今春から小学校にはいるCちゃん。ベベが初めて会うはとこ♪
一緒にお昼を食べました。
食後は近所でだるまさんがころんだをしたり、お花や電車を見たり。
家ではオセロやカードゲームに興じて、〝なるほどべべも小学生に上がる頃になれば、一緒にカードゲーム出来るんだなあ〟と成長が楽しみになった。でも、だるまさんがころんだ、は、けっこう体力をつかう・・・^^;
今春から小学校にはいるCちゃん。ベベが初めて会うはとこ♪
一緒にお昼を食べました。
食後は近所でだるまさんがころんだをしたり、お花や電車を見たり。
家ではオセロやカードゲームに興じて、〝なるほどべべも小学生に上がる頃になれば、一緒にカードゲーム出来るんだなあ〟と成長が楽しみになった。でも、だるまさんがころんだ、は、けっこう体力をつかう・・・^^;
ブログがしばらく表示されなかったのですが、昨日ぐらいから、直りました!
お問合せしてくださった皆さん、こんな育児ブログを目に留めてくださり、ほんとうにありがとうございます!
ありがたい気持ちを忘れず、ここ最近、書きたくて書けなかったことを近況報告含め、ちょこっと書きたいと思います。
まず書きたいこと、それは
「今年の渋谷区、保育園1歳児クラス(4月スタート)落ちました!!(TT)」
これを話すと、「桜子ちゃん、仕事する気だったの!?」と言われるが、すごく悩んで色々考えた結果、運を天に任せて出来る限りの努力(?)をして出願したら、
落ちた。
もう、びーっくり!!(@@)!!!!
落ちた瞬間、「私、勝負強いのにーっ!!!」←生意気でスミマセン
と、吠えたら、勝負じゃないから、と、夫に諭された。
身勝手なもので、受かる前は「保育園に入れるの、やだな」と思い、「落ちたらいい」と思っていたのに、いざ、落ちると、ものすごくショックだった。まるで、受験に失敗したみたいな。
私はてっきり「受かる」と思っていた。
もう少し具体的な根拠を書くと、12月下旬、渋谷区の面接で、加点するといわれいたある項目があった。だから、受かると思っていた。その点を問い合わせてみたら、「面接ではそうだったが、選考会議をした結果、加点とみなさないと判断しました」と言う。
通常なら、ここで食い下がるべきところだが、
それを聞いた途端、一気に気持ちが落ち着いた。
ああ、だったら、それって、神様がしたんだろうな、と思った。
というのも、神様は人の心を自在に操るお方である。
もし、神様が私をどうしても保育園に入れたい、と考えたら、
その選考結果で加点とみなす流れに変えたはずである。
夫は「神様がいまの時間を楽しみなさいって育休をプレゼントしてくださったんだよ」
と言った。
とはいえ、2日間ぐらいショックで、4月からどうやって過ごそう、と、
買ったばかりの1歳児用の離乳食レトルト(1ケース)を恨めしそうに眺めていた。
現在は、さすがに気持ちが切り替わり、今日は子育て広場あいぽーとへお出かけ。
友達ママをお連れしたり、お友達ママを紹介しあったり、幼稚園ママと挨拶を交わすなど、
交流がずいぶん活発な一日だった。
職場復帰したら、このママたちとの交流も途絶えるわけで、
そういう意味では、まだまだしばらく、たくさんのママのお世話になる。
というわけで、育児日記はこれからも続きます。
よろしくお願いします。 m(__)m
※べべ、ただ今1歳4カ月。好きな動物はワンワン。(というより、鳩を見ても、ライオンを見ても、猫を見ても、ワンワンと言います^^;)
毎年なんだかんだで楽しんできたバレンタイン。
結婚してから、グッとつまらなくなり、
子供を持って家にいるようになったら、もっとつまらなくなった。
どうしたら、バレンタインを楽しめるかと考えて、
友チョコも検討してみたものの、今の私はママ友がメイン。
べべをだしにして、男の子のママに「べべから」と言って、
チョコを渡そうかとも思ったが、どう考えてもべべがまだ喋れるはずもなく、
一方の男の子も赤ちゃんだからチョコは食べられない。
ママ友がかえってホワイトデーにお返しを下さったりすると申し訳ないので、
今年はすなおに自分のバレンタインをすることにした。
私が、今もっとも仲のいい男性と言えば、同じマンションに住む、
お隣のヘアーサロン店長とゴミ掃除のおじさん(共に推定70過ぎ)。
そのお二人に差し上げても・・・と思ったが、
去年お隣さんから、渡していなかったのに、
「このあいだ、ドアノブにチョコが吊るされていたんだけど、あれ、桜子さん!?」
と、聞かれた過去を思い出し、あげとこ・・・と思った。
そして、ゴミ掃除のおじさんは、べべに先日LINEのキャラクターグッズをくださったので、お礼をしておこ・・・と考えた。(※なお、その人形はおじさんの職場での戦利品であることは書くまでもない)
昨日の夕方、ヘアーサロン店長にチョコ1つ、今朝、ゴミ捨て場でおじさんにチョコ1つ。
二人とも、喜んで受け取ってくださったが、私はぜんぜんときめかなかった。
(あー、私って完全に主婦ー!!)
