私の渋谷子育てライフを支えてくれる大事なパートナーだ。

彼女との出会いはちょっと面白いので、後日書くことにする。

老いるほどリスクの高い仕事を引き受ける兵隊

老いるほどリスクの高い仕事を引き受ける兵隊

京都大学の研究発表の文章が、私のFBで、にわかに飛び交っている。
日本はいま高齢社会だから、老いた人がたくさん。私もその予備軍。片足を突っ込んでる。

でも、普通は老いるほどリスクの高い仕事を引き受けないよね。
慣れ親しんだ日常を手放したくないと思うだろうし。
でも、やってみようかな、とか、考えてみるのも大人なのかもしれない。

NHK「まちかど情報室」放映後のハナシ

2018年3月8日、夫の開発したリングケースが放映された日、ちょうど「Makuake(マクアケ)」という、サイバーエージェントグループが運営する日本最大級クラウドファンディングに、リングケース「Grace」を置いたばかりだった。

おかげさまであっという間に目標額に到達し、米国Kickstarterで挑戦したときほどには、ハラハラしなかった。(※下記サイトではまだ購入可能、国内で受け取れる)

購入者の声には、開発者も素直に感動して、ひとつ、ひとつ、読んでいる。

主人は土日も働き続けているが、昨日からは社長がニューヨークに飛んで、【JA Jewerly show】(3/11-13 @Javits Conventin Center)に初出展した。

お洒落のメッカ、ニューヨークでどんな反応が出るか、またもやドキドキしつつ、この成り行きに期待している。

卒園式(1)

生まれて初めて「卒園式」に参加した。
ついに来た!信じられない。あっという間の4年間、とうとうここまで来れた、という感じだ。


さて、うちの娘は、卒園式を数日前からずっと心待ちにしていた。
それは、綺麗な服でお洒落ができる、というのがとても嬉しかったようである。

一カ月前の私は、娘が着たいというピンクのドレスを、保育園(幼児)の式だから好きなもので良かろう、という考えだった。
が、日が近づくにつれ、「卒園式」とは正式な式典で、ブラックフォーマルを最上級の服として、そこから各自がトーンダウンするのが基本の装い、と気づいた私は(ママもしかり。「スーツに合わせるストッキングの色」も、肌色に近いベージュを履くのがマナー)慌てて、娘には濃紺ワンピに白いブラウス、そして、オフホワイトのジャケットを着させ、胸に母親から借りたコサージュを飾って、革靴を履かせた。

実際、行ってみたら、子供はやはりフォーマルが多く、親もたいてい、その通りになっていて、マナーを守っていない人(特にパパ)もいたが、他人はともかく、大事なのは自分が気持ちよく過ごせるかどうかだ。
ファッションはときに、場を盛り上げる役割もあるので、私はTPOに合った紺のパンツスーツとパールのネックレスをつけて、気分が良かった。

次に、髪型である。娘にはハレのヘアスタイルにしてあげたい。

インターネットで編み込みなどの簡単と呼ばれるヘアスタイルが沢山あったが、当日に試してみたら出来ないこと、この上ないので、結局いつもやっている髪型にして、髪飾りをつけてあげた。

つまり、頭の両サイドの髪を少しすくって、結んで、ねじって、最後に一か所スワロフスキーみたいな光る石が1つついているUピンを指して、特別なのは、ホットカーラーで髪を巻いたこと。
(この長たらしい文章も、あとで振り返ったら、きっと懐かしくなるだろう)

いやー、女の子のママは大変だわー、と思いながら30分以上経過して、これから小学校でも娘の髪を結び続ける自分を想像し、かつて私も母親によく結わえてもらった、と回顧した。

で、肝心の卒園式だが!

