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聖書が教える育児

昨年、聖書の観点から書かれた育児本を頂いた。
ずっとこのような本を探していた私は飛びあがりたいくらい嬉しかった。
というのは、聖書に基づいた育児の価値観が知りたかったからである。

一気に読み進めるのがもったいなくて、少しづつ読み進めている。
ちょうど、先日の夜は、こんな箇所を読んだ。

【親の言うことを聞かない子をどうやって聞かせるか?】
この問題で悩まない親は1人もいない。すべての親は、子と日々格闘している。
この育児本では、上記の問題に対して、以下の対処は間違っていると書いてあった。

1)賄賂を使う方法(お菓子をあげるから、買ってあげるから、○○しなさい)
2)感情に訴える方法(あなたが○○しないとお母さんは悲しい)
3)罰を与える方法(○○しないと、テレビは1週間禁止よ)
4)行動を修正する方法(○○をしたら、シールを一枚づつ貼るわ)
5)私もちゃんと育ちましたから的方法(ママもおばあちゃんに○○するよう言われた)

夫にこの話をすると、
「たいていの親は、今言った方法で対処しているよね?それがダメなら、どうやって対処すればいいの?!」
と言った。

私も、
「だよね。その答えが次の章に書かれているみたいなんだけど、まだ読んでないの。」
と言って、夕食を終えた。

その夜。
娘をベットで寝つかせていると、夫が傍らにいたせいか、突然泣き出して
「あっち(リビング)のお部屋行きたいの~!」と大声で遊びたいと喚きだした。

今まで、わが家ではたいてい、このような状態になると、
体力のある夫が娘を抱きかかえ、リビングで娘の願うとおりに遊ぶのだが、
この日は明らかに就寝時間であって、娘が本心から遊びを希望しているというより、
ワガママだと(私には)見えた。

それで、私は絶対にダメだ、と言った。
夫は娘の言うことを聞いてあげたい風だったが、私が先に宣戦布告を訴えたので、
私に加担せざるを得なくなった様で弱ったなという態度だった。

そして、彼は娘を指導し、懸命になだめるも、べべは泣きやまなかった。
私は私で夫が対処してくれている間に、次の一手はどうすべきか頭をフル回転させて考えていた。
「そんなに泣くなら、一緒に寝ません。パパとママは(寝室を)出ていきます!」

しかし、ハッとした。罰を与えてはいけないと夕食時に話したばかりだった。
でも、どうしたらいいの!?

娘の泣き声がこだまする中、頭の中がぐるぐる回って、
ああもう!と思い切って私は夫に寝室を出ていってくれるようお願いした。

娘と私、ふたりきり。
そして私は、ママの話を聞いてと言った。

娘は泣きながら、「パパ、どこ行ったの?」と聞き、話を中断しようとしたが、
私は根気よく、「パパには出てってもらいました。あなたと二人きりでお話をしたかったからです。」と何度も答えた。

そして、私が娘に話したことは、
・パパとママが結婚してべべが産まれたこと。
・パパとママは神様からべべを授かったこと。
・パパとママは神様から授かったから、べべを育てる義務があること
・パパとママは神様から預かったから、べべを監督する義務があること
・パパとママの言うことを聞きなさい
・大きくなったら好きなことをしなさい

これらの話を娘にこんこんと説明したら、娘はすーっと寝てしまった。

このひと騒動後、戦いを終えた兵士のように隊長(夫)のもとへ戻って行き
「寝た・・・」と報告した。
そして、夫に「さっきの本の続き、読まなくても答えが分かった」と言った。

あとで、次章を開いたら、次のように書かれていた。

エペソ6:1
子供たちよ。主にあって両親に従いなさい。

夫は理解したかどうかはともかく、べべがその話を(泣きやんで)黙って聞いていた、っていうのがすごいよね。と言った。

私は、子育ての大変さと神の奥義に改めて深呼吸をした。
そして、聖書に認められている通り、子供というのは親が意識していようがいまいが、もっとも神様に近い存在として誕生している神秘を思わされた。

