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sakurako について

Sakurako,a business working woman who live in Shibuya,Tokyo.

幸せ子育てのコツ~今がつらいママたちへ

スクスク子育て(NHK番組)のコメンテーターでお馴染みの玉川大学教育学部教授大豆生田氏の本を週末に読んだ。
家事の合間にさらっと読めた。最も印象深かったのは次の2箇所だ。

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●自己評価が低い日本の子ども。—各国の中高生を対象にした自己評価に関するデータによると、自分はダメな人間だと思うかという問いに対して、YESと回答したのは中国11%、米国14%に対し、日本は56%。自己評価の低さの原因の一つに幼い頃からの育て方があるのでは?と専門家。自分に自信が持てるような育てられ方、育ち方をしてこなかったのでは、という。(2008年日本青少年研究所調べ)

●子育ては、ママ1人でやるものではないし、みんなで関わり合って、支え合ってやるべきなのに、社会はそのことをぜんぜん理解していないし、ママさえがんばればなんとかなるはずと大きな誤解をしている。
(同書からの抜粋・編集)
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幼稚園教諭でもあった筆者(3児の父)が教諭だった頃は「お母さんさえ頑張れば子供は育つ」と思っていたと告白し、お母さんしっかりして!と指導していたというから驚きだ。
いまテレビでお見かけするような<子育てはみんなですべき>という母親支援へ変わったのは、ご自身の次男が誕生して(苦労を知って開眼した)からと書いてあった。

ああ、やっぱり育児の苦労は子供とずっと過ごす経験がないと分かってもらえないのか、
としみじみ思った。
かくいう私だって、独身時代は子連れママが一切視野に入ってこなかった。
そう思うと少子化社会が進む日本はこれからもますます子連れ家族には肩身が狭く、生きにくい。

本のタイトルである「幸せ子育てのコツ」はピンとこなかったが(タイトルと文章があってない気がする)、今の社会ってこうだよね?という自分が思っていたことを、その通りと教えてもらったような納得感があった。

振り返ると乳幼児期は実に孤独だった。
毎日なんだかもやもやとした不安を押し殺して、天使みたいな子どもに笑って対峙して、夜は大丈夫と自分に言い聞かせながら眠っていた。私の場合は夫にずいぶんその辺をフォローして貰い、むしろ夫に育児とは何かを教えったので、夫への感謝は計り知れない。

だけど、みんながそういう旦那さんがいるわけではないし、シングルマザーだっている。
わたしたち母親は周りの支援がないとやっていけないのである。
街中で子どもに四苦八苦しているお母さんを見かけたら助けてください。
そうして、私たちは、同じママ同士を思いやり、助けあい、支えあっていきたいものである。

代官山テノハ休日ランチ

前から気になっていた、代官山イータリー跡地にできたTENOHA。どんなお店が気になっていたので休日出かけてみた。



気になるメニューはこんな感じ。



子供用の椅子が少ないことや、子供用カトラリーがないのは、代官山マザーには打撃。

揃えたらいいと思うんですけど…。

料理はちょっと油っこくて、でもワインには合う感じ!



帰りは隣のインテリア店で家具を見て帰った。



代官山TSUTAYAのユニオンジャックと生ウィリアム王子

金曜日の夜、TSUTAYAの前を通った。周りがユニオンジャックの写真を撮っていたので、ベビーカーを押していた私は歩きづらいと、眉間にシワを寄せていた。

芦田淳のブティックの前を通ったら、マネキンがユニオンジャックを持っていた。

ウィリアム王子が来たらしい。

今朝友達からラインが来て、友達の旦那さんが仕掛けたと教えてもらった。

ほう、すばらしい!

友達にウィリアム王子写真をもらいました。

明日から三月〜ひな祭りの過ごし方

午前中、藤沢市にあるいちご狩農園に出かけた後、杉並区の実家に寄ったら父が庭の梅の木を切ってくれた。

お家に飾ると花のいい香り。



一気に三月になった。

ひな祭りも近いし、梅の花に誘われて、ささやかなお祝いをしたくなってきた。

死にかけた?私のアナフィラキシー体験(食物アレルギー)

昨日、湯葉豆腐を食べたら、アナフィラキシー(急性アレルギーで死の危険あり)を起こした。

ΣΣ(゚д゚lll)この歳でなった!!!!!
子どもの食物アレルギー話は知っている。でも、まさか大人がなるの?

昼食後、家族でただ一人、濃厚国産湯葉豆腐を100gほど食べた私は、しばらくするとコショウを振りかけられたかのごとく、くしゃみ止まらず、夫から「花粉症じゃない?」と言われる始末。
(午前中外出したので)着用していた服を着替えるも、鏡をみておののいた。
左目はぷっくら腫れあがり、お岩さんみたいで、なんかこれっておかしい、と思った。

まさか、これって、俗に言う・・・アナフィラキシー?救急車に乗るんだっけ??