と空を仰いだが、渡せたことはやはり良かった。
こういうささやかなウキウキ(?)が人生を豊かにするはずだもの。
一昨年の今ごろ、職場の人にチョコを渡したのがすっかり懐かしい今年の私である。
講師は福音館書店の元『母の友』編集長。
同じマンションのCちゃんと一緒に、子供を預けて聴講。
ほんのちょぴり、本音を言うと眠くなっちゃったら眠ろう、などと不謹慎にも考えていたのだけれど、すごく集中して耳を傾けてしまった。
大人時間は貴重で楽しい。
伺ったお話をシェア。
なお聞き取りに誤りがある場合があるのでご注意ください。
■・胸腺は子供にだけ大きく発達している器官。
胸腺=幼児期は活発に免疫系を発達させる時期にあたり、
リンパ球に抗原を認識させる際などに胸腺が重要な
働きをしており、そのため子供の胸腺はもともと肥大している
(from wiki)
■・乳幼児に育てたいもの『信』
うそ偽りのない言葉を子供にかける。子供はそれを信じる。
大人を信じることができる、信頼関係が生まれると、
子供は身を任せることが出来る。
・基本的信頼関係を園に行くまでに築くこと。
園は、子供同士のルールや社会を学ぶ場所。
■・子供への言葉かけが大切。
暖かい、優しい、穏やかな言葉をゆっくり話そう。
「早く~しなさい」は命令形。
子供が育ってくると、命令形が増える。親の口調を子供は真似する。
毎日、どんな言葉を子供にかけているか?
■・絵本を読むとゆったりした空気が流れる。
・いい絵本は、いい言葉を使っている。
・言葉は言霊といって命がある。
お母さんが命の宿った言葉をかけてくれる。
・子供が文字を読むのは小学生から。
絵本の絵を見ている。絵だけで物語が成り立っているか、
絵を見て判断すること。ただし、物語は4歳から。
乳幼児にファンタジーや桃太郎を聞かせても、意味が分からない。
・2歳ぐらいまでの子供は日常生活の断片を見せる絵本で十分。
物語は生活経験や体験が積み重なってから。
・年齢相応の本を大事にしてもらいたい。
ママの声や言葉のリズムを子供は楽しんでいる。
・いわゆるしつけ本(トイレや歯磨きの本など)は、
そのことが出来るようになると、本が不要になり、
あまりおすすめしない。
・ある程度、生活体験をすると、外に行ってしんどいとき、
心が弱くなるとき、かつて読み聞かせをした絵本を
求めることがある。
・絵本には悩みを救う力がある。何かあったときに立ち戻れる。
子供が自分で解決することが出来る。
→ 私的には、絵本の読み聞かせを通して、子供が親の愛やぬくもりを感じて、また広がっていく世界を疑似体験して、勇気や希望がわいてくるのかな、などと考えた。
偶然、代官山支援センターであった近所の双子ちゃんが「今日は双子の集いがあったので、思い切って出かけた」とのこと。一緒に帰ろう、といってくれたので、5人で(!)代官山蔦谷を経由してお茶して帰ることに。
彼女いわく
「桜子さんといっしょじゃなきゃ、コーヒーを買うのが精々で、お茶なんて出来ません!」とのこと。
だがしかし、私としては双子ちゃんがいるのにコーヒーを買おうとする、その気持ちだけですごいと思う。(で、実際、買ってしまう:笑)
そういうところを見ると、彼女は普通じゃないなあ~と思う。
そういう、ガッツがあるところをみると、やっぱり彼女が会社の経営者であることに合点がいくのだ。
そう、彼女は双子ちゃんの母にして、会社を経営しているのだ。
ときどき、伺う仕事話は前頭葉が刺激されて、私もとても面白い。
陽だまりの中笑うNちゃん。
ママはやっぱりスーパーウーマンだよ、と教えてあげよう。
