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sakurako について

Sakurako,a business working woman who live in Shibuya,Tokyo.

子供のお泊りで2人っ子の親気分

暑い。
日に日に、記録的暑さが更新されていく渋谷である。

先々週は2泊3日で、毎年恒例の「西軽井沢子供キャンプ」へ行ってきた。ありがたいことに去年初参加した親子2人に加え、新たに7人(親含む)が初参加となって、賑やかな一行になった。

そして先週は、朝早く仕事があるママに春から頼まれていた、子供のお泊りを実行に移した。渋谷にある英語のサマープログラム(Vacation Bible School)に通わせたい、2泊頼む、というのが理由だ。
「泣かない?」と心配気に聞いたら、鼻で笑われた。実際、泣くことは全くなく、むしろ、うちの子の一人のようにふるまっていた。1つ年下なのに、たくましい。

職場で、「うちに娘の友達が泊まりに今、来てるんだよね」と、同僚に話したら、
「共働きで、子供預かるんですか?!」と、驚かれた。私も後から(だよね・・・)と自分はバカなのかな、と思った。というのも、やっぱり子供を預かると緊張する。夜はちゃんと寝ているかが気になり、夜中に何度も様子を見ていた。

おまけに、朝は早起きだ。テンションが上がっているから、5時に起きる。それなのに、外出時間になって準備が出来ていない。最後は鬼の形相で、「私は働いているんだから!」と怒鳴るダメママであった。

それでも、
楽しかった。

子供が家に二人いるって、こんな感じかなあ、とぼんやり思った。
その気持ちは主人も同じだったようで、朝目覚めてリビングに来ると、「家の中が一気に子供がいる家になった」とつぶやいていた。

パジャマ姿でソファに寝っ転がって、スポンジボブを観ている姿も、床に座って、何やら遊びを生み出している姿も、すべて微笑ましかった。

親は大変になるけれども、こういう経験は夏休みだからこそ、できる。
楽しい思い出や経験を、たくさん積ませたいものである。

God doesn’t require us to succeed; he only requires that you try.By Mother Teresa
神様は私たちに、成功してほしいなんて思っていないわ。ただ、挑戦することを望んでいるだけよ。(マザーテレサ)

真夏の知人宅(わが別宅)

娘は、西軽井沢子供キャンプ、近所のサマースクール(Vacation Bible School)と、普段の学校生活では味わえない思い出をたくさん作り、友だちと遊ぶ夏を満喫。

日曜は、私のために時間を使おう、と親しい知人宅に、上がり込んだ。
その家には、都内近郊というのに、たくさんの夏が転がっていた。
蝉の抜け殻

ゴーヤ

ワンちゃん

明けて「月曜から学童ね」と昨日頂いたトマトを入れ、娘のお弁当を作ったら、なんと、娘38.0の発熱!
・・・親の描く通りの夏休みは難しい。

HPE Discover Forum Tokyo 2019 夏セミナー

一昨日あたりから梅雨明けした東京。
暑い。一気に夏になった。こういう時はセミナー会場で涼むのがいい。

と、私が書くとサボっていると思われるので、一応言い訳しておく。

昨年からプロモーション担当になったことと、7月から勤務時間を1時間増やしたので、外出の余裕ができ、今朝はANAインターコンチネンタルホテル東京(赤坂)へ直行した。

外部セミナー参加は久しぶりだ。私にとって見慣れた光景に、久しぶりだったからハッとした。なぜ女性はこんなにも居ないのだろう?なぜ女性スピーカーは居ないのだろう?なぜ女性は出世しないのだろう?

