月別アーカイブ: 2019年12月

仕事納め

今週は一週間、目が廻る忙しさだった。
特に夜は3日連続で会食だった。今日は夫の納会で、私は職場から帰宅すると大急ぎでパーティーセットを整え、夫の会社に向かった。

彼と結婚してから少しづつ社員と距離を縮め、今年になってようやく何でも言えるような関係に(自分では)なれたと思っている。だから、私は今年はまったく遠慮することなく、グラスにワインを注いでもらい、自分の好きなことを大声で話し、娘のことは自主性に任せ(つまり気にせず)、自由気ままに寛いで納会を堪能した。

ふと気づいたときは22時半で、私は疲れて娘を夫に託し、1人で帰宅。何とも、満足な一週間であった。

この一年、自分でいうのもなんだが、非常によく働いた。

特に会社の仕事は我ながら頑張った。
社長は褒めてくれないが、そんなことはどうでもいい、と思えるほど、自分にとっては毎日が学習だった。今、私の業務はプロモーションとマーケティングだが、この領域はけして時短勤務者がやるような業務ではない。なのに、任せてもらっていることにある意味でありがたく感じている。

 1年前、任命された時は何かの手違いか、あるいは嫌がらせか、と社内をかけづりまわって、私を異動させた犯人捜しをしたが、実はやってみると、この領域が自分に合っていた。今の会社に入って初めて仕事が楽しい、と思えるようになった。

話変わるが、
昨日、そんな会社で、偶然、2人の人から別々に話しかけられた。どちらも、普段話さない男性社員である。だが、2人とも同じことを質問してきたのだ。

「最近、(桜子)ブログやってないんですか?」

やってるけど、と思いながら、まだ私のブログを覚えてくれている社員がいることに喜んだ。

「いま、私子育てブログになっているから、面白くないでしょ?」と聞いたら、

「うん。面白くない」と言われた。

じゃあなんで読むのか聞くと、「電車の中で、たまにスマホで見るよ。どうしているかな、と思って」と言われた。

ああ、この人が読者か……。そう思うと、何を書いてあげるのが彼へのハッピーなのだろう?と思い、「どんなこと書いてほしい?」と尋ねた。

「“会社に一人飲んだくれているバカがいる”と書いてくれ」と頼まれた。要は、俺だ、ということらしい。私よりぐっと年齢が上だが、かわいいなあ、と思った。

 で、もう一人の人は、今まで私の突撃インタビューを読んでいたらしく、「すごいですよね。どうやって人脈を作るんですか?」と聞かれた。

 人脈・・・。
 人脈と思ってやってきたことは一度もないが、今でも人脈があるわけじゃないし、最近はインタビュー、もしていない。だが、インタビューリストを眺めるとき、その大半が、幸運だったという一言に尽きる。

 運とは、神さまが支配するものだと、私は聖書によって確信している。
ということは、昨日の偶然は、もしかしたらブログをそろそろ改良したら?と問いかけられた気がするし、また連載についても考えてみたい、と思った。

 来年はいよいよ娘が小学3年生になる。
時短勤務のリミットの上限は、3年生終了時、までだ。しかし仕事は面白くなってきた。

満期を迎える前に、フルタイム勤務に切り替えるか否か、祈ってみよう。

あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め。」と言うことばを聞く。
(イザヤ書30章21節)

♯納会 ♯桜子ブログ ♯リーダーインタビュー ♯時短勤務リミット

結婚記念日

昨日は結婚記念日だった。
今朝、娘が起床してリビングにくるなり、「昨日のパーティーは楽しかったね」とうれしそうに微笑む姿にドキリとした。

家族三人の食事は、わが家のいつもの風景なのに、シャンパンとケーキのせいか、珍しいクリスマスナプキンを用意したのが良かったのか、娘は昨日の小さな会をイベントとして喜んでくれていた。
わが家は大家族じゃない。両親に子供一人と、核家族である。

たまに、そのことが、娘に申し訳ない気持ちでいっぱいになるのだが、それでも、このささやかな家族の空間を喜んでくれていることが、親としてありがたかった。

(夕方一生懸命、黙々と娘が絵をかいていたのは、私たちの結婚記念日のためだった)

が、昨日は大変だった。
私は仕事の合間に、25日のクリスマス会の買い出しに制限時間50分、と気が急いだせいで、電動自転車でひとり、すっころんだ。大して気にせず、シャンパンを飲み、お風呂に入ったら、足がズキズキ痛み出し、普通に歩けなくなってしまい、捻挫と判明した。


(クリスマス会で頭がいっぱいで、結婚記念日の余裕など全くなかったが、夫がケーキとシャンパンを買って早めに帰ると連絡してきたので、急遽、ボルシチをつくった)

このままだと25日歩けないよ…

ベッドに丸まるようにして横になっていたら、夫が氷嚢をもってきてくれ、布団をめくって足にくくりつけてくれた。

「ああ、結婚して、よかった……。」

人は弱っているとき、本当に誰かの優しさに心安らぐものである。

明日は、泣いても笑っても、クリスマス本番。

さっき集計したら、43人だった。
ドタキャンもあるだろうが、とにもかくにも、この企画が良かったのか、そうでなかったのか、結果は明日わかる。
あとはともかく、やりきるしかないのである。

あと一週間でクリスマス


気づけば、来週末で仕事納め。
今年もあっという間に一年が終わる。

娘が日曜から熱がぶり返し、今月は半分くらい休んだ気がする。仕事は多いし、毎日なにかとせわしく、悲しくなる出来事も多いが、夫は言う。

事実は一つ。それをどう捉えて歩むか?

