左上、歩行器。
そして、玄関に入った瞬間、
ちょうどミズフランシスがベビーカーを押して出てきた。
「あ、Mちゃん!」
実は書けばきりがないくらい、Mちゃんとは連絡し合っていないのに、
バッタリと会うことが多かった。
実はこの数日前にも、代官山ピーコックでお買い物中に会い、
以前はお散歩中に四つ角でぶつかりかけた。
同じマンションだから、ありがちだ、と思うかもしれないけれど、
なかなかどうして、同じマンションといえど、
連続で会う人というのはそうはいないものである。
夫は「縁があるんだねえ~」と言っていたが、
私は彼女と偶然会うたびに、(神様が仕組んだんだなあ~)と思っていた。
そういう思いをしたためて、この日の朝は
彼女の玄関先に、お別れプレゼントを吊るして外出したが、
こうしてまた偶然に会えて、うれしかった。
「ねえねえ、凄いと思わない!?」
「いま、帰ってきたの!?」
「うん、そう!」
「今から(夫の)サンドイッチ、買いに行くの」
「じゃあ、一緒にいく~」
と、私たちは最後のベビー散歩に出かけようとしたが、
結局、天候が悪化し、雨が降りそうだったので、
すぐ近くのレストランで、お茶をした。
私は、さっきバッタリ会ったことは凄くないか、
と、また繰り返して、神様の話になった。
聖書の中には、
人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。
箴言14:12
という言葉から、いろんな偶然性--たとえば、それを偶然と呼べば、いくらでもそう呼べるけれど、もしも、それが必然だと捉えるならば一本の道が見えてこないか、ということなど話した。
別に彼女にお仕着せはしたくなかったので、なるべく淡々と話すようにしたが、
うんうん、と彼女は終始、笑顔で頷いてくれていた。
そして、私たちはお互いのベビーがぐずり始めてきたのでお店を出て、
マンションへと戻った。
本当に出て行くときにはうちに挨拶に来る、
と彼女が言ってくれたので、しばし、さよならをした。
そして、待っている間、
彼女が夫へのサンドイッチを買えなかったことを思いだし、
お腹がすくだろうと、バゲットでチキンサンドを思いついた。
だが、いかにもオバサンもどきで、余計なお世話かしら、と悩んだが、
きっと夫なら賛同してくれるに違いない、と思いなおし、
思い切って作ってみたら、トースターがチン!と鳴ると同時に玄関ベルが鳴った。
「ちょうど良かった。ちょっと待ってて!」
と言って、チキンサンド3個を慌てて袋に入れ、
彼女に押しつけ、一緒に階下へ降りて行く。
ミズフランシスの夫は今まで見たことのない笑顔で、
まるでサーフィンに行くかのような軽快なファッションで、
うれしそうに口笛を吹いて(いたようにみえた)車を廻した。
私はべべを抱っこして、去っていく車に、ばいばーい、と手を振った。
べべにとって、初めての友との別れである。
きっと、ぜんぜん意味はわかっていないだろう。
だが、私は急激に寂しくなって、その後、彼女の部屋に行った。
一緒にお茶をしていた時はどうということはなかったのに、いざ去ってしまうと、もう2人でマンション内を行き来することはないんだなあ、と
二度と戻らない日々に涙しそうになった。
そして、
夫との暮らしだって、いつ何時、終えるか分からないと思うと、
いまのありきたりの日常をもっと味わおうと思った。
彼女の家の前で、ドアノブを回した。
当たり前だが、鍵がかかっていた。
ついでに、玄関マットが置きっぱなしになっていた。
記念に貰おうかと思ったが、それは未練がましいので、やめておいた。
The Lord gave and the Lord has taken away; may the name of the Lord be praised. (Job 1: 21)
主は与え、主は取られる。 主の御名はほむべきかな。(ヨブ1:21)
すべてのことはその時には分からなくても、また意味があるのだ。
今日は別れ際に目があってしまい、泣いてしまった。もう少し上手くやらねば。
ラッパ吹きは今もお気に入り。
久しぶりに持たせたら、プーと長い音を出せるようになりました。
朝起きた瞬間、「眠い・・・」というのが、近頃の私の〝おはよう〟だ。
他のママ友はどうしているのだろうか。
私は年齢のせいか、眠くてたまらない日々が続いている。
こんなに眠いと、とてもじゃないが、職場復帰なんて出来ないと思う。
この月齢で保育園に預けているお母さん方は実に良くやっていると思う。
今日は余りにも眠たいので、午前中は子育てセンターへ連れて行き、
そのまま午後は自宅に閉じこもった。
それで、子育てセンターへ連れて行ったら、
いつも自宅でぐずる娘が、床に散らばる様々なおもちゃを手にして、
ずっと楽しそうにしていた。
中でも、卓球の球のような、色がついた球体を両手に持って、
カンカンカンと楽しそうにぶつけあって、ご満悦だ。
その姿から、私は2つの事に気づき、猛省した。
1)自宅で泣くのは、退屈だから。
→私は家事をしている間、おもちゃを1つ位しか与えず、
泣くと場所移動をして、その場しのぎをしていたが、
実は退屈だったのではないか、と思い当った。
2)おもちゃを与えよう
→自宅が散らかるのが嫌な私は、
おもちゃはすべて収納箱に入れ、いつも1つか2つ、
自分が適当に選んだおもちゃだけを与えていた。
だが、これでは創造性は生まれないと気づいた。
そこで、今日はおもちゃ箱をひっくり返して、
娘に好きなおもちゃを選ばせた。
大喜び。
以前、友達がくれたイケアのコップを手に、
カンカンカンとぶつけ合って、うれしそうだ。
1週間ほど前から、拍手が出来るようになったべべ。
これから梅雨になるので、彼女のためにおもちゃ環境を整えてあげたい。
(球体、求ム。球体って、どこにあるの???)