なつかしい知人から、版画展のお知らせが届いた。
さとういずみさんが、来月に神楽坂のギャラリーで展示をするそうだ。
いずみさんは私が若かりし頃に知り合ったクリスチャンの女性で、私の記憶では中国に住んでいた印象があるが、そういえば帰国したのだろうか。あまりよく覚えていない。
そんな彼女から、何十年ぶりで連絡が来た。よくぞメールをくださったと思う。私は平日仕事があり、行けるか分からないが、きっと多くの人にみてもらいたいと祈っているに違いない、と感じ、ここに案内を載せさせてもらう。
なつかしい知人から、版画展のお知らせが届いた。
さとういずみさんが、来月に神楽坂のギャラリーで展示をするそうだ。
いずみさんは私が若かりし頃に知り合ったクリスチャンの女性で、私の記憶では中国に住んでいた印象があるが、そういえば帰国したのだろうか。あまりよく覚えていない。
そんな彼女から、何十年ぶりで連絡が来た。よくぞメールをくださったと思う。私は平日仕事があり、行けるか分からないが、きっと多くの人にみてもらいたいと祈っているに違いない、と感じ、ここに案内を載せさせてもらう。
今日は、代官山ハロウィンの日。
9月末に1000円で販売された限定バッグは、代官山ハロウィンに参加するキッズの必需品。なぜなら、それがないと、トリックorトリート、と言ってもお菓子をもらえないからである。
そのバック、毎年人気で即日売切。今年は出ないと娘に内緒にしていたら、クラスメイトから誘われ、行きたい!と娘。
参加したい。けど、バッグがない状態。
神様に祈ればなんとかなる、と娘と祈っていたら昨夜「当日50部販売」の情報が急遽入る。去年はなかった当日販売が、今年は協賛企業のキャンセルが出たというのだ。
ただし、値上がりして、1500円。夫に相談したら、3000円でも買うという。おい、おい。
日曜、ふだん電話してこない友人から連絡がくる。
前売は長蛇の列だったから、11時発売でも早く並べ、とのこと。ただし、前売時は、早すぎて並んだら場合によってはペナルティー(最後列に並びなおす)と言われた、と言う。
「え?!じゃあどうしたらいいの(@@)?」
「その辺ふらふらして時間間際になったらダッシュして並ぶの」(友人)
「えー、そんなみっともないことしたくない」
「いやいや、子供のためだから。恥も外聞も捨てて、私、走ったわよ」(友人)
そういうわけで、結局10時半過ぎに自転車で駆け付けると、まだ3人しかいなかった。
なんとなく、同志、という感じで、列での会話が始まり、一番早かったのは、横浜から孫のために来たというおばさまだった。
おばさまは言う。
「若い頃はよく子供を叱ったんだけど、孫はかわいくてねえ・・・。今となっては、なんで私、子供のことをあんなに叱ったのか、分からないわ」
うっかり、昭和の時代ですから、と応えそうになって、口をつぐむ。ここで、他人と盛り上がってもいけない。(あるある)と思いながら、うなづき返す。
その後、バッグを無事に用意してくださった神さまにお礼を言うため、近場の教会で礼拝にあずかったのは言うまでもない。
ハレルヤ。
コクヨの「しゅくだいやる気ペン」というのがある。
ある日Amazonから、これが届いた。
発注主は、夫であった。常々、うちの子はなぜ宿題をしないんだろう、と相談していたからだと思う。
夫は言った。「小学2年生の勉強は、反復だから楽しくないんだよ」
しかし、だからといってやらせないわけにもいかない。その悩みが、この道具でいとも簡単に解決してしまった。
しゅくだい、やる気ペン!(ドラえもん風に)
これは、スマートフォンのアプリと連動して、子どもの日々の努力をスマホで「見える」ようにすることで、勉強意欲が上がるようにと開発された商品で(コクヨ公式サイトより)センサー付きのペンカバーを鉛筆に取り付けると、ペンを動かした時間に応じて「やる気パワー」がたまる様子が、スマホ上で楽しくドラマチックに見える、というもの。(例:すごろくが進むような感じ)
2,3千円かとおもっていたら、定価8千円と知ってびっくり。でも少なくとも、宿題はラクラク片付けるようになった娘。
「やる気パワー」を稼ぐために、日に日に勉強時間は増加中。娘が机に向かう姿は実に美しい。
あとは、コクヨさんが、スマホのアプリ開発をさらに進化させて、充実したコンテンツをつくってくださることを切望する。
#コクヨ #しゅくだいやる気ペン
バースデーケーキ(18カット)作りました。
