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sakurako について

Sakurako,a business working woman who live in Shibuya,Tokyo.

日曜礼拝と娘

今日の礼拝のメッセージは、久しぶりに私の胸を打った。

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言い訳になるが、ふだんは子連れで福音メッセージを聞くので、集中して話が聞けず、全容を掴みがたい。

だけど、今日は、私が弱くなってるせいか、或いは娘がお友達と仲良く遊んでいたせいか、話が耳に入ってきた。

お昼時。
鉄柱にぶらさがってケタケタ笑う娘を見て傍にいたクリスチャンの女性が言った。

「べべちゃん(の存在)から、慰められるでしょ?」
そうして、彼女は私に冊子をくれた。
その冊子は、彼女の涙跡付きで(読んで涙がついた)申し訳ないと言われたが、先週の私の様子からくださったようで嬉しかった。

「辛いとき哀しいとき、
必要な慰め手は必ず与えられる」
と、以前クリスチャン友達のキヨちゃんは言っていた。

きっと、これがそれなんだろうな、
と思った。

夜。
食事前、主人が祈ろうとしたら、娘がストップの仕草をして叫んだ。
「べべが、祈るの!!」

いいよ、と主人が言ったら、
きつく目を閉じ、眉間にシワを寄せて、両手を合わせて喋りはじめた。

「イエスさま・・・
さっちゃんのこと、守ってください。
キヨちゃんのこと、守ってくらはい。
ママのこと、守ってくらはい。
パパのお仕事、ゴニョゴニョ・
・・してくらはい。
ママのこと、宜しくお願いします。
パパのこと、宜しくお願いします。
キヨちゃんのこと、宜しくお願いします。
さっちゃんのこと、宜しくお願いします。
さっちゃんが無事におうちに帰れますように。
ゴニョゴニョ・・・
イエスさまのゴニョゴニョ、アーメン」

滑舌良く長く喋る祈りに、終わった途端、夫と目を合わせて瞬きをした。

夫は怖いなあと顔を歪め(たように見えた)、
「二歳児が言うことかなあ?
宜しくお願いしますとか、言う?
日本語としても正しいよ!?」
と言って、録画しておけばよかった、
と悔やんだ。

だが、祈りは撮るものじゃない。
だけど、撮っておきたい気持ちは私も同じ。

娘の祈りを見て、これから彼女がたくさん私のことを支え、祈ってくれるだろうと思うと涙がじんわり込み上げてくる思いだった。

世話しているつもりが、いつの間にか祈りを通して世話されるのだろうと思うと、娘を強く抱きしめたくなった。

1月24日金曜日

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ずっと長い間待っていた今日が来た。
昨日はなかなか寝つけず、でも今日はやってきた。

主人と娘と横浜へ。
なぜだか、やはり泣きたくなってしまう。

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横浜親ゴコロ

午前、久しぶりに横浜にいる父に面会に出かけた。

私は子連れだから、頻繁に来ないでいい、

と、父が以前言ったので、行くペースを落としたのに、今日会うなり、私のことを心配していたと言った。

絶句した後、
「親だねえ。。。」
と、応えたら涙が出そうだった。

どんな状況になっても、
親は子を思うのだと、父の発言を通して感動すると共に、私も同じく娘を愛し続けるのかなと思った。
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ワクワクすること

今日ワクワクすることが起こりますように、と祈って出て行った夫。

それは早速私の上に降りかかってきた。
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久しぶりに支援センターに行ったら、
年配女性と子供が来た。

ふとしたきっかけで、その女性と話しが弾み、
「うちも娘が保育園に入れなかったので、私が週に3回預かってるの。」
と仰ったので、私も4月から実家に預けて働けないものかと夢想した。

それからしばらくして、彼女の娘がやってきた。

見て、ギョッとした。
小・中学校時代の同級生だった。

彼女は以前から少し気がついていたようで、声を聞いた途端、私だと思ったと言う。

私は私で以前、外国人男性と歩く彼女の姿を見ていた。お互いもしやと思っていたが、その通りだったと言うわけだ。

驚いたのは彼女のお母さんだ。
さっきまで仲良く話していたのが、娘の同級生だったのだから。

聞けば猿楽町に住んでいた。うちの隣町だ。

心細く感じていた私に、頼れるママ友ができた。
彼女は、ママ友なんかいないとガハハと笑っていた。

また、新しい風が吹いてきた。

2歳児を育てる私の悩み(2)

朝、夫に言った。
「・・・私、いま、ちょっと(娘と)マズいかも。」

「うん、目を見て、僕もそう思った。きみ、一人の時間を持った方がいいよ。」

だけど、娘を預ける良い場所が見つからない。
保育施設に預けようとしても、娘のポツンと立つ姿を見ると、可哀想で預けられなくなってしまう。

「そう言いながら、きみが精神的にやられる方がよっぱど困る」と、夫。

それはそうだ、と思い、慌てて一時保育を探した。
すると、運の良いことに2時間預かってくださるところが見つかった。

さあ、ならば、保育をお願いするまで何をして過ごそうか。

お部屋の掃除機をかけようか、あるいは、、と右往左往していたら、
「ママー!おっぱい!!!」と、娘。

・・・私は事情があって自然卒乳派だ。だから自業自得なのだが、自分に余裕がないとき、授乳は高ストレスだ。

「そうだ、イチゴ食べる?」
と、授乳以外に興味を持つよう促しても、
「いらない。ママ、おっぱいがいいの!」
と娘は主張。
彼女が泣けば、私も別の意味で泣きたくなる。

ああ・・・もう、自分の時間がない!
働いてるママが羨ましい!
保育園に預けられるママが羨ましい!!

発狂しそうだったので、部屋の片隅で頭をかいたが、
芝居のような行為でストレスは飛ばず、
私は娘に背中を向け、顔を隠し、
「助けて、助けて」とブツブツ
小声で祈りともいえない何かを発した。

ああ、ホントに私、マズイよ
( i _ i )

そう思って、泣く娘を預けた。
やはり、そんな状態の私でも、
娘が泣くと、預けるのが辛くなる。

だが、今は私のメンテナンスが大切だ。
カフェに入って、紅茶を飲んで考えた。

私はなぜイライラするのだろう。
何に私は苦しんでいるのだろう。

単なる「育児疲れ」ではない。
育児は結構、好きだ。
だけど、昨日から今日は頭がオカシイ。

いろいろ考えて、答えを見つけた。
2歳娘を育てて、辛いこと。

それは、
娘の全人格と健康が私1人に100%かかっている
という重責だ。

世のお母さんは、みな子育て経験者だ。
だから、悩む必要はホントはなくて、多分、私が真面目すぎると思う。

だけど、私は娘が大切で、特に神様から預かった賜物があると思うから、私の自堕落で彼女に傷をつけたくないのだ。

神様は聖書でこう言っている。

●明日のことは明日が心配します

●空の鳥を見なさい。
種蒔きもせず、刈り入れもせず、
倉に納めることもしません。
けれども、あなたがたの天の父が
これを養っていてくださるのです。
あなたがたは、鳥よりも、
もっとすぐれたものではありませんか。

だから、私の重責は、神様に委ねていない証拠だ。

何か壁にぶち当たるたびに、
結局は自分の信仰の弱さを思い知ることになる。

今日の礼拝堂

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よくみたら、十字架の礼拝堂です。

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リラックスでき、楽しかった。
親子連れにオススメの美術館です。
3時間くらい、遊べそう。

足湯もピカソ館もエンジョイ。

帰りは駅まで夫が迎えにきてくれ、
小旅行は無事終了。(^人^)