この時期この画像はお約束でしょう
頂いた画像。綺麗・・・
この時期この画像はお約束でしょう
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湖で、大好きなあの人が溺れている。
かなづちだよ、あの人!急いで助けなくちゃ!
ああ。でもあんな湖の真ん中で、浮き輪は届かないし、ボートもない。
ああ。あんなに水しぶきを上げて、手足をばたつかせて、もがいてる。
「助けて、助けて。」
必死にもがいている。
助けるよ、助けるよ、あ、でも、どうしよう。
いま私が飛び込んでいっても、あの人のほうが大きすぎる。
助けたいのに助けられない。だって、
私が手を伸ばした瞬間に、その力に引き寄せられて、一緒に溺れてしまうもの。
どうしよう、どうしよう。
もがいて、もがいて、もがいて
とうとう
あの人の力が尽きた。
ふっと身体が沈みはじめる。
いまだ!!!
待っていた、唯一の救い出すチャンス!
天からの助けもそういうときに発揮され、
また天の神様もそういう方であるという話を思い出した。
著書:坂東 眞理子、 出版:PHP研究所★詳細はココ
内容:品格ある女性の装いから生き方まで7章立てで述べてあり、性別問わず、人の品格についても言及している文庫本。
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品格とは三省堂辞書によると次の通り。
【品格】その物から感じられるおごそかさ。品位。
【品位】見る人が自然に尊敬したくなるような気高さ、おごそかさ。品。
今売れている本だそうです。全体的に見て、”プライドをもって気品よく、美しく生きよ”というお薦め本と感じましたが、読まれた方はどのように捉えたでしょうか。
さて、以下感想。
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女性として美しく見える所作については同意しつつも、個人的に疑問を呈したい箇所が2つほどあった。
まず、疑問1>○○をしないようにしましょう、の背景について。
○○には、「家族の愚痴」や「悪口」などが入る。これは全く同感だ。しかし気になったのは、その動機だ。大概、「あなたの品格が疑われてしまいます」だから「やめましょう」となっていた。これはとどのつまり、その行為の栄光を受ける矛先は己に帰する形である点である。ここがどうもひっかかってとれない。
というのは、こういう人物というのは、表面上美しく見えるものの、その内面は、発言した人となんら代わりない類にみえるのだが、気のせいだろうか。
次に、ゴールデンルールについて。以下、書籍から抜粋。
【自分がしてほしくないことは人にもしないというのは品格ある生き方の基本です。これは孔子の教えですが、キリスト教では自分のしてほしいように相手にしなさいといいます。同じことを言っているようですが少し違います。自分のしてほしいことを相手がしてほしいと思っているとは限りません、人の好みはさまざまだからです。でも自分が嫌だと思うことはたいてい人もしてほしくないと思っています。殺される、傷つけられる、盗まれるのはみな嫌です。】
私はここでも唸ってしまった。まず、キリスト教では・・・のくだりで、キリスト教はわからないが、聖書にはこう書いてある。「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。(マタイ 7:12)」
その聖書が言っていること(聖書は別名「世界のベストセラー」とも言われている書籍だ)について、「違います」と明確に言い切れる、筆者の自信について、驚愕してしまった。私は恐ろしくて、違いますとはとても言えない・・・。(反発することはあっても)
そして筆者はそう言う理由について、「自分がしてほしくないことは人にもしないというのは・・・基本です。」としている。その例として、「殺される、傷つけられる、盗まれるのはみな嫌です。」としている。
しかし、聖書では「してほしくないことはしない」という感情論でなく、「悪を憎み、善に親しみなさい。」とあるとおり、悪いことは一切してはならない、と善か悪かでばっさりと切っている。「悪巧みに歩まず」「「悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。」と述べてある。そのため、やはりこの箇所は次の通りになるのではないだろうか。
【何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもする、というのは品格ある生き方の基本です。】
どうでしょうね?
