「学校に行きたくない」と子供が言ったとき親ができること

 タイトルずばりの本を、不登校新聞編集長の石井志昂氏が書いている。不登校児だった著者が書いた、当事者に寄り添った内容だ。要約すると結論はただ一つ。子どもが休みたいと言ったら、親は休ませろ!だ。

 きっと、正解だろう。だが、それを選択することが、親には簡単に出来ない。特に共働きであれば、尚更だ。学生である限り、子供の登校問題は続く。行きたくないと言ったら、いつも休ませていいの?!

彼の論理は次の通り。
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・休みたいと訴えてきた場合、当人はギリギリの状態だから、休ませる。
・親は「もう少し頑張れ」と声を掛けがちだが、続けると、当人の限界を超えて休みが長期化の場合がある。
・休んで充電が1日ですめば、翌日は学校へ行ける。傷は浅いうちに対処。一日休んでも大したことはない。
・長期化したときは、回復に時間を要している。子供はいつか必ず立ち上がる。信じて待て。
・休むと勉強の遅れが気になるが、疲弊には休息が必要。勉強はあとからどうにでもなる。
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そもそも、学校へ行く価値とは何ぞや、という話は以前書いた(日曜夜、東大院卒の塾長から電話)。ここでは、まず子供を学校へ行かせるゾ、と決心した親がどうあるべきか、という話。

本では、行かない間の過ごし方はフリースクールの活用程度にとどまっていた。
が、これが最も難しい所なのだ。
子どもを休養させることを選んでも、親はその時どうするか。専業主婦なら楽かと言えば、そうじゃない。一人の時間がなくなるし、年齢によって、子供との過ごし方に限界もある。親子で煮詰まることもある。
おそらく、今は黎明期の後半か、転換期なんだろう。今、この悩みを抱えた家庭は一定数いるし、既にいくつか指南書も出ている。

こういうとき、参考になるのは体験談だ。

知人で中学生活を1年以上休んだ子どもを知っている。彼の場合、日本有数の大学を卒業しただけでなく、周囲の憧れの的になっており、ドラマみたいなサクセスストーリーに仕上がっている。

もっとも、それを知る夫によれば、「そもそも親のDNAが違うからね」と言う。そこで、私は、その事実さておき、とりあえず、そういうときの過ごし方について、そのママへ聞いてみた。

「学校へ行かなくても、勉強しなくても、学校行きたくないと言ったらしょうがないよね。聖書さえ知っていればいいよね。」

「そうそう!」と言う反応を静かに待ったが、即座に否定された。

「いや、桜子ちゃん。やっぱり勉強はね、出来るんならさせたほうがいいわよ。せめて、本だけは、読ませて。今、聖書を読めない子が増えているんだから」と言う。

彼女の回答が正解かはさておき、私は、クリスチャンというのは、神様さえ知っていればあとはOKじゃないのか、と子供っぽいことを考えた。明日世界が滅びると思えば、勉強などどうでもいいが…。
でも、たとえ明日滅びるとも、リンゴの木を植えよう、で生きていけ、と言うメッセージだろう。

Even if I knew that tomorrow the world would go to pieces, I would still plant my apple tree. byMartin Luther


最後に、この本を抜粋して、紹介を終える。


<石井志昂氏の言葉>
・不登校は一番苦しい時期を脱したサイン、休み始めた瞬間から、心の回復が始まる

<東大名誉教授・汐見稔幸氏の言葉>
・社会性のベースは、友達同士でいっぱい遊ぶことではない。「学校に行けば社会性が育つのか。条件として可能性はあるけれども、実際は中身によって全く違う」

・「子どもが赤ちゃんの時に泣いたから…うるさい、バチン!とやっていなければ、基本的な社会性は育っていると思っています」※社会性基礎は0-2歳で育つ

・「今の学校は点数で子どもを脅したりしてね(笑)。そうすると、本当に子どもが勉強したいことを上手に学ばせているとは限らないんですよ。(中略)試験が終わると、すぐ忘れてしまうような知識が多い。それに対して、「僕はどうしてもこれを知りたいんだ。調べたいんだ」ということを中心にカリキュラムを作っていくと、その方が間違いなく一生残る知識になったり、探求心になったりしていく。」


どうぞ、皆さんのお子さんたちが、どういう状況でも、いつも元気で健やかでありますように。

by桜子