カテゴリー別アーカイブ: 身の周りのニュース

ここが変だよ、日本の郵便局

先日、郵便局を2軒はしごした。その両方で「?」という体験をしたので書いてみる。

ある午後、戸籍謄本を大至急取り寄せなくては、という事情に巻き込まれた。
私はそれまでの作業をすべてほって、脱兎の如く、郵便局に駆け込んだ。
時、既に16時前。ミッションは「350円の為替を購入して役所へ速達で投函する」である。

郵便局に入るや否や、必要書類に記入していると、突如ガラガラガラとシャッター音がした。
窓口が終了したのである。その瞬間、記入より先に為替を購入しなくてはならなかったことに気がつく。
大慌て。しかし、気づいたときは後の祭りで、窓口の職員に”買わせてくれ”という視線をおくるも、無視される。(※交渉してもダメと顔に書いてあった)

「どうしたら手に入るでしょう?」と聞くと中央郵便局に行くしかないという。
仕方ないので、またもや脱兎の如く局を飛び出し、タクシーに乗る。

東京駅の歴史ある中央郵便局は古くて荘厳な雰囲気である。
中に入ったら、窓口がずらりと細長く並んでいて、局員の数に圧倒される。
待っている人はまばらだったが、待合番号札を念のためにとる。

すると突然女性が血相を変えて飛んできて、私の番号札をひったくった。
誇張でもなんでもなくて、本当にひったくられたという表現が正しいのである。
私は目から星が出た。

「XCOIFfgvぉvgろえp×y○、すみませんでした!!」

は?

彼女を見ると制服なので、郵便局員であることを知ってまた驚く。
何を仰っているのか分からないが、反芻して聞きなおすと、
「番号札をお客様自らに直接とらせてあいすみません」という。

察するに、番号札をとるのが彼女の仕事だったのだろう。
なにもひったくってやり直すことはないと思うのだが、容貌が若い。
おそらく新入社員だろう。気持ちはわかるがなんとも対処の悪いお詫びである。

・・・にしても、丁寧すぎる。そんなことまでやってくれるの?と思う半面、
そんなに親切にしてくれるなら、さっき親切にしてもらいたかったと内心思う。

まあいいや、ともかく待望の為替購入だ。
ここに来るのにタクシーまで使ってきたんだ。
350円ほしいのですが、と言ったら、650円です、と言われた。
えっ、なんで?

局員 「手数料が100円かかるんです。」

私   ははあ、なるほど。でもそしたら、450円・・・?

局員 「100円単位50円単位に、それぞれ100円の手数料がかかるんです」

私   なるほど。だったら400円分購入した方が賢いのかな?
     500円になるんですよね?

局員  「失礼ですが、使用用途は?」

私   350円分買って区役所に送るんです。

局員  「役所はお釣りを嫌いますから、受け取らないと思います。正しい分を
     購入した方が」

なにかおかしい、と思いながらも650円払う。なんか、おかしいよね?
150円を郵便局に寄付したような気持ち。

というわけで、変だよ、日本の郵便局。海外は良く知らないけども。

オフィスが移転しました

虎ノ門1番出口から徒歩5分。

新オフィスは興和新橋ビルの2階。大きな窓から緑が見られて清々しいです。
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ちなみに、今朝、職場を間違えて、お隣のキッコーマンさんの2階に入ってしまいました。ラジオ体操が流れてきたので、経営方針が変わったのかと思い、「わが社の居室はどこでしょうね??」といったら、「???」となり、間違いに初めて気がついた次第。いやー、おかしいと思った。

人生は自分で選んだ道?