アメリカから来たと思われる金髪女性の背中が見えて、しみじみと日本はこういう国だよな、と思った。

さて、そんな社会観を抱きながら、私がHPE(ヒューレット・パッカード エンタープライズ)の大イベントに来た理由は3つ。

1:トップの喋りを聞きたかった。
2:プロモーション担当の立場から、運営方法からプレゼン法まで勉強したかった。
3:私の好きな元HPの富岡徹郎さんの居た会社に興味を持った。

富岡さんな現在、国際基督教大学(ICU)の理事長代理で、私と同じIT企業で、転職後にインタビューへ協力していただいた

取材中、印象的だったのは、彼が辞めた会社のことを熱く語った姿だった。
「HPがいかに素晴らしい会社であるか」とHP創業者による「11のシンプルルール」を教えてくれた。

「聖書の言葉じゃないか、と思うような文章が並んでいるでしょう?」と富岡さんは笑った。

会場のプレゼンテーションでは、日本の社長が富岡さんの雰囲気に似ていた。米国から来たプレゼンテーターは、HPがいかに素晴らしい会社かとビデオを流していて、見ながら、富岡さんの話を思い出していた。

もし今でも、創業時の理念が生きているなら、転職したくなるような会社である。

高き理念を持った企業というのは、社会にとって不可欠であり、利益を出している企業は自社だけでなく、周囲を幸せにする取り組みをたくさんしてほしいと思う。

小2の壁、夏休みを乗り切れ!

夏休みがやってきた。

働くママにとって、夏の学童は欠かせない。しかし、私は学童に長期間、子を預けることに強い罪悪感を覚えてしまう。

よその人はどうだろう?その考えは、人それぞれだ。

目黒のママ友は、子供を送迎付きの学童に夜7時まで預け、なんの罪悪感もない、と豪語。加えて、学校の保護者会も全く出ず、どうやら小学校のママ友がいないらしい。

それ、ダメでしょ!?

と、私が非難したら、彼女はケロリと言った。

「出なくてもプリントもらう。何の問題もない」

確かに…。でも、子供の学校生活が気にならない?尋ねたら、

「娘のそれを私が知って、何になるの?」

と言われた。

娘は娘、私は私、今は仕事に夢中らしく、私には自分の人生をしっかり歩んでいるようにみえる彼女を眩しく思った。

ちょうど、恵比寿のママ友にこの話をふってみたら、あり得ない、と言う。彼女の子の学校は、保護者会の出席は必須で、欠席の場合は代理人をたてる、というから、彼女にしたら、あり得ない選択肢だ。

どちらが良い・悪い、でなく、同じ母親でも、価値観がまるで違うことが、私たち人間の面白さである。

そして、私は、と言えば、仮に専業主婦になったとしても、立派な親でいられないにも拘らず、学童に入れるのに躊躇してしまう、中途半端な母である。

去年は、娘をたくさん外で遊ばせた。今年はどうやって、楽しい夏を演出しようか。

今週も頑張ろう~マイワーキングライフ~

無駄な一日。それは笑いのない日である。
A day without laughter is a day wasted. by チャーリーチャプリン

チャップリンの言葉を今朝、思いだした。
タレントの関根勤も、毎日娘を笑わすことを目標に、生活を送っていた。
私にも、笑いが必要である。

過ぎし3連休は、家族の入院で元気が出なかった。
家族の一人が、少なくとも3ヵ月の入院生活を送ることになり、意外と自分が傷ついているのに驚いた。夜、寝床につくと、涙が出る。離れて暮らしているのに、家族はやはり家族なのか。冷酷非情な私にも、愛の心があることを知って驚いた。

そんな今朝は鉛のように心が重かった。会社に行きたくなかった。朝、聖書を開く元気も出なかった。ところが、そんな私に、神様は「ここにいるよ」と愛を送ってくれた。

親友の一人とバッタリ、会ったのである。
Mが銀座線利用者だということも、知らなかった。Mは表参道で降りるという。たった一駅だが、私に
「ミルク味とサイダー味、どっちがいい?」
と、お菓子ポーチを取り出し、2つしかなかった飴の1つを私にくれた。

私は、慰められた。神様が、私に、みているよ、というメッセージを送ってくれているように感じたからだ。

職場についたら、ソニーのVAIOのどら焼きがデデン、と置いてあった。

そうだ、なんかパーティーでもらったと上司がスラック(アプリ)で言っていた。

私はドラッグストアで買ったチョコを取り出した。

ストレスに勝つチョコレート。

職場に来たら気分が変わった。今日も一日頑張ろう、と思えた。

どうせムリ、を口癖にしない子育て

今から5年前に講演されたTEDスピーチ(価値ある考え、案を世に広める講演※アメリカ発祥)がとても良い。

「思うは招く」by植松努

これは、子供の頃に、お前なんかには無理、と言われた北海道の少年が、大人になってあきらめずに生きている、という身の上話であって、どうせムリと言われた彼がどうやって立ち上がったか、述べられているスピーチである。

