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sakurako について

Sakurako,a business working woman who live in Shibuya,Tokyo.

4歳のお誕生日とお祝い会

今朝は朝からギャフンが3つ。

1、昨夜ヘリウムガス4本を購入して空飛ぶ風船を作ったら、朝起きた娘が、

「わあ、スゴイ‼︎ ママ、ありがとう‼︎」

と、開口いちばん喜んでくれた。

期待通りのセリフを言われ照れながら、朝なので換気のために窓を開けた。

振り向いたら、風船はなかった。

2、会社で同僚と目が合い、何気なく「今日娘が誕生日なんだ♪」と言ったら、

「俺も。」

と言った。そばにいた部長が、「うちの奥さんも」と言った。

3、4歳になったら抱っこは卒業と話してた娘と夫。今朝べべは、肩車ならいいよね、と言って肩車をおねだりしていた。

ぎゃふん!

✳︎一応今日の写真も記念に。

今年は、夕方から義母と教会のお友達をお招き。

こども5人で魚釣り。意外と盛り上がった‼︎魚のお腹に入れたお菓子もバレながらも、大喜びしてくれた。   

  
私のこれでも頑張ったカレー。

 
え、これが?!

と、言われそうだけど、8人分の顔細工はけっこうキツイの。σ^_^;

賑やかに今日は過ぎ、無事4歳になった。

四年間、無事に生きててくれてホントに良かった。

誕生日には命のありがたみを素直に感じる。

さかな釣りゲーム完成

今日代々木公園で拾ってきた棒で釣竿をつくり、昨日作った魚のお腹にお菓子を詰めて、さかな釣りゲームが完成!
あとは子供たちがどんな反応をするか、楽しみに16日を待つ。  
16日は娘の誕生日祝いをささやかにするのである。

さかな釣りゲームづくり

 イラストレーターのMIHOちゃんの真似して、夕方家族みんなでさかな釣りのための魚作りをした。 
エイの色塗りをしたのは夫。

茶色でいいから、と言った私に、

そうはいかない、とリアルな色遣い。
怖すぎる〜と娘と仰け反った。

広告代理店時代の同窓会@銀座

社会人一年目で入社して、お世話になった会社の同窓会 。90人以上が集まったらしい。

 
この、古い感じのお店で集まるのが、当時風でいいみたい。

ふだんなら行かないタイプの私も、叔父の葬儀で人生は短いと気づき、出会うべき誰かがいるかも、と出掛けた。
そして、

楽しかった〜

*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)’・*:.。. .。.:*・゜゚・*
代理店出身者は職種が多岐で面白い。

起業した人やフリー、定年を過ぎた方など、皆さんが変わらなくて元気で良かった。

私も元気をいただいた。

保育園の運動会

先週末、秋晴れのもと、去年に続き二回目の参加。  
開会式から目頭が熱くなる。

夫にボソッと

「すでに涙腺が緩み始めて困る…。」というと、

前にいたママさんがクルッと振り向き、

「私も〜。」と賛同してくれたが、夫の「泣くのはまだ早い」と突っ込みにふたりで苦笑い。

娘は朝から微熱で、かけっこが終わると、頭が痛いといいだし、測ると37度。

帰りたいと言いだしたが、先生からの補助もあり、最後までいた。
今年の思い出がまた増えた。

お金儲けしたいわけじゃない、中古リノベの女社長

厚切りジェイソンさんの話、目にとめてくださった方、大変ありがとうございました。
アクセスが大変好調で、編集部に喜ばれました♪

次は恵比寿にオフィスを構える、双子のママで中古住宅リノベーションを手掛ける、
谷島香奈子社長の話。
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のびのび働いている姿が、すごくうらやましいんです。

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旭化成ヘーベルハウスのバス見学会

営業マンの熱意に押され、ヘーベルハウスの見学会に家族で参加することになった。

土曜の朝なのに、笹塚デザインスタジオ新宿支店に9時集合し、ヘーベルハウスの新築や工事現場など3カ所を拝見した。  
30年後のヘーベルハウスの床は、30年経ってもしっかりしていて、造りが良かった。

屋上施工は同社一番の強みで30年持つそうだが、いかんせん、その頃には私たち、天国かも。

叔父の葬儀

岐阜県可児市に住む叔父(父の弟)が20日夕方、62歳で急死した。

叔父の妻は、3年前に亡くなった。愛妻に先立たれ、一時は自殺も考えたと聞いた。

だが、それから僅か3カ月後、叔父にステージ3Bの癌が見つかった。以来、治療しながら、叔父は死の備えをしていたのかもしれない。こんなに早く天国へ逝くとは誰も想像だにしなかった。

この3年間、叔父はどんな気持ちで過ごしたのか。ここ数日はそれが頭から離れず、脳裏に叔父の孤独な姿が浮かんでは消えた。もう叔父と話せないと思うと、喉が掻き毟られた。もっとメールすれば良かった、思い切って電話すれば良かったと思うと嗚咽が漏れた。

私は聖書を信じてるくせに、叔父の知らせは平安でなく、悲しみだった。

叔父夫婦は天国だとは思うけど、生前何もできなかったことが悔やまれてならなかった。

葬儀に際し、親からは無理して来なくていい、と言われたので、行かないことにした。

が、辛さは増し、葬儀は故人のためじゃなくて、私自身のために必要なのではないかと今朝未明、起きてお風呂に入り、7時にうちを出た。

家が渋谷でよかった、と心底思いながら11時からの葬儀に間に合った。  

理系で頭の良い叔父は、今日の準備を一人できっちり事前に行ったようで、遺影も自分で選んでいたほか、私たちに車代などの気遣いまでしてくれていた。

また、叔父の妻がクリスチャンだったことを思い計ってか、家族葬という、献花や黙祷をもって故人を偲ぶ会を遺言として残し、会は小さくあれど暖かかった。

残された2人の息子は、私の従兄弟で、立派な青年になっていた。会うのは十数年ぶりだったが、これからは私が家族になりたいと思った。

叔父さんが、私のブログを読んでくれていて、身近な人に宣伝してくれていたのを今日知った。

私はさらに泣けた。

もっと、たくさん、中身がある文章を書いたり、更新すれば良かった。

もっと、たくさん、おじさんに気持ちを伝えれば良かった。