いや、でも呼ぶのって恥ずかしいし、コーヒー飲めば治るかなと(黒いから解毒作用がある気がした)飲んだら、喉が変。飲むのが苦しくて痒い。なんか適当な薬ないのかなとインターネットで夫に検索してもらい、昔処方してもらった袋に抗生物質でもないかな、と思ったが、何も見当たらず。

症状はおさまるどころか、顔をかきむしりたくなり、咳がゴホゴホ出始めて、我ながら夫の同情を買おうと演じているのかなという気がした。が、そう思いながらも、何かがおかしいという気持ちは増し、やっぱりアナフィラキシーじゃないかと思った。それは、ほっといたら命が危なくなるという話だった気がした。(←あってます)

怖くなってママに電話した。
ママは、アナフィラキシーを知らないのか、知り合いのお医者さんに聞いてみてあげるわと言った。
その間夫が「どこの病院へいったらいいんだろ?」とSIRIにどこへ行ったらいいのか聞き、近所にアレルギー科の病院があるのを見つけ、家族3人で出かけた。
こういうとき、幼子がいるっていのは、本当に大変である。家で待っててとは言えないのだ。

私はキャーキャー言い、娘はごにょごにょと欲求を満たそうとするので、
夫は「ちょっと今はママが大変だから、べべは我慢して」と四苦八苦していた。

結局、タクシーで行くかと思いきや、夫が娘をベビーカーに乗せ、私の手をひくので歩いた。
歩いてていいのかな・・・と内心訝しんだが、今思うと徒歩もタクシーも変わらない距離だった。
(タクシー捕まえるのに時間がかかるから)

病院では1時間待ちと言われた。
げ、私、こんな状態で待つの?どこから見ても変な顔なのに?
受付の綺麗な女性は涼しい顔をして、私のヘン顔をみても怯むことなく突き放した。

「おかけになって、問診票にご記入くだされば、看護婦が判断しますから」と言った。

問診票なんて書いてるヒマもないくらい、一刻を要するんじゃないの?と思い、
ふてくされながらも椅子に腰かけのろのろと記入し、電話番号は無記名で提出したら、
「ここも、記入してください」と突き返された。

案の定、提出したら私の名前は即座に呼ばれ、先生が私を見ると
「点滴うちます。」と言って、看護婦さんへいろんな薬の処方箋を口頭で指示していたが、
どれもこれも「マックスで!」と言って、すぐベッドに寝かされ、血圧や脈を測られた。

その頃には右目も膨らみ、目肉が飛び出そうな感じ(看護婦から「甘く見ないで白眼も膨らんでる」と言われた)で、息も絶え絶えに気が遠くなっていた。もしかして死ぬのかなあと思うものの、まさか神様はここで私を殺すまい、と思いながら、もしもを想像した。

待合室で娘を抱えて待っている主人と娘が一番に思い浮かんだ。
(夫は悲しむだろうが、私の人生、けっこう良かった。いまここで死んでも何も後悔するものないわ)
と思えた。

幸い、いま、こうして書いてるから峠は越えたが、顔はヨーダよりも瞼が厚くはれている。
Yoda_SWSB

来週からは内科でエピペンという自己注射器(誤って食べたとき打つ注射器)を処方してもらうよう忠告された。あれが、私の人生最後の豆腐であった。

夫は、チョコレートじゃなくて良かったね、と言った。

保育園帰り、渋谷南平台デニーズで夕食

公園で遊ばせても、もっと遊びたいと泣く娘。

珍しく大きな声で泣き続けるので、
ストレス溜まってるのかな?
と思い、このまま帰宅するのが可哀想になった。

デニーズ行こっか?
と聞いたら、途端に泣き止んだ。

「べべちゃん、デニーズ、大好きなの。」
(null)

ヘルシーママは絶対来ないだろうなと思いながら、渋々デニーズへ足を運ぶ。

けれども、今日もまた、私みたいなママが二組ほかにもいた。

夜でも遊びたい、3歳のありあまるエネルギー

保育園に初めて18時過ぎに迎えにいくと、娘がクラスで最後の1人。

幸い、夕方は学年がごちゃ混ぜらしく、他の園児らがいたが、寂しくなかっただろうか?

そんな心配をよそに、夕暮れの誰もいない公園で遊びたいとべべ。
(null)

(null)
このありあまるエネルギー、 保育園でもっとお散歩とかあればいいのにな。

様子をみていると、お散歩は週一回あるかないかの頻度である。

「もっと遊んでていい?」
と、娘。
ひとりでも楽しげに歌を歌い、遊んでいる。