月別アーカイブ: 2017年3月

さよならマツエク

働くママの味方、時短メイクの王道マツエクこと、まつげエクステンション。

私も職場復帰後、マツエクは便利で、簡単、綺麗、と愛用していたが、利用店舗を変えて施術してもらったところ、初めて眼が真っ赤に充血し、角膜炎と結膜炎を併発した!

オーマイガッ!!

すごいショックだった。

眼科医いわく、「両まぶたにエクステの接着剤が付着している」と。
✳︎普通、接着剤はまつ毛につける

それって、施術が下手だった、ということ?

眼科医からは即刻外すようにとお達しがあった。

きぇ〜〜!
外します、外します、って感じ。

慌てて、駆け込んだのは言うまでもないが、私はこれで、生涯マツエクとさよならしよう、と決心し、

ふっと、

これはこれで、結膜炎になって良かったかもしれない、と感じた。
というのも、マツエクは月一回通い、1時間半ほど横になってお金と時間を投資する美容で、ママになってからの私は、これがもったいないなぁ、と感じることが増えていた。

一番もったいないのは、外側をせっせと磨く施術時間で、そんな暇があるなら本でも読んだ方がいいんじゃない?と、続けながらも、毎度、心の中で格闘していた。

出産して、世の中に対する価値観がかなり変わった。特に、自身のルックスに対する執着心は独身時代に比べ、グッと減った。

(めでたい!)

ジェルネイルは時々やりたい衝動にかられつつも、通う時間がもったいないので五年前に卒業した。

近年はカラーリングする時間も同様に思い、そろそろ白髪も出てくる歳なのに、カラーリングを辞めてしまった。

思えば20代では資生堂の最高級化粧品(当時)クレド・ポーを使ってフルメイクだったのに、今ではオーガニックコスメを使っているのだから、歳を重ねて、どんどん素に戻ってく感じ…。

なんだかな、と思いつつも、

これはこれで結構いいなと感じる今日この頃。

さよならマツエク

by桜子

堀江貴文の新書「すべての教育は『洗脳』である」を読んでたら

「ブログで稼げる」とホリエモンに、昔言われた記憶が甦ってきた。

桜子ブログ限定の単独インタビューをしたときである。

当時、私はそれをヨイショと勘違いし、「いやいや」と苦笑いして本気にしなかったのだが、
今思えば、彼が私を褒める義理はなかったし、そもそもお世辞が嫌いそうなタイプだった。

惜しいことをしたもんだ。
あれあれ、私はどうして素直にホリエモンの言葉を受け入れなったのかと内省していたら、
先ず第一に、“私には出来ない”と思っていた。これをホリエモンは『洗脳』と呼んでいた。
なるほど。本を読んで、しばし空を仰いだ。

ホリエモンの本は、先月インタビューした山口周(経営コンサルタント)の発言ともかぶった。


山口「ホントはたくさん選べる道筋があるのに、自分で自分の可能性を凄く狭くしている気がします。この会社じゃ親に言えない、とか大学の同期に馬鹿にされるとか、みんないっぱい、みっともない自分にならないようにウヨウヨ考えていると思うんですけれども、それがなくなった途端、非常にシンプルに自分が楽しいことや、住みたいところを素直に選べる気がしますけどね」

出産して職場復帰したら、よその会社の人から、「なんで会社勤めしているの?」だの「どうして好きなことをしないの?」と言われることが増えた。つまり、夫の収入をベースに、妻の君は好きなことをして生きればいいじゃん、というアドバイスである。

それで、私もずっと、言われて初めて、好きに生きていいのか!と思い直し、自分は何が好きなんだろう、とアラフォーにして遅い自分探しの旅をしはじめているわけだけど、聖書の言葉も思い出した。世界一の富を築いたソロモン王の言葉だ。


私はこのむなしい人生において、すべての事を見てきた。正しい人が正しいのに滅び、悪者が悪いのに長生きすることがある。あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか。
悪すぎてもいけない。愚かすぎてもいけない。自分の時が来ないのに、なぜ死のうとするのか。
一つをつかみ、もう一つを手放さないがよい。神を恐れる者は、この両方を会得している。