部屋に入った瞬間、桜の匂いがするような、優しい空気に包まれた。正面を見たら何人かのママたちが私に寄ってきて、「ねえねえ、どれが自分の子が描いた絵かわかる?」と言ったこの瞬間から、胸がいっぱいになった。

この、ママたちとの出会いは、娘がくれた。
ママ友、という初の人種に、かつてよく悩んだものだが、結局のところ、何も問題は生まれなかった。

子供達、一人一人が自分で書いたという似顔絵(冒頭の写真)を眺め、
卒園式は私にしてみたら、娘よありがとう、の一言に尽きる。

べべ(仮称)が生まれて、私たち夫婦の朝には、眩しい生命力が満ち溢れるようになった。

子供は宝である。

NHKおはよう日本に出た、ありがとうのリングケースはコレ!

購入、お問合せ先を探している方向けに情報を集めました。
まずオンエアの内容は下記の通り。

な、泣いてる…!

このリングケースの商品名は「グレース」購入やお問合せはこちら
使い終わった後は、お部屋のインテリアに。

NHKのサイトからもチェックできます。「まちかど情報室」

NHKさんありがとう!見てる私も嬉しかった!

【放映お知らせ】明日、NHK「おはよう日本」に出ます

明朝、NHK「おはよう日本」という番組に、うちの夫が開発した製品が取り上げられることになった。
おそらく“まちかど情報室”という、生活を豊かにしたり、便利にするグッズなどを紹介するコーナーでオンエアされると思う。それなら6時45分頃から放映されるのかな、と想像しており、もし良かったら、録画してみてください。
(※どこで、どういうふうに放送されるのかよくわからない)

それにしても、夫は仕事が大変好きな人で、今朝4時に珍しく早起きした私が彼の居場所を確認すると、まだ職場であった。それで彼の場合、朝9時には娘を保育園に送る日課をこなす。まさに、命を削っているかのような働きぶりだ。さすがに、心配になった私も、今日は私が保育園にいこう、とひそかに思い、今これを書いている。

というわけで、今から朝ごはんの準備だ。
今日はお知らせまで!

暗くならない葬儀

先日、ご葬儀の受付をほんの少し、手伝わせていただいた。

私にとって、教会の葬儀で受付は初体験。教会の葬儀自体も久しぶりだった。

一緒に受付を担当した姉妹が「不慣れで・・・」と事前に仰っていたわりには、プロと見間違うほど上手かったので、焦った私も精一杯、失礼がないよう、務めた。

さて、定刻になり、お別れ会が始まった。
私は受付に立ちながら室内に流れる司会者の声を聞き、祈りの声を聞いて、今日は来てよかったと感じながら、「教会の葬儀は実にいいなあ」と素直に思った。

2016年に義父が召され、身内だけで静かに見送ったが、どんなに地味に行っても、葬儀は悲しみや暗い気持ちに包まれる。一方、教会で行う葬儀は、もちろん悲しみが伴うが、同時に希望がある。暗さがないのだ。なぜなら、教会では「死んだら天国で再会する」と皆が信じているからだ。これは、

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます」

という聖書の言葉に起因している。

だから、葬儀には、「またいつか会う日まで」という聖歌にある通り、しばしのお別れ、と捉えている。

死はけして終わりではない。そう信じている人たちがお別れ会を行うと、神などいない、とふだん豪語する人でも、参列した途端に不思議な安堵感を感じるのではなかろうか。

「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。」伝道者の書7:2

終了後、私は帰宅すると、夫の葬儀が気になった。
今のうちに、彼のその時について意向を確認しよう、と思った。

「ねえ、ねえ、あなたが亡くなった場合なんだけど、教会式でやっていい?」

夫は間髪入れず、「俺が死んだ後のことなんか、知らんわ」と言った。ごもっとも、と思いながら、「じゃ、好きにさせてもらうね」と言った。葬儀は故人のためにあるのではなく、残された家族や関係者のために絶対的に必要なもの、というのが私の持論だ。私の納得がいくようなスタイルで、彼が亡くなったら別れをすることにしよう。

とはいえ、今はまだ、夫と離れたくない。
彼の健康が不安になるたび「彼はわが家に必要です。まだ取らないでください」と訴え続けている。