先週木曜日に私が拝聴した「乳幼児の育ちのみちすじ講座」で、「子育ては忍耐なのか、それとも自分磨きなのか?」という問いがあった。
それに対する教授からのアンサーは、ママは試されている、ということだった。
世界中のどこにも、一人として同じ子供はいない。
その子供たちに対して、どこまで肯定的に受け止められ、傾聴することができるか、と。
子供の個性というのは不思議だ。
広い世の中で数え切れないほどの人が、一人一人違ってみんないい。
神様がなさった御技は実にすばらしい。
というわけで、東京成徳短期大学の寺田清美教授から伺ったお話を、全国のママへシェアし、自らのために記録する。(この講座は渋谷区民向けの講座で、保育園関係者もいらしていた。私は一歳児の母として拝聴して実によかった。それはこの講座を企画された方自身が「私が育児をしているとき、知っていたらよかった」というご経験に基づくものだったからだと思われる)
誕生日を迎えた先週の華やかさとは打って変わって、今度は救急車にお世話になるという、とんでもない出来事に見舞われた。本当にもう、びっくりだよ。
私も、1歳になったばかりのべべも、生まれて初めての救急車。
それもこれもわたしのせい。異物を食べさせてしまったのだ。
「救急車で来てください」
と病院の人に言われたときには、目が飛び出た。うそだよね、それってまるでドラマみたいですが・・・
「救急車って何番でしたっけ?」と私が尋ねたら、
「119です。」
・・・だけど、救急車って呼んでいいのかな?タクシーで行かなくていいのかな。ほら、医療現場では救急車の過剰出動で本当に使いたい人が困っているというニュースが流れていたよね?ためらう私に「だったら、」と教えていただいた番号は
「#7119」
東京消防庁<救急相談センター#7119>
* 救急車を呼んだほうがよいか迷った場合は救急相談センターへ。医療機関の案内や応急手当のアドバイス等をしてくださいます。24時間年中無休
結局、かけて相談した結果はたぶん大丈夫だけれども病院へといわれ、広尾病院からはもともと救急車で来てください、と言われていたために、万が一べべが急変した場合一生後悔すると思い、思い切って電話した。
そうしたら、119では「消防車ですか、救急車ですか?」と緊迫した声で簡潔な質問をされて、回答したらすぐ(10分超で)来てくださった。
ピーポーピーポーと、真っ暗になったわがマンション前に赤いランプが点滅して救急車が止まり、私はべべを両手で抱えながら背中を丸めて「すみません、すみません、」と何度も謝りながら乗り込んだ。
救急隊員の人にこのとき赤ちゃんの命が危ないときはこういうとき、
というポイントを教えていただいた。
*吐く
*精神症状、意識がおかしくなった
で、うちの子はそういうわけではまったくなかったから、私は誠に申し訳なく思ったのだが、救急隊員の方は大変親切でいらした。
--診察後。
ありがとう広尾病院。
お医者様もすごく優しく丁寧に診察してくださり、暖かさに感謝した。
たぶん問題はないという診断で、数日後に症状が変わったらまた来なさいとアドバイスいただいた。
加えてこの際だから、ということだったのか、いろんな知識をいくつかシェアしてくださったので、全国のベビーママたちのためにそれを記載しておこうと思う。
<<赤ちゃんが異物を食べた場合>>
*農薬を食べたならともかく致死量にいたるまで何かを食べることはないから死ぬことはない
*(このお医者さんの経験では)最もひどかったのは、ママのクリームを一瓶丸ごと食べたケース。このときは多分大丈夫だろうということだったが、食べたばかりだったから胃を洗浄したそう。
*ナフタリンを食べた→問題ない(まずいし、致死量になるほど食べられるはずがないそう)
