月別アーカイブ: 2008年7月

夏の満員電車

夏の朝、満員電車ほど恐怖なものはない。

うだる暑さの中、汗だくになった人の体が密着するという不快以上に
恐るべきはキレる人の続出だ。私はそれが一番怖い。だから私は早く行く。

どうして他の人は普通に会社に行けるのだろう?
怖くないかと尋ねたらキレる人にあわないと言われた。え、私だけ!?

しかし今日はいつもより少し遅れた。

車内はやや混んでおり、座っている人はみな寝ている。
眺めていたら、寝ていた男性の一人が何やら様子が変。
なんと隣の男性の足を眠りながら小突いていた。1回、2回、3回・・・

やがて、隣の男性が目を覚ました。
そりゃ、そうだ。見ている私が気がつく位だから。
そしたら、なんと、おなじく小突き返した。うわ~。やめて~。

すると仕掛けた方の男性は、(なんだ~、こるぁ(=こら)!!)(▼皿▼ヽ)
と言わんばかりの顔で目を開けた。睨んでいる。・・・恐い。

しかし隣の男性は眠っている。

そう、この2人は居眠りしながら小突き合っているのである。
もはや、寝てないのは明らかだ。

やーめーてー。私は叫びたかった。

見ていたら怖さのあまりグッタリ疲れ、やがて電車は赤阪を通過する。

「ちょっと、大丈夫ですか?」--後ろで中年女性の声がした。

振り返ると今度は女性陣だ。隅っこで若い女性が具合を悪くし、しゃがんだようだった。
声をかけた女性は、「座ったら楽になるから。ね、あなた、座りなさい」と遠慮している彼女に
席を譲った。彼女はすみません・・・と謝りながらもほっとした様子だった。

ああ、こういう光景に出合うと私もほっとするよ。

「ちょっと、あんたたち、小突き合ってる場合じゃないでしょ!!」(;`O´)o

と、思わず男性に言いたかった。いや、言えなかったけど。

08年昌の会錬成会

年に一度の一同集まって書をしたためる会。
20080726124325.jpg 大宮八幡 20080726133044.jpg マエちん

20080726143856.jpg 黛まどか句
「天高く 巷はおとこが あまりおり」

書いたら「あなた、やめなさい」とマエちんに怒られた。

ちぇ。面白いと思ったのに・・・と書き直す。
20080726143913-1.jpg 詩篇
「涙をもって種を巻く者は 喜びの声をあげて刈り取る」

タスケテタスケテ

夜寝るときタスケテと言いながら眠ることがある。

自分でもクラい、と思うが、仕方ない。私にとっては叫びのようなものである。
もしかしたらそれが神様への祈りになっているかもしれぬ。
だから今夜も言おう。タスケテタスケテ。

目をつむると、あと自分は何年生きるのかなと思う。

先日ある社長が色んなことを気にしないコツを教えてくれた。

「こんなのな、長い人生振り返ってみれば大したことない。
 あっというま。淡々と、淡々と」

確かに、人には終わりがくる。
振り返るそのとき、私は、もっと強く歩めばよかったと後悔しそうだ。

そういえば恐れてはならない、おののいてはならないと聖書にあった。

きっと私以外にも沢山の人が今夜タスケテと言ってるのかもしれない。
でなければ、聖書にあんな命令は書いていないだろう。

 あなたを造り、あなたを母の胎内にいる時から形造って、
 あなたを助ける主はこう仰せられる。 「恐れるな・・・」 (イザヤ 44:2)

 恐れるな。わたしはあなたとともにいる
 ・・・わたしはあなたを強め、あなたを助け、・・・あなたを守る。 (イザヤ 41:10)

神様、タスケテタスケテ。

再会を願う年齢期限

私は最近アンチエイジングという言葉に敏感だ。
微妙な年齢で、しかも独身だから気になるのだろう。
50代の人はまだ若いと言うが、20代はそう思わない。
でも、まあ、けっこう今の年齢は嫌いじゃない。年齢に好きもへったくれもないけど。

そんな私が最近気になることは、懐かしい人との再会だ。
職場の人は一緒に年齢を重ねているから大して気にならないのだが、長らく会っていなかった人に会うと、ショックを受けることがまれにある。まるで、見てはいけないものを見た気にさせられる。
そう、想い出のまましまっておけば良かった、という風に。特に好感を持っていたりすると尚更だ。

反対に相手が変わってないとメチャメチャほっとする。
一生懸命話しかけて、相手が変わっていないことを自分にインプットさせる。
なるべく白髪とか皺とか見つけないようにする。「変わってないねー!!」なんていうように。

しかし、年齢を重ねることは、人として避けられない。
相手も年をとる=自分も年をとる。
自分が相手をそう見るということは、相手もそう思うということである。

昔の人に会って、「懐かしい~、元気!?ヽ(´ー`)ノ」と再会を喜ぶのは、何歳までだろう?

結婚したり、50過ぎたら達観するのかもしれないが、自分に限っては30代まで、かな?

神様はいますか(2)

宣教師ベック氏の話を先週、聞いた。

毎日曜、礼拝という場で色んな方の口を通して聖書のお話を伺っているが、
「人間は・・・心がかき乱されることでいっぱいです。by聖書」の通り、
休日は日頃の疲れと心配事が頭の中を占め、聞く準備が出来ていないことが多い。

しかしその日は休暇日で、睡眠も十分とっていたので頭が冴えていた。
そうして改めて耳を傾けていたら、へえーっ、と思うことばかり聞いた。

何度も似た話を聞いているはずなのに、やっぱり普段はこの世の雑事で頭がいっぱいらしい。
まるで初めて聞くかのような衝撃だ。

たとえば、

「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。
 そこではむしとさびで、傷物になり、また盗人が穴を開けて盗みます」

「自分の宝は天にたくわえなさい・・・あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです」

「自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、
 また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。
 いのちは食べ物より大切なもの、からだは着物より大切なものではありませんか」

・・・そうなんだけど。

将来の備えを、と人は言うし、『人は見た目が9割』がベストセラーな世の中で、
ほんとに?ほんとに?と、思わず聞きたくなってしまう。

そうなると、自分が神様を信じていることが実に不思議に思える。
なぜ私は信じているのだ?

ここで話を脱線して、信じることが徳か損か、という話にいこう。

・・・告白するのは若干怖いが、私は「損」だと思っている。
その理由は後日触れる。がしかし、それは間違いらしい。というのは、同じクリスチャンのパウロという人はこんな告白をしている。

「キリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。
 私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています」

多分、自分はマリー=アントワネットなのだ。
ケーキとパンが当たり前すぎて、いかに恵まれているか、今ある素晴らしさが分かっていないのだろう。

で、話を戻して、だと私の場合思っているにもかかわらず、じゃあ信じるのをやめましょ、と言われたら、なんとそれが出来ない。仮にしたかったとしても!

それは、第1に信仰は損得ではないこと、第2に信じるということは理屈ではないからだ。
鈴木光一著の『リング』『らせん』に似ている。
あれは、一度知ってしまったら知らなかったことに出来ないという筋の物語だが、それと同様、信じるというのは、知ってしまった事実であり、もう戻れない。ある種のホラーだ。

しかし、この場に近づくことで、私は過去、人生に関する多くの疑問について答えてもらった。

すなわち、

 ・私はいったい何のために生きているのか。
 ・私の人生の目的は何だろう。
 ・どうして神は、私をつくられたのか。
 ・私は自分の人生で何をすればよいのだろう。

・・・明日からまた会社だ。今日はこれにて m(__)m