カテゴリー別アーカイブ: 渋谷子育て

手作り段ボール滑り台

主人お手製の段ボール滑り台が今日も三歳児に大活躍!
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遊びにきてくれたかほちゃんが喜んで楽しんでくれました。
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みんなで電車ごっこもしたよ。
ハンドル操作もしているよ。

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久しぶりの銀座と会社

急用で娘を義母に預け、母と銀座へ。
打合せ後、先生が母にケーキセットをご馳走してくれ、私も御相伴。

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イチゴ
*・゜゚・*:*・'(*゚▽゚*)’*:.。. .。.:*・゜゚・*

スマホみたら、かつての上司からメールが来ていた。職場は近い。

ネイルしてない自爪が気になりつつも、
今の私はプライドより時間が命。
滅多にないチャンスなので会社へ行く。

2年ぶりの会社、
行く道すがら、顔がにやけた。

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上司と再会後、スキップしたくなったので、私は会社が好きなのかな?と思った。

主人から、在職中はドナドナと呼ばれていた私だけれど。(^ω^)

ネットでつながることの耐えられない軽さ

約10年くらい前からブログを続けていると、「ブログが好きなんですね」と言われ、
そういう人はたいてい「私もやろうと思ったけど、続かなくて」と笑う。

私がブログをやり始めた理由はあるのだけど、続いているのはなぜか。
この本を読んで膝を叩いた。

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現代はむしろ他者との会話より、書きことばによる自己との対話こそがたいせつなのです。
書きことばとは突き詰めると、自己との対話であり、思考です。
他者との上っ面の会話や技術としてのコミュニケーション力で、自分を支えることはできません。

(抜粋)

そうそう、思考!
私はブログを通して自分と対話したり、感情を確認したりしているのだ。
続けているみなさんも、そうではないですか?

娘の昼寝中に東急本店ジュンク堂で一気読みした同書、最近の私のヒットです。

バースデーパーティー

父から手紙で頼まれ、頼まれなくてもする予定だったが、土曜日に母の誕生日会を行った。
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ロウソクを消す時、
ブー!
と音がしたので、

皆がヤダ〜とか、汚い
と言って大笑いしたので、
笑いすぎた母はなかなかロウソクが消せなかった。

皆が帰ってから、
「こういう状況でママが大笑いしてくれてホッとした」
と夫が言った。

今日はこの話をお土産に、父の所へ会いに行く。

雪のバレンタインデー

朝から雪の2014年バレンタイン。
母は忙しかった。

「いまどこにいるの?」と9時半頃に電話をかけたら、
「銀座。すぐ終わるから、帰り道寄るわね」といって、
その言葉通り、雪が降り積もる中、わが家に来てくれた。

なぜ銀座!?と思えば理由はただ1つ。チョコだ。

「受付で『こんな雪の中、わざわざチョコを届けに来たんですか?』
と言われたんだけど、『いいえ、ついでがあったものですから』って
返事したわ」と言う母だが、ついではなかった。

父のことでお世話になっている方々へ
気持ちを届けに行ったのだ。

「よくこんな足元が悪い中、チョコ渡しに行ったねえ!」
と母の若さをたたえ、今日が誕生日の母が
予期せずわが家に来たので慌ててスイーツを制作。

家にあった材料で出来たクレープ(中にイチゴと生クリーム)
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娘は、自分の誕生日だと勘違いして、
ロウソクを消すの!!と駄々をこねていた。

慰めのアイスクリーム

なぜか、2種類とも桜マーク付。20140213-224152.jpg

今日もこどもと闘ったなあ・・・
と、疲れて家に帰る途中、

あ!
と声をかけられ、

昨日のブログをたまたま読んだ!!
という、ママ友に会った。

彼女は、
その気持ちはよく分かると言って、自分なんかもっと酷いと励ましてくれた。
目を見たら彼女も私と同じ苦労をしてきていることがよくわかった。
( i _ i )
それなのに、別れたあと、うちにまで走ってきてアイスをくれた。

甘いもの食べて元気だして!
と。

単純だが、、、
彼女のこの愛により一日の疲れがすべて吹き飛んだ。
*アイスを頂いたからではないw

何というか、抱きしめられた感じ?

