写真撮って、撮って、
というので記念に。「階段」なのだそう。
岐阜県可児市に住む叔父(父の弟)が20日夕方、62歳で急死した。
叔父の妻は、3年前に亡くなった。愛妻に先立たれ、一時は自殺も考えたと聞いた。
だが、それから僅か3カ月後、叔父にステージ3Bの癌が見つかった。以来、治療しながら、叔父は死の備えをしていたのかもしれない。こんなに早く天国へ逝くとは誰も想像だにしなかった。
この3年間、叔父はどんな気持ちで過ごしたのか。ここ数日はそれが頭から離れず、脳裏に叔父の孤独な姿が浮かんでは消えた。もう叔父と話せないと思うと、喉が掻き毟られた。もっとメールすれば良かった、思い切って電話すれば良かったと思うと嗚咽が漏れた。
私は聖書を信じてるくせに、叔父の知らせは平安でなく、悲しみだった。
叔父夫婦は天国だとは思うけど、生前何もできなかったことが悔やまれてならなかった。
葬儀に際し、親からは無理して来なくていい、と言われたので、行かないことにした。
が、辛さは増し、葬儀は故人のためじゃなくて、私自身のために必要なのではないかと今朝未明、起きてお風呂に入り、7時にうちを出た。
家が渋谷でよかった、と心底思いながら11時からの葬儀に間に合った。
理系で頭の良い叔父は、今日の準備を一人できっちり事前に行ったようで、遺影も自分で選んでいたほか、私たちに車代などの気遣いまでしてくれていた。
また、叔父の妻がクリスチャンだったことを思い計ってか、家族葬という、献花や黙祷をもって故人を偲ぶ会を遺言として残し、会は小さくあれど暖かかった。
残された2人の息子は、私の従兄弟で、立派な青年になっていた。会うのは十数年ぶりだったが、これからは私が家族になりたいと思った。
叔父さんが、私のブログを読んでくれていて、身近な人に宣伝してくれていたのを今日知った。
私はさらに泣けた。
もっと、たくさん、中身がある文章を書いたり、更新すれば良かった。
もっと、たくさん、おじさんに気持ちを伝えれば良かった。
若い時は、“誕生日”と言ったら、特別な日だった。
誰かに「おめでとう!」と声をかけてもらい、祝福してもらいたかった。
誕生日に予定がない--はカッコ悪くて、
何もないのはあり得ない、という価値観だった。
その情けなさは、今でも残っている面があるけど、結婚したせいなのか、本当に変わった。
誕生日はけっこうどうでもよくなった。それより、今日まで生きてこられて周りの人に感謝する日だと思うようにさえなった。
そうして、誕生日の過ごし方は何もしなくてもいいと思えるようになり、
私は、少しの友達に気にかけてもらって、すぐそばに家族がいれば十分になった。
歳を取って良かった。
私はたぶん、若い時より今の方がぐんと幸せである。
あと半分の年月を生きるのかなあ。
これから先、どんな人生を送るのかな。
それで、昨日は家でのんびりし、夜は家族と過ごした。
帰ってきたら夫が大きな花束とバイオリンケース!持ってきてくれた。びっくり!
私には過ぎたプレゼントだったが、とりあえず残りの人生はずっとバイオリンができる人生だといいなと思った。
追伸:いつも拙いブログに目をとめてくださり、読んでくださったり、声をかけてくださる友人、知人の方々になかなかお礼を言う機会がないですが、本当にありがとうございます。縁があって続いているブログは気が向く限り続けていこうと思います。