育児は、娘だけでなく、私にとっても非常な学びの連続である。

一年前の1歳バースデー

2012年10月16日火曜日、べべは一歳になった。

 私の作ったお誕生日ケーキ☆

このケーキをみると思いだす。
誕生日の前日に急遽、実母がスポンジケーキを焼いてもってきてくれたこと。

ならば、と誕生日を迎えた当日の朝6時半、娘と夫が寝ている間にカーディガンを羽織って、近所のマルエツプチ(スーパーマーケット)に生クリームを買いに走ったこと。朝の忙しい時間だというのに、娘をあやしながら、生クリームを泡だて、果物を切って、デコレーションを頑張ったこと。そして、慌てて近所のママ友らに「ケーキを焼いたんだけど、食べにこない?」と誘ったこと。
(※娘が誕生日というのは内緒にした。気遣いさせると思ったので)

それで、結局、その日は10~12人(子を含む)がわが家にいらしてくださった。
すごくありがたくて嬉しかったが、私は会が終わった後、片づけなどをしていたら、ちょっと・・・な気持ちになった。

一年たった今だから書ける話だけど、

私はこの日、家は賑やかだったけれど、心は小雨だった。
というのも、自分がホステスとして忙しく、肝心の娘と向き合う時間が殆どなく、いったい誰の誕生日だったんだろう、と思ったからである。それで、自分はいったい何を見て過ごしているのかなあ、と思った。

だけど、

すごいなあ、と思ったのはその後の3日間だった。

私を落ち込ませたそのケーキが、余ったことによって、(ケーキを巡って)1日一人、来訪があり、娘の幸せを祈る機会が3度も与えられたからである。
そして、私はすごく満たされて、そのことにも驚いた。

というのは、
改めて自分が本当に神様の存在を信じているんだなあ、と思わされたことと、神様はやっぱり一人一人に良くしてくださるんだなということを実感したからである。

      *        *        *        *

明後日はべべの幼なじみパリちゃんの2歳のバースデー。
フランシス一家もまた、神様に祝福された一日を過ごせるようにと祈っている。

広島バイブルキャンプ

夕方、広島エアポートホテルに到着。

娘と初めて、こども集会に参加。
聖書のお話だけを聞くのかと思ったら、歌やお話の後、カード作りをしたので、ビックリ!

堅苦しく考えていた私には目からウロコで、

集会の人には、楽しい思い出を作ってくれたら、といわれた。

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バースデーカウントダウン

今日はべべ11ヵ月のお誕生日。
さらに、私の誕生日の一日前である。(ワクワク♪)

両親から急にメールが来て、
お祝いに実家に食事に来ないか、と言う。

ありがたいが、最近の私はかなり子育てに疲れ気味。
ベベは可愛いが、睡眠不足と疲労でクタクタ。

「だったら、うちに来てくれる方がありがたいんだけど・・・」
と言ったら、母親がパエリアを作りに父親と共に来てくれた。

お昼前、家であらかじめ洗ってくれた野菜でサラダをつくり、
サフランをお湯でふやかして素晴らしいご馳走があっという間に完成した。
改めて「明日のお誕生日はママのおかげです」とお礼を言った(つもり)。

そして、両親が揃ってうちに来てくれたので、
久しぶりに思いっきり相談したいことを話した。
意外と二人に何かを話す、という時間はないものである。
というのも、最近の主役はもっぱら娘であって、私が出る幕はあまりない。
今日ぐらいはワガママでいいよね、と思って話したらスッキリした。

父親はそれを聞いて、こうせよ、というアドバイスを何度も私に繰り返した。
(又おんなじことを言ってる・・・)と思ったが、それは私がいつまでたっても、その通り動かないからである。

(さすが、お父さんだなあ。よく気がつくなあ)と、内心感動しながら、
(親ぐらいだよ。こうやって苦言を呈してくれるのは)と、ありがたく思った。

この歳になると、誰かから指導される機会が減っていく。
話を聞きながら、いつかやってくる両親との別れの時がチラリと頭の片隅に思い浮かんだ。
愛する親がいなくなったら本当に辛いものである。