昨夜、娘に、ちょっと難しいかもしれないけど、と前置きした上で10分ほど入浴前に聞かせてみた。
これから、日本の学校で育つ娘が、大人に少なからず言われるであろう、「あなたにはムリ」を前もって、予防したかったのである。

植松氏のスピーチは分かりやすい。単語も平易である。娘は手作業をしながら、耳を傾けていたらしく、途中でやや興奮気味に言った。
「ママ、これ、すごくいいじゃない。すごく正しいこと、言ってる気がする!…この人、クリスチャンなの?」

植松氏のタイトルである「思うは招く」は、聖書に同じ言葉がある。

「求めよ、さらば受けん」

思えば、私は子供のころ、この言葉が大好きだった。シンプルで分かりやすい。条件なんて、何もない。

求めなさい。そうすれば与えられます。
探しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれであれ、求める者は受け、探す者は見つけだし、門をたたく者には開かれるのです。

そういえば、娘にこれを伝えていなかった、と思い、私は付箋にこれを書いて、筆箱にコッソリ貼った。
これから先の人生で、あきらめる子になりませんように。

そうして貼ってみたら、私こそ、あきらめている大人であることに気づき、さっそく、その晩はこの聖句を念頭にお祈りした。
「神様、まずは、紛失した電動自転車のカギが見つかりますように」

子供であれ、大人であれ、どうせムリ、と言わない生き方が出来ますように、
これは老若男女問わず、すべての人に伝えたい聖書の言葉である。

証をした感想とその日のニュース

証。する、しない?を、以前書いた私だが、昨日やっとそれが終わった。

昨日は在宅勤務に切り替え、その時間だけ休みをもらった。
最近の会社には、時間休、といって、所用を済ませやすい制度がある。

さて、
私が行った所は、「聖書の学び会」で2部構成。①11時から兄弟による聖書メッセージ、②証。ちょうど正午頃に終わる。

5分遅刻した私が、前を見ると、壇上に立つのは以前ドイツで、私の人生相談に乗ってくれた人であった。私が進退について迷っていると、彼は忍耐強く関わってくれ、のちに私へ直筆の手紙をくれた。読んだら、Aを選ぼうとする私へ、B、と書いてあった。がっかりしたが、彼の手紙には大きな愛を感じた。(結局、私はBを選択)

そういう兄弟と、私のペア。よし、と私は思った。
それで耳を傾けていたら、語られたテーマは、隣の人を(なかなかできないけれども)愛そう、であった。
奇しくも、私が準備した証と合致した。世間ではこれを「偶然だね」というが、私は神様が、“導いている”、と確信した。

私の番が来て、前に立つ。

生まれて初めて、人前で話す証。
神様のことを語るんだから、小声でなく、しっかり、ゆっくり、堂々と、を心掛けた。
それなのに、喋りながら、胸の鼓動は高まりっぱなしで、なんと、生まれて初めて(?)指先まで手が震えた…!

おまけに原稿を用意していたのに、冒頭から読み違えた。
しっかり、私!、と鼓舞しつつ、原稿を読んだら、なんということだろう、感情が入ってきて、不覚にも泣きそうに。電車の中でリハーサルしたときは、全然悲しくなかったのに、辛かった信仰生活の過去を思い出してしまった。

結局、
それでもぶっ倒れず、時折、前を見て、最後まで話しきった。
マラソンを走り終えた気分である。
最後の賛美を全員で歌ったら、私は仕事が残っていたので、そそくさと立ち去った。

すると、なんということだろう、同じように一足早く出た姉妹方がどうやら証の感想を話し合っているようだった。聞こえてくる単語にギョッとした。もしかして私、否定されている?何か、変なこといったっけ?

