日別アーカイブ: 2012年5月30日

おやゆび姫(2)アンデルセン童話

◆おやゆび姫(1)のつづき

 
女の人は小さな親指姫を、それはそれは大切に育てました。

親指姫はお皿のプールで泳ぎ、葉っぱの舟をこぎながらきれいな声で歌いました。

そして夜になると、クルミのからのベッドで眠ります。

おふとんは、花びらでした。

さて、ある晩の事です。
ヒキガエルのお母さんが、寝ている親指姫を見つけました。

「あら可愛い。息子のお嫁さんに、ちょうどいいわ。ゲロゲロ」
250px-Bufo_japonicus_DSCN9873.jpg ゲロゲロ

 ヒキガエルのお母さんは親指姫を連れていくと、スイレンの葉っぱに乗せました。

「さあ、起きるんだよ。今日からお前は、わたしの息子のお嫁さんだよ。
そしてこの沼が、お前の家さ。いいところだろ。息子を連れて来るから、ここにいるんだよ」
250px-Bufo_japonicus_DSCN9873.jpg ゲロゲロ

 ヒキガエルのお母さんは、そう言ってどこかへ行ってしまいました。

おやゆび姫(1) アンデルセン童話

むかしむかし、一人ぼっちの女の人が、魔法使いにお願いしました。

「わたしには、子どもがいません。
小さくてもかまわないので、可愛い女の子が欲しいのです」

 すると魔法使いは、種を一粒くれました。
「これを育てれば、願いがかなうだろう」

 女の人が種をまくと、たちまち芽が出てつぼみが一つふくらみました。

「まあ、何てきれいなつぼみでしょう」

 女の人が思わずキスをすると、つぼみが開きました。
 すると、どうでしょう。そのつぼみの中に小さな女の子が座っていたのです。

 

 女の人は、その女の子にキスをしました。
「はじめまして。あなたの名前は、親指姫よ」

ミズフランシスのお引っ越し

月曜日の話。
午前中は外苑前でベビーと私の体操クラス。
講座を終えると、猛ダッシュでベビーカーを押して帰宅。

というのも、今日はミズフランシスが引越していく。
何時頃出て行くのかと昨夜尋ねたら、分からないといったから。

ちょうど帰ってきたら、ミズフランシスのベビーの歩行器が、
引越し業者によって、運ばれている所だったので、思わず笑った。

 左上、歩行器。

そして、玄関に入った瞬間、
ちょうどミズフランシスがベビーカーを押して出てきた。

「あ、Mちゃん!」

実は書けばきりがないくらい、Mちゃんとは連絡し合っていないのに、
バッタリと会うことが多かった。

実はこの数日前にも、代官山ピーコックでお買い物中に会い、
以前はお散歩中に四つ角でぶつかりかけた。

同じマンションだから、ありがちだ、と思うかもしれないけれど、
なかなかどうして、同じマンションといえど、
連続で会う人というのはそうはいないものである。

夫は「縁があるんだねえ~」と言っていたが、
私は彼女と偶然会うたびに、(神様が仕組んだんだなあ~)と思っていた。

そういう思いをしたためて、この日の朝は
彼女の玄関先に、お別れプレゼントを吊るして外出したが、
こうしてまた偶然に会えて、うれしかった。

「ねえねえ、凄いと思わない!?」

「いま、帰ってきたの!?」

「うん、そう!」

「今から(夫の)サンドイッチ、買いに行くの」

「じゃあ、一緒にいく~」

と、私たちは最後のベビー散歩に出かけようとしたが、
結局、天候が悪化し、雨が降りそうだったので、
すぐ近くのレストランで、お茶をした。

私は、さっきバッタリ会ったことは凄くないか、
と、また繰り返して、神様の話になった。

聖書の中には、

人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。
箴言14:12

という言葉から、いろんな偶然性--たとえば、それを偶然と呼べば、いくらでもそう呼べるけれど、もしも、それが必然だと捉えるならば一本の道が見えてこないか、ということなど話した。

別に彼女にお仕着せはしたくなかったので、なるべく淡々と話すようにしたが、
うんうん、と彼女は終始、笑顔で頷いてくれていた。

そして、私たちはお互いのベビーがぐずり始めてきたのでお店を出て、
マンションへと戻った。

本当に出て行くときにはうちに挨拶に来る、
と彼女が言ってくれたので、しばし、さよならをした。

そして、待っている間、
彼女が夫へのサンドイッチを買えなかったことを思いだし、
お腹がすくだろうと、バゲットでチキンサンドを思いついた。

だが、いかにもオバサンもどきで、余計なお世話かしら、と悩んだが、
きっと夫なら賛同してくれるに違いない、と思いなおし、
思い切って作ってみたら、トースターがチン!と鳴ると同時に玄関ベルが鳴った。

「ちょうど良かった。ちょっと待ってて!」
と言って、チキンサンド3個を慌てて袋に入れ、
彼女に押しつけ、一緒に階下へ降りて行く。

ミズフランシスの夫は今まで見たことのない笑顔で、
まるでサーフィンに行くかのような軽快なファッションで、
うれしそうに口笛を吹いて(いたようにみえた)車を廻した。

私はべべを抱っこして、去っていく車に、ばいばーい、と手を振った。

べべにとって、初めての友との別れである。
きっと、ぜんぜん意味はわかっていないだろう。
だが、私は急激に寂しくなって、その後、彼女の部屋に行った。

一緒にお茶をしていた時はどうということはなかったのに、いざ去ってしまうと、もう2人でマンション内を行き来することはないんだなあ、と
二度と戻らない日々に涙しそうになった。

そして、
夫との暮らしだって、いつ何時、終えるか分からないと思うと、
いまのありきたりの日常をもっと味わおうと思った。

彼女の家の前で、ドアノブを回した。
当たり前だが、鍵がかかっていた。

ついでに、玄関マットが置きっぱなしになっていた。
記念に貰おうかと思ったが、それは未練がましいので、やめておいた。


The Lord gave and the Lord has taken away; may the name of the Lord be praised. (Job 1: 21)
主は与え、主は取られる。 主の御名はほむべきかな。(ヨブ1:21)

すべてのことはその時には分からなくても、また意味があるのだ。