close up photography of a girl eating bread

地域で愛される子ども食堂

「子ども食堂」という言葉がある。
知っている人はそれが何かすぐわかるし、わからない場合、私はその説明からする。

簡単に言うと、子供を集めて食事する場、ということになる。
が、今日までおそらく多くが想起するのは「貧困世帯に食を提供する場」=困り事を抱える人の場、ではないか?


私はこの、「子ども食堂」というネーミングが、非常に良くないな、とずっと感じている。
2021年、東京大学先端科学技術研究センター特任教授の湯浅誠氏が「つながり続ける こども食堂」という書籍を出版した。それによれば、子ども食堂の定義は次の通りだ。

「こども食堂・地域食堂・みんあ食堂などの名称にかかわらず、子どもがひとりでも安心して行ける無料または低額の食堂


読んで、唸った。こう書かれていると、連想するのはこんな感じか?
==================================
 子どもがわざわざ自宅以外の場に出かけ、食事をする。
 →何か特殊な事情があるに違いない!
 →両親がいない?(かわいそう!) →食べ物がない?(かわいそう!
==================================

 書籍には「福祉っぽい、イメージ?」とあった。人が誤解するのは仕方ないと言えよう。が、実際に、子ども食堂が目指すのは、「子ども」は単なるパワーワードで、焦点をあてているのは、老若男女問わず、地域の全住民が集まれる場づくり、だ。


 ・人をタテにもヨコにも割らない場所
 ・地域へ「つながりの提供」

 

誰かが「場」を提供する。
そこに、年齢も属性も多様な人が行く。

会が持続していくごとに、集まる人たちの相互理解が進む。
そうしたら、同じ地域に住む人たちが、なんとなく誰かを気にして、緩くつながる。そして、一つの居場所に(気がつけば)なっている。それが子ども食堂の目指すところだろう。

だが、残念なことに、人が集まれば当然、トラブルもあろう。意図せずとも、誰かが傷ついたり、傷つけられる。それは「子ども食堂」に限らず、コミュニティーすべてに起こりうる。けれど、それらすべてをまるっと受け容れて、明日を信じ、実行する。

さて、このような事業体は、「金銭」の対価なしに、どこまで存続しうるだろう。
真のチームは衝突を乗り越えてこそ、成長するチームになるが、私はそんな団体を知らず、もし読者の方に、知っている人がいたら、教えてほしい。



子ども食堂を運営するには、少なからず勇気が必要だ。
そして、運営するには仲間がいる。
どんな形であろうと、その思いに共感して参加する、参加者も必要だ。
そして、運営者たちの生活や活動を支援する枠組みも必要で、現在その活動が広がっている。

核家族化、少子高齢化が進む社会は、孤独を感じる人が多く、生きる希望を失いがちだ。

「私がしっかりしなければ」という精神で、今なんとか機能する社会は、男であれ、女であれ、大変な時代だ。


私は、地域が良くなることを願っている。
東京がもっと暮らしやすい街になってほしい。
日本が、もっと、もっと、住みやすくて生きやすい国になればいいと願っている。


by桜子