別れ際、父親が珍しくべべを(私の代わりに)ずっと抱っこして近所を散歩してくれた。
「(重いだろうから)代わるよ」と言ったら、かたくなに父親が拒絶した。

どうやら、私が抱っこすると、私の身体に負担がかかるので、思いやってくれたようである。

親はいつまでたっても親なんだなあ・・・・と思ったと同時に、

「いつまで抱っこできるかどうか(健康状態が)分からないから」
と言った父親の言葉にしんみりした。

私がこの年まで無事に生きてこられたのは、この両親あってこそである。
本当に酷い娘だったけれど、(今も進行形だけれど・・・汗)
このお父さんとお母さんに育ててもらったことは私の人生における最大の幸運だった。

家族って不思議だなあ。

今からは、私がべべの長い道のりを寄り添って歩いていく番。
何歳まで生きるのか分からないけれど、今からの人生も神様にすがって生きていきたい。

お父さん、お母さん、結婚してくれて、ありがとう。
私を産んでくれて、(人生は辛いことも多いけれど)本当にどうもありがとう。

必要なものはすべて与えられる

年末年始、私のブログ更新は滞ったけれど、
いろんなことが起こった。(と、思う)

今日はそのうちの一つ、
クリスマスの翌日にあった話を書く。

ベベ(マイベビーの略)との二人暮らし(+夫)も2ヵ月目を迎えて、
我が家に少しづつ他者との交流が始まってきた。

ある方が、「うちに来たい」と仰って、
私がべべの育児で家事が出来ず、
部屋が散らかっている、と答えると、
「そんなの産後は当たり前よ。自分でお茶持っていくから」と
仰って、ホントにご本人自らお茶の葉とお菓子を持参して、
サクサクと遊びにきてくださった。

実は私、こう見えても、けっこう人見知りで、
その日のお客様は面識あれども、
深い話をしたことがなかったので、
緊張していた。

だけど、その方は気さくでトーク上手だったので、
私はフムフムと聞かせて頂くだけでよかった。
さらに久しぶりのオトナ時間はとても楽しかった。

で、本題はその後。

帰り際に、部屋の隅にあった三浦綾子の本を見て、
彼女が言った。

「あ、三浦綾子の本。
 本といえば、Amazonで買おうと思った本が絶版になっていてね、
 代わりに『XXX』を購入したんだけど・・・」

というので、私はすかさず別室にいき、
「一日遅れですけど、クリスマスプレゼント」と彼女に渡した。

「!?」

訝しげにする彼女。

「いや、その三浦綾子の本も、もし読んでなかったら差し上げようと
 思っていたんですけど、これは神様が今日○○さんに差し上げなさい、と
 仰った本だと思う。だって、これ、どなたかに差し上げようと、
 たったひとつだけクリスマスのラッピングをして残っていたから」

そう、そのラッピングの中に入っていたのは、絶版だという、
彼女が探していた『主のための放浪者(コーリーテンブーム著)』(という本)。

その瞬間、彼女は両目を真っ赤にして、涙ぐんだ。

「これ、絶版で、希少価値がついているのよ・・・・」
と、感動していた。

その様子をみて、私も冬だと言うのに両腕にぞわっと鳥肌が立った。

「いや、こんな風にお役に立てて光栄です・・・。
 やっぱり必要な物は与えられるんですね」

私は、数年前にあった、※「ニューヨーク・クリスマス物語」を思い出した。

必要なものはすべて与えられる、と悟った数年前。
あれからなお、神様は変わらず今日も生きている。

改めて神様を賛美した年の瀬だった。

茅ヶ崎集会に導かれて

結婚後、茅ヶ崎集会へ縁あって第2回目の参加。

 向かう道中で発見した看板。
萩原さん、お元気ですか?

モキチカフェで一休みしてから、茅ヶ崎集会へ伺う。
 パンが美味?♪

夜、思いがけず友達夫婦とお食事。
 イタリアンが美味~♪

帰りは23時。
 閉まってる藤沢キオスク。
列車型で可愛い~(´∀`)

安産祈願

今日も胎児は元気だ。
朝から活発にブルルン、と動く。

illust190_thumb.gif 予定日まであと1ヵ月だ。
ブラボー!!