与えられている家族や、仕事をサポートしてくれる優秀な同僚、祈りあえる友がいる事実の方に、もっと敏感になりたい。

暗闇でなく、光を見て、前に歩もう!

来週のクリスマス、子どものための、大人のためのクリスマス会を代官山で、日中やることになった。会社は休ませていただく。

自宅だと人数制限があるから、思い切って一軒家を借りた。

たくさん集客したいわけじゃなく、必要な人が利用できればいいと今回はこういう形にした。

たいせつなきみへ、クリスマスの愛

主役は子どもだが、大人も来てもいい。独身だって歓迎だ。聖書を知らない人も、知ってる人も来られたらいいと思う。だって、クリスマスはイエスキリストの誕生日会だから。

もしこれを見て、行ってみたいなという方がいたら、どなたでも歓迎します。

お子さんだけ預かるのも受付します。興味がある方はお問い合わせください。

高校生ガールズトーク?!

女子二人でソファに座り、寛いでいる。突然Aが、Bに真剣な顔を向けて話を切り出した。

A「いや、マジ、これ、ホントのことなんだけど、言っていい?」

B(えっ、突然、何の話?!何かうわさ話?!どきどきどき・・・) 「うん、いいよ」

A「Bといると落ち着く・・・」

B「なんで?」

A「私、ふつう、みんなといると、興奮しちゃって、ワクワクして、わああっって、たまんなくなっ
  ちゃうんだよね。(=感情が爆発しちゃうんだよね)だけど、Bといると落ち着くんだよね」

B「ふうん。落ち着かないときは、いつでもおいで。いつでもうちの家にきていいよ」

これ、女子高生の会話に聞こえるけど、小学二年生の会話だ。

まだまだ何も分からない子どもだと思っていたけど、親の知らないところで、いつの間にか、子どもは子どもなりに、この社会を歩み始めている。自分とは何かを考え、自分とは異なる友だちを受け入れる姿を見て、社会を生きることについて考えさせられた。

これから、彼女たちは数えきれない多くと出会う。
残念ながら日本の社会はおせじにも、あたたかいと言えない。
その人が、ただ存在するだけでいいのだ、と実感させてくれる体験をすることは、極めて少ない。

この子たちが、これから長い学生生活を送る上で、一人一人がありのままで実は神さまから受け入れられ、愛されている、ということが聖書には書かれている。この事実を知ってもらいたい、と切に思う。

最悪は最善

娘がインフルエンザになった。最悪だ。先週金曜に、第2回予防接種を受けていたら、インフルエンザは防げたかもしれない。金曜に病院へ行かなかったことは、最悪だった。

でも、神さまの目から見たら、これは最善というだろう。

なぜかって?

その日、私が予定を変えたのは、娘のお友だちが、娘と遊びたがったからなのだが、それが縁で、結局、二人はその夜、近所の教会のバイブルクラスに行くことになったばかりでなく、その母と妹まで参加したからだ。

ほんとうにびっくりした。
なぜかというと、私の計画に全くなかったからである。加えて、当初、娘のお友だちがバイブルクラスに行きたい、と言い出した時、その母は夜遅いからと反対した。それなのに、実際に教会に来た母が、楽しそう・・・と言って、中へ入っていく。私の方がアタフタと後をついていったくらいで、帰っていいんだよ、と促したが、最後まで居た。おまけに連れてきた妹まで、バイブルクラスに入れた。
私は待っている間に図らずも神さまの説明をした。母はまったく聖書のことを知らなかった。こういう時、私はその話を特にしたいというわけではないのだが、する羽目になった。終わったら、「来週もまたぜったいに来たい!」と言って、娘の友だちが帰っていった。びっくりした夜だった。

この金曜の選択を、神さまの目から見たら、最善だ。親の目から見たら、最悪だ。くどいけど、そのせいでインフルになった可能性があるから。
でも、親である私は、神さまを信じている(つもりな)ので、この日のことは「良かった!」と思っている。

娘がインフルになったけど、神さまを紹介できた。その喜び?に比べたら、病気は大した犠牲じゃない。だけど、この病気が一過性の治るものだから、私はそのように言い切れる。もしそうでない類の病気だったら、はたしてそのように喜べるか?
私のような我の強い人間が、「自分ファースト」でなく、「神さまファースト」にするのは、けして簡単なことじゃない。私は気づけば無意識に、そのはざまで常に揺れ動いている。