さて、疑問点ばかり書きましたが、最後の一文には大きくうなづいた。
【神様や仏様など人間を超越した存在から見て恥ずかしいことをしていないと断言できる行動をするのが、人間の品格の基本です】
「恥ずかしいことをしていない」と断言することは容易ではないと思いますが、その超越した存在を、常に念頭に置きながら生きる、これがきっと、人間の品格の基本につながるのではないか、と思いました。(・人・)

あなたに、わたしに、届く一本道
「あなたの人生はこれから大丈夫ですか?」
「準備は万全ですか?」
「用意はしていますか?」
という、研修を受けた。その名もライフデザイン研修。一生に一回なのか、NTTグループだと年齢の節目に受講の薦めが来るようだ。さすがNグループ。こんな時は実にいい会社だと思う。そうそう、これがここの良さだよね。
雇用と労働、暮らしと健康、そしてお金。
一通り学んだ後、最後に一枚の紙が渡される。5年後、10年後、15年後が線で区切られていて、その時に自分がどうなっていたいかというプランを書くのだ。私事ながら、個人的にはこれが一番、受けていて有意義と思えた。走っている毎日、ゆっくり過去の棚卸をしたり未来について考えることなんて年末年始を除いてそうそうないもの。
わくわくして書き始めたが、15年後の行になると、ペンは一気に重くなる。自らが中年の域に入るという受け入れ難い事実はもちろんだが、この辺から両親が亡くなってもおかしくないかも、そう思ったら暗くなる。
ちょっと、ちょっと。私もっと働かなくちゃいけないんじゃないの?
あ、親孝行は今のうちにしないと後で後悔するかも、
だんだん冷たい汗が流れる。
とりあえず、今年の春は、母親をニューヨークにでも連れて行くことに決めた。
親にそのハナシをすると、娘がこんなシュミレーションをして真摯な思いで誘ったことなど気づきもしないで、「あら、うれしいわ」とのたまっていた。
ともかく、書いてみたら今から準備しなくちゃという発見がいっぱいあって、人生について考える良い機会となった。研修がない方はぜひこのライフデザインを一度紙に書いて、シュミレーションしてみることをお薦めします。
※但し、病気とかお金など頭を悩ますものはそんなに深刻に考えない方がベスト。あくまでも夢とか希望とかを描いてみると楽しいです。
ググると、新聞やブログ記事が見つかるものの、いずれもアウトラインであって、本の内容は少ない、パワー・フォー・リビング。それなら、私がその内容に触れようじゃあ、ないか。
銀座線内にて青い本を開く。なんとなく周囲が気になる。(宗教っぽい人と思われたら恥ずかしい。)でも、この本は至ってシンプル。凝った装丁はなく、実際開いても誰も気に留めない。(そりゃ、そうか)
1ページ目。
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「神様のことばは生きていて、力にあふれています。」へブル4章12節
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目次。
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1.目標にたどりつく
2.あなたは神様にとって特別な存在です
3.神様との関係を正すには?
4.成長し続けるには
5.聖書とは何でしょうか?
6.聖書を自分の人生の一部にするには
7.まとめ
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色んな紹介文にもあったが、成功を手にした8人が紹介されている。
久保小百合さん、トレイ・ヒルマンさん、などなど。
ただ、ここで言う成功とは、一般的なこの世での成功(冨・力・名誉)とは異なっている。真の成功とは、神様と出会うことが出来、そうして人生を歩むことこそ、成功と定義している。
つまり、人生の目的とは、創造主である神様と出会い、自らの生涯を1人で歩むのではなく、神様と共に歩む、それこそ大きな意味がある、であろう。
興味深かったのは次の図である。
右が、自分で方向を定めていく人生。左が、神様に方向を定めていただく人生。

自=自分。T=キリスト。・=関心事。
【右】円の真ん中にある椅子に自分が座っていて、端っこにキリストがいるのがわかる。このような状態の場合、王座は我にあり、ゆえに関心事を決めるのは私、ということで、注意書きには「それにより不和や挫折にいたることが多い」と書いてあった。
【左】キリストが椅子に座っていて、自分の人生の王位に就いている。自分はキリストに王座を明け渡している。キリストが関心事を決める。そのため神の計画との調和がとれている。
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どちらの円があなたの人生をよく表していますか。
あなたは自分の人生を表す図としてどちらを望みますか?
