カテゴリー別アーカイブ: 渋谷子育て

べべの初お台場

今日は友達が車を出してくれて、4人でお台場へ。

ランチ時、パスタを食べながら、空を見て、

ヒコーキー!

食べる〜⁉

と、両手にパスタ1本を持ち、空に掲げる娘。
テラスにはスズメがたくさん飛んできた。海には船も何艘か浮かんでいる。

お天気はよく、のどかでうれしい金曜日。

20131101-142703.jpg

20131101-142710.jpg

雀にパンあげる子どもたち。

20131101-144933.jpg

子どもの病気事故対処法•渋谷区区民講座

今日は公園日和!

講座より、子どもの外遊びを優先すべきか迷ったものの、夫が知っておいたらと、背中を押してくれたので学びに出かけた。

20131031-140452.jpg

子供の死亡原因は、病気よりも不慮の事故。

スーパーボールなどの誤飲や歯ブラシ持って歩いた時の事故等、2歳児になってもまだまだ安心は出来ず。
気を引き締めて、見守らなくては。

20131031-171034.jpg

子育ての目標

近頃は週末になると深い話が始まる。

そもそもは、娘の託児先をどうしよう、という話から始まって、べべにどんな環境を与えるのが望ましいか、どんな子に成長してほしいのか、学校は?という議論が相変わらず続いている。

それで実は私は、漠然と小学校受験に興味を抱いていたのだけど、夫が、どうして、なぜ?と聞く。

それで、私たちは自分たちが育ってきた環境を土台に、ああでもない、こうでもないと真剣な議論を広げているのだが、今のところ、私が劣勢である。

というのも、私が世の中の価値観に支配されていて、極端な言い方をすれば、「東大に行ければそれで良し」という考えなのに対して、夫は、東大にいってどうするのさ!?と、にべもない。
彼は<そこにいって何をするのか?>が最も大切だと言い、目的意識の重要性を私にコンコンと説明して、私のミーハー脳にがっくりと肩を落とすのである。

さらに夫は言う。
「僕はね、大学受験の時になったら、べべにプレゼンさせるつもりだよ。どうして大学に行きたいのかってね。それでもし、納得のいく答えが出なかったら、お金なんて出さないよ。」

・・・あら、厳しい・・・・べべちゃん、パパってば厳しいわ・・・・。

と、傍らにいた娘に囁いたが、彼女は無反応だった。
その夜、偶然、私たちは中学校受験をテーマにしたNHKの番組を見た。
それによれば、小学生には受験処理能力(志望校の決定から試験をするまでのマネージメント能力のこと)が「ない」と専門家が言っていて、子供が自ら志望校を選んで受験対応する力を身につけるのは、ちょうど大学受験のときだという。

「ほら、ごらん。(ということは)しょせん、小学校受験は親のエゴなんだ。
子供が行きたいと自ら言っているんじゃなくて、親が選択しているんだ。だったらね、べべが自分でなにかしたい、と言うときに勉強して、好きな学校にいかせたらいいじゃないか。うちはね、受験はしないよ。」

ちょうど、評論家が受験勉強する子供たちを指して、
「子供はね、親の期待に応えたい、ただそれだけなんですよ」
と悲しげに言っていて、私は夫が言っていることは正しい事のように思え、がっかりした。

それじゃあ、わが家は小学校受験なしなのね・・・。

ガーンガーンガーン

と、同時に、悲しいかな、子育ての目標を失った気がした。

「じゃあ、どうしよう?明日から、何を目標にこの子を育てたらいいの・・・?」

そしたら夫がひっくり返って、

「えーーーーーーーー!?目標がないと育てられないの?じゃあ、きみ、受験が目標だったの!?
そんな・・・。そんなことさせられてべべもいい迷惑だよ」
と怒鳴られた(ような気がした)。

彼は小学校受験で学力は測れない(※幼稚園児の学力に優劣などない、というのが彼の持論)と言って、「こんな幼子の合否を人様に下してもらいたくない」というようなことを言っていた。

だけど、私は娘の可能性を試す機会を失ったことが残念だった。本屋で知育ブックを見ては、教えるべきことを頭の片隅に叩きこんで、なんとなく教えていた。

だが、受験がないとすれば、それらのレッスンは不要だ。(たいていの知育本は受験を見据えている)

シュウシュウと頭の中で何かがしぼんでいき、
私はじゃあ、もう子育てに専念する必要はないな、と思った。

娘を愛する生活は続けてきているので、だったら、このまま今まで通り愛して育てれば、あとは放っておいていい--つまり、私は私の人生を歩むべきではないか、と思った。

会社を長く休んでいる。
いろんな人と疎遠になっているし、勉強はぜんぜんしていない。
毎日、家事して子育てしてクタクタで眠ってしまう日々・・・。
いつの間にか子育てが生き甲斐になっている自分・・・。

私はもう頭を切り替える時期に来ているのだろうか。
そういえば、自分に関する夢なんて、まったく見なくなった。
娘が幸せになることが、自分の夢になってしまった。
つまり、自分はどうでもいい・・・みたいな?