幸いなことよ。知恵を見いだす人、英知をいただく人は。
それの儲けは銀の儲けにまさり、その収穫は黄金にまさるからだ。
知恵は真珠よりも尊く、あなたの望むどんなものも、これとは比べられない。
その右の手には長寿があり、その左の手には富と誉れがある。
その道は楽しい道であり、その通り道はみな平安である。

知恵ある者になりたいものである。~~~\(‐ ̄ )

by桜子


書籍メモ:(「すべての教育は『洗脳』である」抜粋、一部私の編集)

・日本には、僕のような「我慢しない人」を軽蔑する文化がある。そして、「我慢強い人」を褒め称える文化がある。
・投資の本質は先読みだ。自分が何を求め、どんな社会でどう生きたいのか考え抜くことが求められる。
・インターネットの登場がもたらした恩恵は・・・(中略)「所有」の価値を著しく下げたこと
・これからの幸せは「快」のシェア・・・(中略)つながりが関わった人たち全員に豊かさをもたらす。この共感が、これからの世界を動かす原動力だ。
・自分が好きなもの、楽しいと思うものを形にしたら、それに世界中の人が反応してくれた。(例:ピコ太郎)
一つにつながった世界では、こういったグローバル級のヒット現象が当たり前のように巻き起こるのだ。(これからの時代はスペシャリスト)
・没頭している何かについての価値判断より、できていない部分の量によって「バカ度」を図られるのが学校という場なのである。自分で自分のやることを決め、それによって生きていくのであれば、オールB人材でなくてもいい。
親、教師、世間の大人(中略)は、子どもや若者の「没頭」を極端に嫌う。欲望はコントロールできない、という理屈からだ。学校は「禁止」で洗脳する。非常にコストの安い教育手法だ。教師は禁止の柵からはみ出したものを叩いておけばいい。今からでも遅くない。「~してはいけない」という禁止の言葉がよぎったら全力で抵抗しよう。
・大切な教養はそれぞれが好きなことをしていく中で、必要なタイミングで身につけるものだ。
・投資型思考が(中略)大切にすべきは「コスパ」だ。時間対効果、費用対効果。重要なのは知恵。
・「手抜き」で「やりたいこと」の時間を作れ

小学生アフタースクール問題を先取り

わが社には、働くママパパクラブがあり、今日は数カ月に一度の会合が昼休みにあった。
会合といっても、集まって一緒にご飯を食べるだけ。
それでも私の貴重なコミュニティ場に、私は喜々として参加した。今日の参加者は11人也。
口をモグモグしながら、私のアンテナが最も敏感に反応した話題は子の小学校問題である。

すでに子が小学生デビューしているワーママらによると、
小学生になると
①鍵っ子になる ②学童に入る
これは至極当然ーーと受け入れていたが、いかんせん、専業主婦の家庭で育った私はまずそこでモヤモヤした気持ちになってしまった。

まず、“鍵っ子”に私は少し、いや、とてもネガティブなイメージを持っている。
平成の今は違うのだろうか?

昭和の時代は、鍵っ子といえば経済的に恵まれない子が多かった。
(あるいは私の住んでいた地域だけの問題だったのかもしれない、それはよくわからぬ)
学童についても、家庭に何らかの事情がある、という子だけが入っていたので、
幼心になんとなく暗い印象を覚えていた。

今の時代は、働くママが増えているので、鍵っ子の実態も違えば学童の子も多いと推察するが、私は娘が小学1年になったら、家でクッキーでも焼いて、「おかえり〜」とエプロン姿で迎えてあげたい気がする。
あくまで理想だけど。

夫は先日、そんな私を知ってか、
「べべ、小学生になって学校が終わったらさ、パパの会社においで。パソコンとか使っていいよ」
と、言っていた。

「うちで、プログラミングとか覚えたらいいじゃん」
と、早くも娘にPCを与えることを楽しみにしているふうであった。

なるほど夫の会社を学童化する、という手段があったか!と、私は目から鱗であった。それなら、娘の放課後も安心である。
とはいえ、夫を頼りにするには限界もある。
学童があるだけでも十分ありがたいとは思うのだが、どうしても“家庭”のような、ほっと寛げる場で私が帰宅するまでは子供をリラックスさせてあげたい、と思うのは高望みなのだろうか。

まだ見ぬ世界に向けて考えることは次から次へとキリがない。