日別アーカイブ: 2021年7月12日

生き恥をさらすブログ

「文は人なりだ。自分の書いた文章には必ず自分が出ている。(精神科医きたやまおさむ「自己分析のために書く」/日経新聞夕刊より)

 土曜の朝、私は母に子育ての悩みで連絡をした。私は珍しく弱っており、涙ながらだった。夫は仕事で出かけており、話す暇がなかった。
 母は、私の様子を察し、なんとか私に寄り添おうと、忍耐強く私の話を聞いていたが、結局、母が放った言葉で印象に残ったのは、これだけだった。

「あなたのブログ読んでいると、“自分”、“自分”、がすごく多い。それと“仕事をしているっていう話”、あと、“親とは”。」

 母が言わんとしたことは、「もっと自然に出来たらいいのに。(神さまを信じて)生まれ変わったんでしょ。肩の荷を下ろして!」というエールだったが、私は批難されている、と感じた。特に、ブログで、自分が多いという指摘は、ブログの性質上、仕方ないじゃないか、と思った。冒頭に書いた通り、文は人なり、だ。ブログで私は毎回まさに、生き恥さらして書いている。


 午後、うちに遊びに来たママ友にこの話をしたら、
「すごいね、しっかり(ブログを)読んでくれているんだね!」

と、違う所に驚いていた。いや、そこに反応するんじゃなくて、私と一緒に憤慨してほしかった・・・。


 確かにブログなんて一利なしだよな、とブログの全削除をすべきか、以前にも悩んだことを蒸し返しそうになったが、日曜夜、偶然入手した小説家・三浦綾子のメモリアル冊子を見て、それは少し先延ばしにすることにした。


 私ね、自分が思っているよりも、神さまははるかに素晴らしく、その人をつくってくださっていると思うの。そのことにいつ気がつくかなのよ。 
三浦綾子「銀色のあしあと」(いのちのことば社より)


 生き恥をさらしているが、「わたしの目にはあなたは高価で尊い」と、聖書に書いてある。
私に文才なく、学もないが、神さまの目から見たら、「でもあなたは尊い」から、書いていいよ、と言われている気がした。
 というわけで、今日も、私は“私”をつづる。
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by桜子

新潟の姉妹からの写真