ふと、時計をみれば23時半。
今日もまたモヤモヤ考えて、この話は続く。

二歳の秋と神南小学校見学

空見て、

雲、いない

飛行機、いない

ひこーきぃー!!
と、空に向かって、飛行機を呼ぶ娘。

20131028-155007.jpg

今日は午前中に神南小学校の説明会を聞きに行き、午後は東急本店の本屋さんでカフェしながら読書して、ゆっくりゆっくり休憩しながら、歩いて帰宅した。

10月生まれ二歳のバースデー

今日はわが家を含む3家族で、今月2歳になった娘たちのお祝いをしました。

ベベのお友達は、フランス人とのハーフと、ドイツ人とのハーフ。

20131027-111742.jpg

三人の名前を書いてもらったケーキ。

20131027-154458.jpg
バースデーソングをかけて、三人でふー!まだまだ、うまく出来ません。

ピザやカレーを食べて、わが家は動物園のような賑わいに。
20131027-111803.jpg

20131027-111819.jpg

仮装して来てくれたドイツ人パパを持つMちゃん。カレーやピザを元気よく食べる姿が印象的でした。
20131027-112013.jpg

2歳児イライラと虐待

なあ、イラッと来ることあらへん?

と、昨日、代官山チャノマ(ベビー連れWELCOMEレストラン)でランチしたママに真顔で聞かれた。
彼女と私の娘は同じ2歳児だ。

ええ、ありますとも・・・!

と、答えたかどうか忘れたが、そのときはもしかしたら歯切れが悪かったかもしれない。

というのは、今までさほど怒ることはなかった気がするのだが(気のせい?忘れているだけ??)、
この2日間は子供にイライラしていた。

原因は、私にある。微熱で体調が悪かった。
それが、いつもなら受け止められることが出来なくなっていた。

人は余裕がなくなると、他人に、もとい娘にすら、優しくなれなくなる・・・という自分本位の思考に改めて気づかされ、悲しくなった。思い新たに子育ては身体が資本だとつくづく痛感した。

それで、私は子供の泣き声で「うるさーい!!」と言ってしまったのだけど、うるさいは、五月蠅いと書く。
人に対して発言するには、非常に失礼な言葉で、
私はこういう汚い言葉を娘に教えてはいけないな、とうなだれた。
騒音に対してうるさいと言うならよいが、人に対して使うのは控えた方がいいだろう。

だって、もし、べべ(娘・2歳)が、「ママ、うるさい!」と言ったら、
私はショックで倒れるかもしれない。

と、同時に、ふと子を虐待する大人のことを思い出した。
私も彼らの気持ちがわかるところがある・・・。
もし劣悪な環境下に身を置いていたら、そういう思考になるのかもしれない。

ああ、イヤだ、イヤだ、と心の中で首を振って、
娘に謝った。

そうして、それがちょうど夕食前だったので、
ハタと思いだし、二人で神様に祈った。

 ママに忍耐力が、べべに従う気持ちが、
 与えられますように。
 私たちの風邪が(注:娘も風邪)治りますように。

祈ると、娘もアーメン(=その通りです)と言ってくれて、ホッと溜息をついた。
彼女はまっすぐに前を見て、その瞳はさっきまで大泣きしていた涙で濡れていた。

親は本当にダメなものであり、私はこの歳になっても未熟である。
子のために、お手本になれる大人になりたいのだけれど、たぶん一生かかってもできないだろう。

アンパンマン三輪車の遊び方応用編

娘なりに工夫して三輪車を楽しんでる様子。

20131023-170423.jpg三輪車の後輪にある、大人向けの操縦バー。
娘の背丈と同じぐらいなのに、一生懸命手を伸ばして操縦している。

20131023-171427.jpg

20131023-171435.jpg三輪車をまたかず、横座りに。
用意が出来た途端、「押してー」と私にねだったべべ。

発想が豊かでよろしい、と私は小さく喜んだ。

外苑前の伊藤忠の前で

今日はあいぽーと(外苑前の子育てひろば)へ。
朝どうやっていこうか考えていると、「ピンクの電車(=井の頭線)に乗りたい」というので、「今日はオレンジの電車に乗りましょう」と言って銀座線に乗った。

以前は、ベビーカーで銀座線に乗れない、と言っていた私だが、駅員さんがヘルプしてくれることに気づき、ドキドキして10時近くに乗ったら、思ったほど、混んでいなかった。

20131022-095509.jpg 20131022-095525.jpg
かつての私には見慣れたいつもの朝の風景。
これが、渋谷で育つわが子の原風景になるのかしら。