宿泊所のゲストハウスで仲良くなった、千葉県から来たという1つ上の子と外に出る。
ここに来ると、娘の遊び相手がすぐみつかるのが、一人娘を持つ親としてはうれしい限り。
最初のカリキュラムは7時半からのトウモロコシ皮むき。
食後は、バスで遠足。公園で今日は遊びます。外でクラス毎に分かれて、聖書のおはなし。
みんなでランチ。 おにぎり以外は全て手作り。 スイカ割りなどして帰宅。どれも新鮮な野菜をその場で盛り付け。
夏!子供にとっては日常では味わえない、数多くの体験が出来る素晴らしい季節。
わが家は仕事人間の夫を置いて、友人を誘い、娘と“日曜学校夏の子供キャンプ(2泊3日:吉祥寺キリスト集会主催)”へ、初参加した。
現地まで行きは池袋発の高速バスを利用し、帰りは新幹線を使った。
さっそく乗り込むと、真後ろに日曜学校のスタッフを務める友人2人がいて、神様の素敵なサプライズに感謝した。長距離バスは長い時間、車に揺られるので、幼い娘がもつのか心配だったが、そんな考えは不必要とばかりに、最前列席は景色が良く、フットマットは快適であった。
※娘の足
三時から受付で、最初に、自分の名札をつくる。
娘は早くも初めて会う女の子達と仲良くなり、名札を作ってもらう。
始まりの挨拶。
先生の自己紹介と歌、聖書のおはなし。
こどもの歌の歌詞は、とても優しくて、聴いていると涙が出そう。
そのあとは年齢に合わせた各クラスでお話。わが子は幼稚科クラス。
お昼寝なしで一日飛びまわった娘は、初参加と思えないほど馴染んで楽しそうだったが、夜になると、「パパに会いたい、帰りたい」としくしく。。(*_*)
仕方なく、夫に電話すると、「パパ〜帰りたい。。」と、娘。
夫は、え〜?!と驚いていたが、私も驚いた。そんなにパパが好きなのね、と思いながら、娘を懸命になだめる。
やっと最後は、彼女も理解したらしく、「今度はパパも一緒に来ていいよ。三人で寝ようね」といじらしいことを言う。ちょっと泣けた。。
さすがの夫も、考えてみる、と返答した。次回は夫も来るだろうか?
今日は夫の誕生日。
仕事で遅いはず、とノープランを決めていたら、まさかの「今日は早めに帰るよ」。
わ〜(>_<)どうしよ〜。
今年はそんじょそこらの日じゃないよ、50歳の節目だよ。知り合い男子も、50歳になると気持ちは違う、と明言してた。
パーティーでも開くべきだったか?
と、考え始めても時すでに遅し。
慌ててシニアの社長にウンチクをお願いしようとメールで誘ったら、出張で行けない、と即レス。
もともと、夫は家族だけでいいというタイプ。ならば、ホントに家族だけで過ごそうかと迷いながらも、今朝は職場で、訪問先のクライアントと打合せついでに、誕生日の過ごし方を相談してみた。
「パーティーはさ・・・」
ごくり、唾をのむ私。
「この歳になると派手なのは恥ずかしいよ」
ああ、そうですか?なら、よかった。家族でお祝いする案でいいのね。
「親が来たら、サイアク。」
げ。まじですか。
15分前に義母へお誘いをメールしたばかり。青くなった。
「でも」
「そういうのが一番思い出に残ってる」
打合せ後、携帯には義母から『行く』の返事が来てた。
そうだよ、やっぱり母が産んでくれたから、いまの夫があるんだもん。いらしていただくのに、一番ふさわしいゲストだよ。
夜、シャンパンで乾杯したあと、おやこカルタ。
付き合い始めからとっておいてくれてるそう。
1、2、3。…3年だね!
と喜々としていったら、
「そんなわけないだろ!べべは今年4歳になるでしょ」と突っ込まれた。
残り3枚足りない。去年は私がホワイトチョコをバリバリ食べた気がする。。
夫は幸せな誕生日だったよ、
と言った。
こんな地味だったのに良かったのかな〜( ? _ ? )
でも、ただいま夫は社員にいただいたバカラの素敵なグラスで、大好きなお酒を飲んで幸せそう。
よかった。
◇誕生日プレゼントこぼれ話◇ 2019年1月30日追記(この記事が人気なので調べました)
50代が欲しがるアイテムの1位は「財布」だとか。そういえば私自身も、夫からのクリスマスプレゼントや、海外のお土産に、ネーム入りお財布等をいただき、重宝しました。料理はやっぱり肉、が人気。
1位: 財布
2位 肉
3位: バカラ ←名入れ対応も可
4位 枕 ←オーダー枕(日々の疲れもこれで吹き飛ぶ!)
5位: 上質なシャンパン ←これで乾杯♪
どうぞ、思い出に残る素敵な誕生日を!
追伸:うちの会社にはこんな若い50代もいる。
以前NYに住んでいた叔父が、昨夜電話をかけてきた。
叔父はビジネスマンで、用がないとかけてこないタイプ。
とても驚いたので、「どうしたの?!」と聞いたら、
拍子抜けした声で「お前こそ、どうしてるんだ。」と言われた。
それで、叔父が言うには、
「お前、一人で抱え込むなよ。」
といい、言われた私は「ずいぶん、まるくなったね。」と照れながらも、
定年を過ぎて親戚愛に目覚めたらしい叔父のことを頼もしく感じながらベッドに横になった。
* * *
親戚、といえば、この間もブログに書いたが、先週末でかけた広島の大叔父は私の母の母の弟だ。この数日その存在感は私の心を大きく占める。
私にとって彼は今まで関係ない人だった。7年前まで会ったこともなかった(はず)。
それが、母を通して2009年の秋、初めて会った。
それを機に年に1~2回、大叔父がいる、という理由だけで岡山へ会いにでかけるようになった。
特に母は叔父のことを熱心に気遣い、叔父の心の解放を祈って出かけていたが、私は暇に身を任せついていく程度だった。
それが2012年、母の熱心さが身を結んだのか、突如、大叔父が信仰告白をした。
信じがたいことだった。
①娘べべと母の3人で出かけた旅。
(今年も会えたねぇ、と当時は倉敷に住んでいた大叔父が言った)
②夫と出かけた旅。
大叔父はその時、洗礼を受けた。
3年ぶりに再会したら、大叔父は倉敷に住んでいた頃より若返り、穏やかないい表情をしていた。
遠く離れて、全然会えなくても、神様は一人一人を養い守ってくださることを大叔父を通して証明してくださった気がした。私はとても感動して、家族や親戚をもっと愛したいと思った。