甘くて酸っぱい家族のつながり

以前NYに住んでいた叔父が、昨夜電話をかけてきた。
叔父はビジネスマンで、用がないとかけてこないタイプ。

とても驚いたので、「どうしたの?!」と聞いたら、

拍子抜けした声で「お前こそ、どうしてるんだ。」と言われた。
それで、叔父が言うには、

「お前、一人で抱え込むなよ。」

といい、言われた私は「ずいぶん、まるくなったね。」と照れながらも、
定年を過ぎて親戚愛に目覚めたらしい叔父のことを頼もしく感じながらベッドに横になった。

 *  *  *

 親戚、といえば、この間もブログに書いたが、先週末でかけた広島の大叔父は私の母の母の弟だ。この数日その存在感は私の心を大きく占める。

私にとって彼は今まで関係ない人だった。7年前まで会ったこともなかった(はず)。
それが、母を通して2009年の秋、初めて会った

それを機に年に1~2回、大叔父がいる、という理由だけで岡山へ会いにでかけるようになった。
特に母は叔父のことを熱心に気遣い、叔父の心の解放を祈って出かけていたが、私は暇に身を任せついていく程度だった。

それが2012年、母の熱心さが身を結んだのか、突如、大叔父が信仰告白をした。
信じがたいことだった。
娘べべと母の3人で出かけた旅
今年も会えたねぇ、と当時は倉敷に住んでいた大叔父が言った
夫と出かけた旅
大叔父はその時、洗礼を受けた。

3年ぶりに再会したら、大叔父は倉敷に住んでいた頃より若返り、穏やかないい表情をしていた。
遠く離れて、全然会えなくても、神様は一人一人を養い守ってくださることを大叔父を通して証明してくださった気がした。私はとても感動して、家族や親戚をもっと愛したいと思った。

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