近所の子供が夕暮れまで外で遊ぶ、というのは昔の話で、今時の子供はお稽古で忙しく、中には平日の9割が習い事、という強者もいる。
過日、誕生日を迎えることになった娘は、今年もやりたい、と平日の誕生日会を心待ちにして言った。しかし、誰が来られるだろう?数人でも来てくれたらうれしいね、と言いながら、娘と祈ったのが、一か月前。
Xデーが近づくにつれ、私は仕事の傍ら、本当に料理が作れるのか、準備が間に合うのか、という不安で次第にナーバスになっていき、前日は眠れなくなった。というのも、夕食付きで15人近くが来てくれることになったからである。(おまけに当日は正午まで仕事)
しかし、神様はすごい、と私が感動したのは、偶然これを知った、パーティに来ないママ友や友人が、手伝いを申し出てくれたことだ。本当に思いもよらず、その親切がうれしかった。最初は遠慮した私も、ふとこれは神様から来たかもしれない、と思い直し、甘えることにした。実際、ふたを開けてみれば、その手伝いなしに、準備は間に合わず、また大勢の子を公園へ連れていくことは不可能だった。友人らが、子供たちを公園へ引率してくれ、その間に私は夕食を用意できた。
その夜、久しぶりに大勢と話した私は、興奮してまたまた眠れず、週末になってやっと、日常に戻ることができた。
誕生日会というのは、思い起こせば私自身も親にやってもらった記憶が幾つかある。一番印象に残っているのは、ホールケーキを前に、手をのばして自分の分を取ろうとしている、得意げな自分の顔が写った一枚の写真である。友人に囲まれ、たいそう幸せそうだ。
大人になった今、その当時を考えてみると、少し切ない。親の苦労、子知らずとはよくいったもので、ホールケーキはどこで買ってくれたのだろう?そして、これは親からみて、経済的にどういう立ち位置だったのだろう。そういえば、誕生日当日になって、1つ1つ絵柄が違う動物の新品ガラスコップが子供用に揃えられていたことも、忘れられない思い出だ。親がここまで準備してくれた、というのが、記憶に残っている。実に親の犠牲なしに、誕生日会はあり得ない。娘の誕生日会を通して、ふっと親の愛を思い出した。
しかし、そのように愛情をかけて育てられた私は、思春期にはたくさんの苦労をかけ、多額の学費を払ってもらって、良い学校へ行かせてもらったのに、ろくな勉強もしなかった。本当に親は大変だ。すまない。そして今日まで、ほんとうに、ありがとう。
・・・ホロリ。
結局、親の心、子知らず。ということは、神の愛もまた、人知らず、ということか。
私たちの重ねる月日が、実は神様の深い愛に支えられている。私たち人間の多くは、そのことを知らない。第一、神なんているか、と思っている人の方が特に日本では多い。だけど、もしもいると分かり、私たちが神様に愛されていると知ることが出来たら、私たちはもっと楽に今の世の中を生きられるのだ。そのことは、追々書いてみる。
今日、職場で横浜に住むママ社員とランチしたら、
「校庭開放当番?!なんですか、それは」と聞かれた。
横浜市の公立小学校には校庭開放がないらしい。一部なのか、全体なのか分からない。
先日、私は小学校の校庭開放当番を初体験した。正直、大きな声では言えないが、やる前は少し、億劫だった。が、やってみると、案外良かった。なぜかというと、小学校には普段学校で見かけないパパが来ていて、息子や娘と遊んでいる。子供は嬉しそうだ。
そして、単独で来ている子供たちも、学校で顔見知りをみつけて、楽しそうに集団で遊んでいた。
広々した校庭で、子供たちが自由にしているのはいい。
ママが約束をとりつけなくても、子供同士で勝手に遊ぶ。
家なら、おやつだ、ゲームだ、というのに、そういうのも忘れて無心だ。
癒されるなあ、と感じながら、こういうことならいくらでも協力したい、と思った。
今日から2日間、芝公園にあるプリンスパークタワー東京で、NTTコミュニケーションズ年1回のビッグイベントが開催される。昨日、テレ東っぽい人が来ていたので、きっと今夜のワールドビジネスサテライトで放映される、と私は踏んでいる。
さて、ここには私の担当するサービスが展示されていて、今夏はその準備で忙しかったが、それも今週で終わりと思うと、ホッとする。イベント会場は地下2階をほとんど貸し切っているような状態で、その豪華さと人の多さに、改めてNTTコミュニケーションズが大企業であることを知る。