*シャンプーなめた→なめたって大丈夫(お医者様談)
*アルコールをなめた→赤ちゃんが酔っ払うけど大丈夫(命には問題ない)
*タバコを食べた→1本までなら大丈夫
*睡眠薬を食べた→赤ちゃんがトロンとしちゃうけど大丈夫(命に問題ない)
*ボタン電池→便として出てくるから大丈夫という説と出さないと胃に穴が開くという説があり、どうするかは医者の判断による。
*保冷剤を食べた→エチングリコールという毒性を食べなければ問題ない
結論:一般的に世の中に出回っているもので食べて問題あるものはそうそうない、ということ。(なお、上記は私のヒアリング結果なので、いざというときには#7119や専門へ質問ください。☆だけど言われたことをそのまま書きました)
私はその後、帰宅したら熱が出た。そういえば、以前タイへ赴任したときもマンションでゴキブリに遭ったとき、熱が出た。やはりこれはストレスだったようだ。
皆さん、これからもベビーから目を離さず、育児を祈りつつ、がんばりましょう。救急隊員さんも病院の方も、お世話になりまして大変ありがとうございました。m(__)m
去年のいまごろ、私は病院で産みの苦しみを味わっていた。
そして、その2時間余後にべべが産まれたのだ。
あのときは、本当に苦しかった。
汗が出て、流れる汗を誰かにぬぐってもらっては「ハアーハアー」と呼吸を繰り返した。
今まで経験したことのない痛みに、死ぬ時はこんな感じかと思った。
一番辛かったのは、私のお腹の中で、赤ちゃんが頭を下にして回転しながら下へと降りて来る時だ。ぐわっと絞られるように下半身が集中して痛むのに、力んだらいけない、という。理由は、力むと赤ちゃんの頭が締めつけられるそうである。それで、どんなに苦しくても逆に力まない、ということが、大変難儀だった。非常に辛いのである。私はおそらく出産シーンの一番辛い場面はココだと思うのだが、みなさん、どうだろうか。
看護婦さんに何度も注意された。
お腹が雑巾みたいに絞られ、あまりの痛みに両目をつぶってしまうと、目を開けて!と指導された。
看護婦さんが何度も私の真正面から「こっちを見て!」と仰って目を開けさせ、
「お母さんも苦しいけど、赤ちゃんはもっと苦しいんです!」と言われた、あの時の看護婦さんの顔は今でも忘れない。
私は、力むと無意識にゲンコツになってしまう拳を、一生懸命開こうと渾身の力を込めて指を開いた。けれども、気がつくとすぐグーの手になってしまう。その都度、胎児の名前を呼びながら、震えながらグーの手をパーにした。
痛くて涙が出た。
意識は朦朧として、子宮口が開いたら分娩台にのせてくれる、というから、私は何度も乗せてほしいとお願いしたが、なかなか許可が下りなかった。お腹が痛み出してから6時間以上たったとき、いまだ!と感じたのでナースコールを押したら、オッケーです!とタンカーみたいなものに乗り、分娩室へ移動した。
そこからは、母だけが同行してくれた。
今思うと、夫に出産の場面を見てもらったらよかった。
あのときは若くて(笑)、先輩のアドバイスもあり、夫に生々しい現場を見せないことにしていた。
※だが、私は陣痛室で既に今まで見せたことのない酷い姿を晒していた(はず)。
・・・書いてて、苦しくなってきた。・・・なんだかまた一人産まれるかのような・・・
うう、痛かったよ・・・
と脱線したらもったいないので、
話を戻す。
分娩台に上ったとき、ちょうど夜勤の看護婦さんが交替するタイミングだったらしく、私の周りを7-8人(か、それ以上)が、ぐるりと取り囲んで、皆様が応援の声をかけてくださった。