夜、私を気にして?早く帰った夫に、気のせいかもしれないけど、と前置きした上で、帰り際に偶然、私の悪口を聞いた、と言ったら、気にするな、と言われた。

「私の証ってどうだったんだろう?良かったのかな?」

会場に居なかった夫に聞いても仕方ないのに聞いてみたら、
「証って、良いとか悪いっていうものなの?」と言われた。「いや、違う…。」

「ま、おつかれさま」と言って、既にベッドで寝ながら喋っていた私の腕をとり、夫は手をマッサージしてくれた。

その安堵感に包まれ、その日はぐっすり眠った。証は大変だったが、私の過去が整理できた。今日から新しい章が始まるような気がして、心は晴れやかだった。

その日のニュース(恵み)
1)消息不明だった人が、家に戻ってきた知らせが来た(驚愕)
2)娘が朝、願って出かけたことが午後に実現
4)クリスチャンママ友Aからの電話連絡、ママ友Bからのお菓子差し入れ、ママ友Cからサマーキッズキャンプに行きたいの連絡

感謝。

親の思い通りにならない子供

今日読んだ文章が良かったので、子供の教育に悩む母親のために、以下を転記する。

「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエス
にあって神があなたがたに望んでおられることですテサロニケ5:18

ある母親が、子供にいら立っていた。学校から帰宅するや、暗くなるまで外で遊び回り、なかなか勉強へと向かない。友達も沢山いて、外で元気に遊ぶのは良いのだが、内心は勉強しない事に不満だった。

元気で良いと頭では思うが、心では決してそうでなく、ちゃんと勉強して、良い成績を取って欲しかった。

子供に対して、こうあって欲しいとの思い、決してそうならない子供。そんなモヤモヤ悶々を抱えた日々のところに、その子供が事
故に会った。

大きな事故で、救急搬送され、すぐ手術となった。予断を許さない厳しい状況に、医師には、「覚悟をして下さい」と言われた。突然の事態にわけもわからない中、とにかく命をとどめて下さいと、祈りに祈り、手術の間中、必死に祈り続けた。

その時に、生きていてくれさえしたら、後はどうでも良いと心の底から思った。成績なんてどうでもよい。何も要らない。生きていて
くれるだけでいい。長い手術の間に、偏差値でしか子供を見ていな自分の姿を見せられ、心から悔い改めた。

九死に一生を得て、子供の命は助かった。そして順調に快復が与えられた。

自分自身が全く変えられた。

子供の見方も全く変えられ、子供をあがまま、受け入れられるようにされた。もしあのまま行っていたら、子供をどんなに酷く損なっていただろう。痛い、辛い出来事だったが、心から感謝だと思えた。主に在って、すべての事が感謝であること、心から受け取れた。

————-
決して喜べない状況でも、最悪に思える出来事にも、感謝するとき、
背後におられる主を仰げる。いつも最善を送ってくださる主にあって条件をつけず、すべての事にいつも感謝していたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会み言葉配信係り

「渋谷のラジオ」でラジオを初体験

今日は娘が学校を午前中で早退し、主人が娘を預かることになった。
彼女を職場へ連れて行く、という。
とはいえ、今日はラジオ出演の日である。娘、どうするんだろ?

夫「あっ!そうだった。どうしよう、そうだね、一緒にラジオ局へいくか・・・」

娘「ラジオ局ってどんなとこ?」

夫「渋谷のラジオ局は小さい部屋なの。離れたとこで(放映を)見てて」

娘「出れないの?」

夫「出れないよ」

正午過ぎて、携帯の渋谷ラジオアプリをクリック。

主人の番組は、12時から13時までの一時間枠である。
今日は娘がいるなら聴かなくちゃ、と、ランチはデスクで食べることにして、イヤホンをしながらラジオの会話を聞く。実は夫の放送を聴くのはこれが、2回目である。去年から番組が始まったのに、ラジオってなかなか身内であっても聴かないものである。
司会者は3人。うちの主人ともう一人の方とアナウンサーさんで、今日のゲストは二人。

なんだ、娘は入ってないのか、そりゃそうか、と思っていたら半ばになって、娘に話がふられ、娘の声がした。
おまけにずっと聞いていたら、子供の名づけの話になって、また娘の話になった。司会者の方、娘を入れてくれてどうもありがとう!

今日は思いがけない、棚からボタ餅の、よい社会勉強に恵まれたようだ。