育児って、楽しいし、可愛いし、
いい思いもたくさんするんだけど、
地味で大変で辛い部分もたくさんあって、見た目以上にハードなワークである。

でも、今日は友の励ましにより、元気をチャージ。

夫も今日はふだんより早く帰宅し、ハーゲンダッツの新作だと言って、アイスを買ってきてくれた。

感謝。(*_*)

今日のおやこ格闘

娘が寝た。
すべての母親にとってホッとする瞬間である。

昨日「聖書が教える育児」というブログを書いたが、
〝神様を仰ぎ見て、親の言うことを聞く〟という姿勢を子に教えることはなんと難しいことか・・・!

今日は恵比寿ガーデンプレイスで
「ベビーカーに乗りたくない」と愚図る子供に、
お菓子をあげるからと買収して、乗せた。

夕食時にはご飯を食べず、
「あんぱんまんせんべい食べたい」と駄々をこねる娘に、
ご飯を一口食べたらあげると交換条件をだした。
(だしながらも、こういうトレードはいけないと内省・・・)

が、それには応えず、「食べたい!」と一方的に主張する彼女に、
「じゃあ、もうご飯作りません」と夕食をさげて、
代わりに娘の欲するおせんべいを渡して、私は寝室へ行き、頭からお布団をかぶった。

娘がワーン、ワーン!!!と泣く声を聞きながら、これは虐待に近いだろうかと考えた。
そして、もしもこの場に夫がいたら、また夫が私を叱るように思え、頭が痛くなった。

私は娘が泣いて私を追いかけてくれることを期待し、寝室で待っていたが、
ちっともこっちにこないで泣き続けるので、私が折れることにした。
彼女はまだ2歳なのである。

リビングのドアを開けると、娘が寄ってきて、
「ママー、もう泣か・・・・ない!もう泣か、泣か・・ないよ!!」」
と涙をぼろぼろこぼしながら、一生懸命涙を止めようと目をこすっていた。

私はそれが原因ではないと伝えたが、
(※夕食を食べずにお菓子を求めたことに腹を立てていた)、
我ながら情けなくなり、その場にへたり込むとすっかり悲しくなってしまった。

毎日の瞬間、瞬間は、どうしてこんなに苦労の連続なんだろう。
こどもと二人、幸せな平凡生活を送っているはずなのに、
育児はどうしてこんなに孤独なんだろう。
どうして周りは私を助けてくれないんだろう。

しばらくぼうぜんとしていたら、
娘が、うつむく私の顔を覗き込んできて、

「・・・ママ、笑ってる?」
と聞いてきたので、益々悲しくなった。

こんな2歳の子に気を使わせて、みじめだった。
同時に娘が不憫に思え、この子の先が可哀想に思えた。

結局、娘には「ごめん、ママはパーフェクトじゃないの」と白旗をあげて、
1人で祈った。結局、私には神様しか頼る人がいない。

産後、写真しか載せていない日々がほとんどなので(最近は少し書き始めたが)、
のほほんと過ごしているように見えるが、

日々を生きていくことの大変さは、家庭にいても、ある意味、同じだ。
今日も、会社員時代と同じく、種類は違えど、今の自分に合った、さまざまな困難や葛藤にぶつかりながら暮らしている。

雪だるまとタコ焼き

友達とお散歩。
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お昼、友達の家でタコ焼きならぬ、イカ焼きをご馳走になった。

大阪出身の友達が、
イカがうちにあったから、タコ焼きじゃなくても、イッカ、と言った。w
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作りながら、食べると、楽しくて美味しい。

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娘は、初タコ焼きをパクパク食べた。

聖書が教える育児

昨年、聖書の観点から書かれた育児本を頂いた。
ずっとこのような本を探していた私は飛びあがりたいくらい嬉しかった。
というのは、聖書に基づいた育児の価値観が知りたかったからである。