運がいいことに、その時の当直が私の担当医だったから、安心して身を委ねることが出来て、すべてが完ぺきだった。あんまり男性には読んでもらいたくないが、いわゆる切開も一切せずに!!済んだのだ。分娩台に上ってからは10~15分でするっ、ぽん、と赤ん坊が出てきた。産まれた瞬間、皆様がワアッと歓声をあげてくれて、まるで天使が廻りを取り囲んでくれたかのように、分娩台の周りに花が咲いたような暖かい空気があたりを包んだ。
私はまず先生に「女の子ですか!?」と伺い、
「手と足は、指は、ちゃんとありますか?」と尋ねた。
健康な子が産まれるかどうか、それが最も心配だった。
ちょうど日付が切り替わり、日曜の聖日に産まれたことを母は喜んだ。
夫はしばらくして照れくさそうに(見えた)入ってきて、笑っていた。
産まれたての赤ちゃんが私の横に寝かされて、夫と3人だけになったとき(注:産まれてから確か2時間はそのまま分娩台のベッドに横たわっていることが必要)ああ、この人との子供なんだ、と不思議な気持ちだった。
だって、この人と私の歴史はまだほんの少ししか始まっていなかったのに、もう子供が産まれたんだから、人生は分からない。
そうして、今に至る、子育ての日々が始まった。
思えば、出産は終わりではなく、スタートである。そこから、また違う意味での大変な日々が始まったのだ。
以上、私の出産物語。産まれた瞬間まで起きていようかと思ったけど、そろそろ寝ることにする。(23:15)
自宅で両家の親を招き、2日早いお祝いをしました。
外食と自宅で悩んだ結果、べべが寛げる家で祝うことになり、簡単料理にしようと決意。
ところが、なかなか料理する余裕がなく、実家の母がお祝いとして協力してくれる、というのでありがたくその好意を頂くことにして、お互いに出来る範囲でと準備を気負わずにやったら、お部屋のデコレーションまで出来て、美味しいお料理に感謝でした。神様いつもどうもありがとう。
なんと、母がお寿司桶を持ってきてくれて、お手製ちらし寿司。
離乳食だけは私が料理したお祝い御膳。
デコレーションケーキは買おうとしたら、これも作ってくれると母が言うので、お願いして、スポンジから焼いてもらい、デコレーションは私が担当。余った1ピースは、以前べべの洋服を下さったお隣さんへおすそわけ。
甘さ控えめで美味しかった
即興でベベのお姉さんにバイオリンをお願いして
生演奏に真剣に耳を傾けたべべ。すごくお上手なお姉さんです!
夕方皆さまが帰ったら、眠くなったようで、すぐに眠りました。
無事にお祝いできて、ほっとしました。
昨日あんまり楽しそうにしていたので、今日も代官山支援センターへ連れてきました。
音楽が流れると大喜び!
お兄さんお姉さんに交じって、0歳児が踊ります!
今日は木琴に夢中。音を上手に鳴らせるようになった(=目的物に命中させることが出来るようになった)んだなあと驚いていたら、
今度は私を置いて、手押し車でセンター内を行ったり、来たり。
私がべべの後ろから一緒になって手押し車を押してあげたら、やめてとばかりに、私の手を払いのけたから、ぎゃふん!
じゃあ、見守っているよ、と彼女の後ろを同じように行ったり、来たり。
私でも疲れたーと思ったのに、べべはよっぽど楽しいらしく、ずうっと歩き廻って、歩き廻って、
やっと止まった、と思ったら、今度は傍にあった買い物かごを片手にずんずんずんずん歩きだす。
お昼抜きだった私は2時も過ぎるとお腹が空いて「もう、帰ろうか?」と言ったら
3時半に撃沈。
眠ってしまいました。(お隣さんもべべと同じ10月生まれのベビー)
ぜんまいじかけのおもちゃみたいに、ずうっと歩き廻っていたべべは、小粒でもぴりりと辛い?かわかりませんが、今のところ、元気いっぱいです。