最悪は最善

娘がインフルエンザになった。最悪だ。先週金曜に、第2回予防接種を受けていたら、インフルエンザは防げたかもしれない。金曜に病院へ行かなかったことは、最悪だった。

でも、神さまの目から見たら、これは最善というだろう。

なぜかって?

その日、私が予定を変えたのは、娘のお友だちが、娘と遊びたがったからなのだが、それが縁で、結局、二人はその夜、近所の教会のバイブルクラスに行くことになったばかりでなく、その母と妹まで参加したからだ。

ほんとうにびっくりした。
なぜかというと、私の計画に全くなかったからである。加えて、当初、娘のお友だちがバイブルクラスに行きたい、と言い出した時、その母は夜遅いからと反対した。それなのに、実際に教会に来た母が、楽しそう・・・と言って、中へ入っていく。私の方がアタフタと後をついていったくらいで、帰っていいんだよ、と促したが、最後まで居た。おまけに連れてきた妹まで、バイブルクラスに入れた。
私は待っている間に図らずも神さまの説明をした。母はまったく聖書のことを知らなかった。こういう時、私はその話を特にしたいというわけではないのだが、する羽目になった。終わったら、「来週もまたぜったいに来たい!」と言って、娘の友だちが帰っていった。びっくりした夜だった。

この金曜の選択を、神さまの目から見たら、最善だ。親の目から見たら、最悪だ。くどいけど、そのせいでインフルになった可能性があるから。
でも、親である私は、神さまを信じている(つもりな)ので、この日のことは「良かった!」と思っている。

娘がインフルになったけど、神さまを紹介できた。その喜び?に比べたら、病気は大した犠牲じゃない。だけど、この病気が一過性の治るものだから、私はそのように言い切れる。もしそうでない類の病気だったら、はたしてそのように喜べるか?
私のような我の強い人間が、「自分ファースト」でなく、「神さまファースト」にするのは、けして簡単なことじゃない。私は気づけば無意識に、そのはざまで常に揺れ動いている。

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