日別アーカイブ: 2014年4月23日

救急車で運ばれる娘、2歳の骨折

今日は初残業。

まだ復職してそんなに立っていないのに・・・と天を仰いでいたら、
夜はもっと違う意味で天を仰ぐ羽目になった。

19時頃、実家の両親がついでがあってわが家に立ち寄った。
夕食を済ませた私とべべは、突然の来客に心躍らせ、バイオリンを弾いて迎えたのだが、興奮しすぎたべべが室内を全力疾走すると、フローリングの床に裸足の脚がひっかかって、ぐにゃりと転倒。

アアーン、アアーン!!!

まるでコメディみたいな転倒ぶりに、私の母は「アハハ!」と大笑いしたが、
私は大丈夫かなと心配になった。

というのは、うちの娘はめったに泣かない。
ちょっと転んだぐらいじゃ泣かないのである。

大泣きすること15分以上。あれれ、これはまずいかも。
どこの病院にいけばいいのと思うが夜分は見つからない。
ええい、救急車を呼ぶしかないよ・・・!
なんとわが家、大きな声では言えませんが・・・ザ・3度目の救急車・・・!!

もう恥ずかしいよ~と思っても、24時間態勢の整形外科病院を知らない。
呼ぶのは非常に躊躇ったのだが、以前、自力で緊急時に病院に駆けつけたら専門医が不在で病院をはしごした、という苦い経験があった。結局それは大事には至らなかったのだが、以来、緊急時に救急車は絶対だ、と思うようになった。

それで、今回は家から近くの病院へ連れて行かれ、レントゲンを薦められた。
レントゲンはできれば撮りたくない。

やんわり断ったが、撮るよう言われたので仕方なく撮るそのとき、
看護士が「お母さんは、この遮断服を着て」と被ばくの心配を頂いた。
(※娘は1人でレントゲン撮影に対応できないので、私が一緒に入った)

そのとき(私は被ばくしたって構わない)と思って、
遮断服を着た自分の身体で娘にかぶさって、少しでも影響がないようにと
撮影に臨んだ。
このとき、(ああ、親ってホントに子どものために命を差し出せるんだ)
と思いながら、またもやアガペーの愛を娘に注いでいる自分に驚いた。
いまは私の命より娘が大事。

で、診察した結果、足が骨折していた。
ひどく骨折していて、けれど、固定していれば一ヵ月ぐらいで治るという。

私は先生に「2歳児は・・・・骨折ってよくしますよね?!」
と救いを求めるように質問したら、
先生は、「よく・・・しませんね、ええ。」と真顔で言った。

私はしょんぼりして、そうですか、と答えた。
頭の中がそのあと真っ白になって、約4週間この子をどうしよう、と思った。

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ぐるぐる巻きの包帯姿で、歩けない。
毎日ストレスが溜らないだろうか。どうやって一日を過ごせばいいのだろうか。

タクシーで帰宅後、家でしばし呆然とする私に、
偶然来て、救急車に付き添ってくれた実母が「まずは、今週乗り切りなさいよ」と言って、
娘を面倒見てくれる、と言った。

私は正直言うと、一ヵ月休職しようかと思って、考えていた。
だけど、しばらくすると実家の父も自分が入院するまでの間、見てあげると言って、
無愛想な弟までもが手伝いに行くと母に電話してきた。

時計をみると21時過ぎ。
いつもならベッドで寝ている娘が、包帯巻いた足をソファにのせて座っている。
いっそのこと、だったら、このまま実母が家に帰るときに娘を連れてってもらおうか?

娘に聞いたら「行く」といって、先ほど出て行った。

家の中がガランと静かになった。
今日は私が遅くまでパソコンしていても、誰も私を呼ばない。
夫はまだ仕事。

良く考えたら、娘が産まれてから、別々の夜を過ごすのは今日が初めてだった。
室内のウォーターサーバーがブィーンと鳴って、
なんだか寂しさを覚えるような、でもこれでいいんだ、と思った。

救急車で病院に

夕食後、来客。
興奮してリビングを走り出した娘がすっ転んで、泣き止まず、泣き止まず、泣き止まず、、、

病院は見つからず、娘は泣くし、
仕方なく救急車で緊急病院へ。

レントゲン撮影して、、、
いま結果まち。

あしたは仕事。
ああ…復職して子育ては厳しいなあ。。