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と結んである。
これを見て、私は大学時代を思い出した。当時のBFは私の話を聞いてこう言った。「たぶん桜子の話は、そうなのだと思う。でも、俺は自分で限界まで頑張りたい」・・・そして去っていった。(遠い目)
周囲には野心溢れる人が割合と多くて、たいてい彼らに話すと、ウン、そうかもね。でもね、僕は・・・となっていった。なぜならば、、、
そう、神様に頼る人(特に男)は=弱いと、いう思い込みがあるみたいだった。
けれども、それは本当にそうだろうか??
私はここでインディージョーンズの見えない橋を例えにあげたい。
映画インディ・ジョーンズ「最後の聖戦」で、主人公が最後の難関で見えない橋を、そこにあると信じて一歩を踏み出すとき、あら不思議、橋があるではないか、というあの場面だ。
神様を信じるというのは、あれに似ていると思う。つまり、目に見えない神様に向かって、「なんかわからないけど、あなたを信じます」、と【人は心で信じて義と認められ、口で告白して救われる】の言葉を実行すると、神様と私の橋が瞬く間にできるのだ。
映画を観ていれば、目に見えない橋は実はあるのだ、と分かる。
しかし見ていない者にとっては、それはとてつもなく大きな恐怖である。だって、もしなかったら、奈落の崖に落ちて死ぬかもしれないんだよ!?
神様を信じるっていうのは、実にそれと似ている、と思う。
弱くては踏み込めないのだ。
テレビCMと新聞で何と訴えていたのかは忘れた。
が、とても印象に残る広告であった、パワー・フォー・リビング。「興味がある人は無料で本を差し上げます」とあったが、わざわざ取り寄せる気はない。それに、無料ほど怖いものはない、というではないか。気にも留めていなかったのに、なぜかその本をごっそり頂いてしまう。興味がある方に良かったら差し上げてください、と言われた。
ちょっとまった、この「パワー・フォー・リビング」ってなにー!?
と恐々青い本を開く私。そもそも、この団体のCMはマス4媒体(テレビ・ラジオ・新聞・雑誌)に掲出されていて、その広告宣伝費は馬鹿にならないはず。調べてみたら、広告宣伝費は10億円!ちょっと、その宣伝はどこが担当したんでしょうか?やっぱり電通!?トヨタクラスの出稿に巡り合えたラッキーな営業は誰!?といつの間にか団体よりもビジネスについて興味をもってしまう。ああ、閑話休題。
で。その出所は、米国のアーサーS.デモス財団(Arthur S. DeMoss Foundation)とあった。
1955年に設立されたそうで、財団の創始者は、ダイレクトメールによる生命保険で財をなしたアーサーS・デモス氏だ。同氏が79年に召された後、妻ナンシー氏が代表を引き継ぎ、毎年全米で慈善団体の上位に名を連ね、資産額は600億円とも。・・・え!?600億!?なら10億に納得。それにしても途方もない数字(遠い目)。米国では半年で33億円と大統領選を超える金額のキャンペーンを張った。ドイツでも01年から配布が始まったそうだが、宗教思想を宣伝するという理由でCMは放送禁止になっているとか。
本を開いてみたら、ジャネットリンのさわやかな笑顔。この人は10代の頃、聖書を信じたそうだ。知らなかった。m-floって誰?なんかそういうグループあった気がするけど・・・。数ページ開いてみたけど、どうやら変な本じゃないらしい。
そもそも財団は、中絶や同性愛に反対し、進化論を否定するキリスト教の保守派を支援している団体だそうで、財団そのものに教義はないし、信者を勧誘しているわけでもないという。
が、しかし、
私は本を読んでいて、少し気になったことがあったのである。
それはまた明日書こう。
追伸:
パワー・フォー・リビング公式サイト(日本語)を見たら一世帯に一冊とあった・・・。だれか残りの6冊、欲しい人はいませんか?