以前イラン旅行でご一緒した婦人(最高齢の友達:73歳)から、お便りが届いて、
何かと思ったら、安産祈願のお守りが入っていた。
京都でお求めくださったそうで、

ちょうど義母からもメールをもらった。
「赤ちゃん、楽しみにしています。
 9月23日はお参りに行って来ます♪」

ありがたいねえ・・・(;;)

だけど、私は天地万物の創造主である神様(not偶像)を信じているんだけど・・・134634.gif 

「ねえねえ、みんな、私たちの結婚式に出てくださったよね!?
 私が神様を信じている、って知らないのかな!?」

と夫に言ったら、

「まあ、日本人ってそんなものだよ。八百万の神というか・・・」と笑われた。

ま、

いいんだけどね。

気持ちがやっぱり一番ありがたいもんね。やっぱり感動するのは愛だよ、愛。107008.gif

大学時代の友達

 

 大学時代、仲良くしていたグループが幾つかあるが、
 そのなかで、最もワルな4人組と再会した。

 「大学時代の友達がこうして子持ちになっているなんて」
  
 と、言ったら、
 そうだね、と三千絵が笑った。

 こう言っちゃなんだが、
 メンバーの中で一番結婚に向いてた私が(お酒・タバコ一切しないから)
 ものすごい晩婚だった。

 学生時代、私たちはよくこんな会話を繰り返した。

 「どんな結婚をするんだろうね?」 
 「ドレスはMに作ってもらおう!」
 
 なのに、

 いざ結婚の段になったら、私は誰からも招待されず、
 年賀状の挨拶で各自がそれぞれ人生の駒を進めていることを知った。

 あ~あ、
 私抜きで、皆仲良く吊るんでいるんだろうな~

 と思っていたら、卒業後は各々ばらばらと疎遠気味だったといい、
 私が招待した結婚式で皆が一堂に会した、と言う。

 なんと・・・!
 自分一人が仲間はずれ(?)にされたわけじゃなかったのね!

  

 用いられて、ありがたく、
 再び再燃した友情に感謝である。

 人生はかくも、不思議で、面白い。

『天の下では、何事にも定まった時期があり、
  すべての営みには時がある。
  引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。
  黙っているのに時があり、話をするのに時がある。』(伝道者の書)

世界が変わること

妊娠して、私の世界は変わった。

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結婚した以上に、私を取り巻く世界は大きく広がった。
少なくとも、子の存在は、私の視野を嫌が応でも広げた。

街を歩けば、いままで視界に入らなかった妊婦に目が釘付けになる。
赤ちゃん連れをみれば、心が奪われる。
小学生の子供が走れば、何年後かのわが子の姿なのだろうかと
ぼーっと見つめてしまう。

そういうことは、まったく想像してこなかったので、
本当に実感が湧かない。

けれども、私の想像力とは裏腹に、現実として
今日もお腹の胎児は私のお腹を元気にキックする。

ここに確かにいる人の存在を、私は受け止めなくてはならない。

 *   *   *

先日、子供を持つということを改めて考えてみた。

聖書に、

〝見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である。(詩篇127:3)〝

と言う言葉がある。

しかし、自身を振り返ってみれば、今までの人生、
親に苦労や心配をかけて、本当に迷惑のかけっぱなしだった。

この家に私がいなければ、桜子家は幸せだろうな~と何度も思い、
わが身を呪ったこともある。

してみると、子の存在は、問題の種であり、癌のようなもの。

私は、今までの人生の罪を刈り取るために、
子を産んで、親が経験した苦しみを自らも味わおうとしているのだろうか?

どよーんとクラくなって、夫にその話をしたら、

夫は、結婚もそうじゃない、と軽く答えた。

「夫の存在は、心配の種で、新しい悩み事になったでしょう?
だけど、それを補って余りある素晴らしさがあるから、結婚したんでしょう?
子供もきっとそうだよ」

みたいなことを、私に言った。

加えて、

「人が成長しつづけるために、変化は必要で、
 変化していくから、人生は豊かになっていく。」

というようなことを、言った。

私は、ふむー、と俯きがちに返事した。

いろいろ考えながら、新しい命を迎える準備をしている
田中家である。