一気に読み進めるのがもったいなくて、少しづつ読み進めている。
ちょうど、先日の夜は、こんな箇所を読んだ。

【親の言うことを聞かない子をどうやって聞かせるか?】
この問題で悩まない親は1人もいない。すべての親は、子と日々格闘している。
この育児本では、上記の問題に対して、以下の対処は間違っていると書いてあった。

1)賄賂を使う方法(お菓子をあげるから、買ってあげるから、○○しなさい)
2)感情に訴える方法(あなたが○○しないとお母さんは悲しい)
3)罰を与える方法(○○しないと、テレビは1週間禁止よ)
4)行動を修正する方法(○○をしたら、シールを一枚づつ貼るわ)
5)私もちゃんと育ちましたから的方法(ママもおばあちゃんに○○するよう言われた)

夫にこの話をすると、
「たいていの親は、今言った方法で対処しているよね?それがダメなら、どうやって対処すればいいの?!」
と言った。

私も、
「だよね。その答えが次の章に書かれているみたいなんだけど、まだ読んでないの。」
と言って、夕食を終えた。

その夜。
娘をベットで寝つかせていると、夫が傍らにいたせいか、突然泣き出して
「あっち(リビング)のお部屋行きたいの~!」と大声で遊びたいと喚きだした。

今まで、わが家ではたいてい、このような状態になると、
体力のある夫が娘を抱きかかえ、リビングで娘の願うとおりに遊ぶのだが、
この日は明らかに就寝時間であって、娘が本心から遊びを希望しているというより、
ワガママだと(私には)見えた。

それで、私は絶対にダメだ、と言った。
夫は娘の言うことを聞いてあげたい風だったが、私が先に宣戦布告を訴えたので、
私に加担せざるを得なくなった様で弱ったなという態度だった。

そして、彼は娘を指導し、懸命になだめるも、べべは泣きやまなかった。
私は私で夫が対処してくれている間に、次の一手はどうすべきか頭をフル回転させて考えていた。
「そんなに泣くなら、一緒に寝ません。パパとママは(寝室を)出ていきます!」

しかし、ハッとした。罰を与えてはいけないと夕食時に話したばかりだった。
でも、どうしたらいいの!?

娘の泣き声がこだまする中、頭の中がぐるぐる回って、
ああもう!と思い切って私は夫に寝室を出ていってくれるようお願いした。

娘と私、ふたりきり。
そして私は、ママの話を聞いてと言った。

娘は泣きながら、「パパ、どこ行ったの?」と聞き、話を中断しようとしたが、
私は根気よく、「パパには出てってもらいました。あなたと二人きりでお話をしたかったからです。」と何度も答えた。

そして、私が娘に話したことは、
・パパとママが結婚してべべが産まれたこと。
・パパとママは神様からべべを授かったこと。
・パパとママは神様から授かったから、べべを育てる義務があること
・パパとママは神様から預かったから、べべを監督する義務があること
・パパとママの言うことを聞きなさい
・大きくなったら好きなことをしなさい

これらの話を娘にこんこんと説明したら、娘はすーっと寝てしまった。

このひと騒動後、戦いを終えた兵士のように隊長(夫)のもとへ戻って行き
「寝た・・・」と報告した。
そして、夫に「さっきの本の続き、読まなくても答えが分かった」と言った。

あとで、次章を開いたら、次のように書かれていた。

エペソ6:1
子供たちよ。主にあって両親に従いなさい。

夫は理解したかどうかはともかく、べべがその話を(泣きやんで)黙って聞いていた、っていうのがすごいよね。と言った。

私は、子育ての大変さと神の奥義に改めて深呼吸をした。
そして、聖書に認められている通り、子供というのは親が意識していようがいまいが、もっとも神様に近い存在として誕生している神秘を思わされた。

育児は、娘だけでなく、私にとっても非常な学びの連続である。