憂鬱な顔をして友達が話しかけてきた。
「桜子ちゃん、あのね、私、悩みがあるの・・・。
会社で今、同い年ぐらいの女の子が続々と結婚していくの。
それでね、何人かは妊娠していて大きなお腹で出社してくるの。
私、その子たちを見ていると、幸せそうな様子につい、妬んでしまうの」
なんの前触れもなくはじまった告白に、私は心底驚いた。
思わず「・・・・・・・・偉いね」と言った。
彼女がそのあと、「妬んでしまう自分がイヤだ」と真剣に嘆いていたからだ。
彼女が素直に自分の気持ちを打ち明けてくれたこととか、
私なんかに相談してくれたこととか、私はど真ん中で感動し、
なんとか彼女の力になりたくて、「そういうことに気づくだけでも、十分偉い」
と励ましてみたが、それは何の慰めにもならなかったみたいだ。
「桜子ちゃんは、そういうこと、ない???」
幸か不幸か、こういうとき社内で女子率が極少というのはありがたいもので、
その共感する思いは私にはなかった。だが、隣の芝生が青く見える心情はよくわかる。
一緒になって、悩んでみた。
どうしたら、嫉妬心から抜け出せるだろう?他人を妬む気持ちをなくせるだろう?
いろいろ考えて、結局、それをなくすのは無理だね、と言う結論に達した。
だから、仕方がない。じゃなくて、
だから、そういうときは、自分は人の幸せを妬んでしまう者だから、
神様ごめんなさい。
こんな私だけど、人の幸せを喜べるような愛のある人間になりたいです。
これからもこんな私をよろしくお願いします。
・・・・・と、自己否定に走るのではなく、自己容認してダメさを神様にぶつける!
っていうのは、どうだろう?と話した。
たしか、これには納得してくれた様な気がする。
本当にね、世界中の誰もが好きで、みんなのことが大好きで、という
愛溢れる人になりたいけれど、それは絶対に不可能なんだよね。
誰でも、自分に対して優しくしてくれる人を愛するのは簡単で
自分に対して意地悪な人や、冷たい人を愛するというのはとても難しい。
本当に偽善じゃない優しさとか愛は難しいよ・・・・。