たとえば、「私の人生こんなはずじゃなかった」とか
「あのとき右でなく左を選んでいたら」などといって、
ふと振り返るクセ、あなたにはないだろうか。

後悔はしていない。
でも、決着ついた過去に戻って、あの選択はあっていたのか考える。
意味のないことをついしてしまう、そういうこと。

学生の頃、自己実現を目指していた私は、あるときから、
「自分ではなく神様のために生きていく人生」という生き方を、
好むと好まざるとにかかわらず、選ばされた。
強制された物言いをするのは、不本意だったからである。

私は物心ついたときから、神様の存在について考える土壌にいた。

幼い頃は素直に信じていたが、思春期になるにつれて、
毎日曜日に日曜学校へ行かなくてはならないことや、
あれしちゃいけない、これしちゃいけないが難しすぎて
(誰かのことを羨むのも殺人も同じ罪なので、しょっちゅう謝ってばかりで罪の意識に苛まれて苦しかった)

そして、神様なんて目に見えないものは信じられないとか
日曜日に教会へ行くより遊びたい等という負の要素をあるとき突き抜けて
神様を信じるようになってしまった。
これは、信じようと決断したのではなく、知ってしまったという感覚に近い。
だから逃げ道がない。

かくして、信じるようになってしばらくしてから、
「信じる人生は自己犠牲」という、信仰の本質を知ることとなる。
この瞬間は相当なショックを受けた。嫌だったからである。

でも、戻れなかった。
信じることは、自分の損得や計算ではなかった。
結局色々なことがあって10数年が過ぎ、
今もまだおぼろげながら信仰を保っている。

そんな私にある晩、こんなことを言った人がいた。

「 どうして「○○が辛い」とか言うのかわからない。好きなことやってて、
 自分が選んだ人生だよね?嫌なら辞めればいい。人生は自己責任だよ」

 私は先に述べたとおり、信仰を持って以来、自分で選んだ人生じゃない、
と思っていた。だから、この言葉には大いに戸惑った。

「え?だって、自分で選んだ人生じゃないもん」

がしかし。自分で選んだ人生じゃないっていったいどういうことだろう。

ゴミ当番と「福田首相の桜を見る会」

毎週土曜日はゴミ当番の日である。

わが家の周辺はほとんど一戸建てなために、各家庭が月変わりの持ち回り制で当番を担当している。
ところが昨今の高齢化ゆえ、当番をこなせない家庭が増えて、今ではほんの2~3軒だけでゴミ当番をする。ゴミ収集車がきたら、ゴミ箱をお掃除して、周囲にゴミが落ちていないかなどをチェックする仕事だ。

それで、今朝は目覚めたら私一人だったので、
午前中からゴミ屋さんが来てくれるのを今か今かと待っていて、
車の音がするたびに、お外にでてキョロキョロするのだけれど、

ただいま15時。

ゴミ箱が満タンです。

お外に出たい。ゴミ屋さん、早く来て・・・。(T T)

しかたないので、家人に一言断って外出しようとも思って
昼間から携帯に何度もかけているのに、反応が一切ない。

・・・。

しょうがない、こんなときはパソコンだ。

で。サイトみたら、

福田首相の新宿御苑で「桜を見る会」

あー!!! あー!!! なんだこれはー!!!

新宿御苑にいるじゃないかー!

やられた、やられた。

あ~、だから朝から誰もいなかったのか~(@@)。
実はうちの両親は本日、福田首相の「桜を見る会」に参加しているのである。
時計の針はもうすぐ16時だ。

結局、でかけないまま、夜になってもらった記念品に、いたずら書きをして終わった。

アイム ファイン

先週の月曜日以来、元気になってきました。

ひそかに祈ってくれた方が多分いる・・・
絶対いる、と思いました。


うっ、゜゜(´□`。)°゜

ありがとうございます。
ついでに電話をくださったKさんもありがとう。

さらに、なななんと・・・!!!

If you want to visit me in Switzerland, you are most welcome, you do not need to go to Alabama…

スイスからレスキュー隊Sが駆けつけてくれました!!

素晴らしき哉、ブログ。
アラバマネタも吐露してみるものです・・・。(Sとのエピソード)

うれしいヽ(‘ ∇‘ )ノ 

今日も支えられて、毎日生きる日々です。 m(__)m