2019年インフルエンザ予防接種とA型

ちょうど一か月前に娘がインフルエンザ予防接種を受けた。
 平均的な接種時期がいつかは知らないが、キチンとしたママさんなら、10月に1回目の接種を終え、11月には2回目を終えている、というのが定番である。子どもは抗体がつくのに時間がかかるから、インフルエンザ予防接種は子供には2回必要だ。しかし、私はうっかりして一か月ほど、予防接種がずれてしまった。そして今日こそが、第二回目の予防接種だった。

 ところが、娘がどうも、数日前から調子が悪い。おまけに熱が上がったり下がったりしている。インフルエンザの定番である、高熱続きじゃないから、きっとインフルじゃないにしても、これはどうしたものだろう。ちょっと気になったので、上記のかかりつけ医に電話した。
 
「先生、娘が、熱がなかなか下がらないんですけど多分インフルエンザじゃないと思ってて・・・」
 すると医師は地元ならではの情報を盛り込んで、私を煽ってきた。

「べべ(仮称:娘の名前)の学校、〇〇でしょ?!いまインフルエンザがすごく流行っているから、検査した方がいよ。すぐわかるから、来て」

 私はまだ検査が間に合うことを知り、一目散で閉所前の病院に滑り込んだ。先生は、娘の喉の奥に棒を突っ込んで、「結果が出たら、呼びます」と言った。すぐわかる、と言ったのに待合室で15分かかった。

 「田中さん!」
 
 呼ばれて言ったら、先生が私に、右手でOKのマルポーズを見せた。うれしそうだった。
 だから私もうれしくて、「やっぱり、違った?!ただの風邪だった?」と歯を見せたら、先生が言った。

 「いや、インフルエンザA型よ」

 「えっ?!ホント? 先生、それならマルじゃないでしょ!バツ出してよ!!」と私は漫才のツッコミ役のようにズッコケてしまった。

 先生は軽く笑って、そうか、こういう時はバツを見せるのか、と照れ笑いして納得していたので、ちょっとおかしかった。こんなときに、笑っている場合じゃないが、さて、明日の仕事はどうしよう、今週の予定はどうなるだろう、と考えた。またまた、親に来てもらうしかない。ため息をつきながら、受付の看護婦さんに気になることを聞いた。

 「あのー、うち、今日が第2回目のインフルエンザ予定だったんですけど」

 そういうと、彼女は眉をハの字にして、困り笑いをしてくれたので、私はそのまま話をつづけた。「もうこれは、2回目を受ける必要はない、ってことですよね?」

 看護婦さんは深く頷いた。

「あのー、実は私、先週金曜に第2回目を受けようと思っていたんですよ。あの時、受けていたら、インフルエンザにはなっていなかったでしょうか?」

看護婦さんは、「たぶんね」と言った。なんと、私のミスジャッジだったか!ガッカリ!!

「でも、そうしていたら、(インフルエンザに)ならなかったかどうかとか、誰にも分からないし。」と、私を慰めてくれた。

今年の流行はインフルエンザA型らしい。夜は娘が38度4分になり、相変わらず食欲はない。「インフルエンザと風邪の見分け方」を数日前からネットで何度も検索して調べていたのに、ネット情報が今日ほどあてにならないと思ったことはない。やっぱり早く医者に見せるのが一番である。

 

支えられ、助けられ、安らぐ放課後

うちの子は、友だちが好きだ。

たとえ、自分に何か嫌なことが起こっても、その子に悪意がないと知れば、受け入れるし、好きの対象になるようだ。わが家には概ね、男女問わず、友だちが来ている。

そういう彼女にとって、友だちとの遊びは至福の時間だ。幼い頃、そんな娘の相手をするのは、働く私にとって、悩みの種だった。

都心の渋谷に子ども向けの公園は少なく、少子化の昨今、近所の子どもを見つけることさえ、そもそも、難しい。

しかし近頃、この苦労から私は解放されつつある。

成長と共に、一人でだいぶ行動できるようになったし、まだまだ母親の介在は多少必要ではあるものの、だいぶ、友だち同士で約束し、遊びあえるようになってきたのだ。

そういうわけで、わが子は秋に入ってからは特に、放課後を友だちと過ごして、楽しそうにしている。それもこれも、仲良くしてくれるお友だちや、娘を受け入れてくれるお母さん方の協力のおかげだ。よそのお宅でお世話になることも増え、ただ感謝である。

子どもをホームスクーリングしているクリスチャンの友だちが、神さまに祈って育てていると、子どもの遊び相手には全く苦労しない、と豪語していた。神さまが、その時に必要な人を連れてきてくれる、と言っていた。

今やっと、私もその思いを強く実感している。

神さまありがとう。