私はここで、末端の小さな粒ではあるものの、ここに関われたことで、会社というものをよく学んでこられたと思う。いつまでお世話になるか分からないが、環境に感謝している。
「キッザニアのチケットがあるから、一緒に行こう!」と港区の同級生が言った。豊洲にある、職業体験施設のキッザニアは、私にとって東京ディズニーランドのような印象がある。
①混んでいる
②入場料がいいお値段である
③子供が喜ぶ
この地域では多くの母子が出かけており、私も「いかねばならない」と思っていたが、出かけてみて、分かった。知らなくても子は育つ、ということだ。子の社交関係を思いやると、行かないと子の肩身が狭くなる可能性が(高学年で)あるのかもしれないが、行かなくてもいいな、と思った。
もちろんキッザニアを否定するわけではない。お金を稼いだり、運転免許を取るのにお金を払う経験は、良い社会勉強だ。けれども、そういうことが経済的に余裕のない家庭のことを考えたとき、私の胸に、上記の「行かなくてもいい」という結論が出たのである。
娘は初体験が「楽しかった!」と言ったが、施設より一緒にでかけた友といつまで過ごせるか、の方が関心事だった。そして、その子もまた、娘と同じで、どこにいるかよりも、一緒に遊ぶことを望んでいた。思うに幼児から低学年にかけては、キッザニアでなくても、友達といれば十分しあわせなんだ、と分かった。
過日の放課後を思い出す。
娘はクラスの子と広場で遊んでいた。何もないのに、二人は楽しそうに過ごしていて、何の話をしているのかと思ったら、空想の世界で探検をしていた。私は娘に話しかけるその子の瞳があまりにもキラキラ輝いているのに感動した。私たち大人が失った世界が、そこにはあり、子供にとってはそれが日常なのである。
そういうわけで、私は大人の作り出す物質的なものと、子の持って生まれた力を考えたとき、彼らの力を大切に守ってやりたい気がした。この社会でやすやすと失われていかないよう、配慮していくバランス感覚が、私たち親にはとても大切だと思う。
今日は娘が、初の友人宅お泊まりに出かけたので、こんな夜はめったにない、と、両親を渋谷に呼び出し、魚好きな父のために、開花屋で夕食。
行ったら、日本人は私たちだけで、あとは外人ばかり。渋谷も変わったとしみじみ思う。
親と別れたあと、夫がもう一杯いこう、というので、隠れ家的バーのミーカ・・・へ私は初めて足を踏み入れた。
ピンポン、と鳴らして入るそこは、中に入ると、黒い革張りのソファ6席あるだけで、思わず銀座の店を思い出した。
貸切状態の中でマスターと歓談したあと、「娘に乾杯!」と夫がグラスを傾けたので、「なぜ、娘?もうすぐ誕生日の私でしょ!」と、騒いだ。
いかん、いかん、夫の恋人は私であるはずなのに、娘になっているではないか。
娘不在でのびのびしてる私に引き換え、夫の頭は、娘のことが、始終頭から離れられないらしい。。
追伸・神泉のお神輿は23時くらいまでやってるそうです。
過日アクセス高になっていた、この記事、「ご近所、異臭騒ぎ」。
15年以上ブログを続けているので、書いた私でさえ、タイトルを見ただけでは何を書いたか覚えていない。読んでみたら、私の独身時代に体験した近所の8050問題に似ていた。
当時、8050問題、という単語さえなかったと思うが、
これは現在だと、「80」代の親が「50」代の子どもの生活を支えるという問題(NHKのHPから引用)である。
私の体験は、その関係が逆転したある家族の実話であった。
「ご近所、異臭騒ぎ」を初めて書いたときは、ただ自分の目の前で起こったセンセーショナルな出来事を言いたくなって書いたのに、結果として「ご近所、異臭騒ぎ」(中編)(後編)と、話は3段階に及んだ。もし時間があったら、ちょっと読んでもらいたい。(ちゃんとオチがあった)
というのは、あれから何年もたったのに、最近、このお兄ちゃんから電話が、実家の母にかかってきたというのだ。
「お元気ですか?」というご挨拶だったそうだが、そのあと、お兄ちゃんが言ってきた話はこうである。「最近、知り合いから某宗教を勧誘されるけれど、しつこくて困っている。僕はどちらかというと、キリスト教の方が良いんだけど…」と、母に訴えてきたらしい。
かくして、お兄ちゃんと母は今夏、思いもよらず再会し、聖書の話を聞く集まりに出かけて行ったそうだ。
私たちからしたら、遠い昔のお兄ちゃんでも、神様から見たら、今もつながっているお兄ちゃんなのだ、と感動した。