会社の人に読まれたくないブログ

ブログを書いているとき、みんなに読んでもらいたいな、と思うときと
誰からも読まれたくない(だけど、書きたい!)と思うときがあって、
私はたまに、
“そういえば、うちの会社で私のブログを読んでいる人って誰なんだろ?”
と考えて、ブログを書くのにためらうときがある。

会社の人に読まれて困る記事は書いてない(つもりだ)けど、
サラリーマンとして、黙っていれば賢く見えるかもしれないのに、
一緒に仕事したこともない人に自分の内面がばれちゃうのってどうよ?
と思うわけなのである。

だけど、私はブログのおかげで世界が広がったし、友人も増えた。
その喜びゆえに、やっぱり書きたいし・・・と、このジレンマを乗り越え、
今日も会社のことを書いてしまうのである。

先週の金曜日にあった、新人歓迎会のハナシ。

隣部署からお誘い頂いて参加した際、私にとってややショックなことがあった。
読書談話で盛り上がっている時に、
私はその会話への参加をかるーく、拒否られたのである。
なんでも私にはちょっと言いたくないと本のタイトルを隠されたのである。
隠されたら中身が気になるのが人の心理。当然、私はしつこく攻め寄った。
お酒の席で、男性が女性に言いたくないとすれば、アダルト系かな!?
と勘ぐったら、教えてもらった。

だが、そのタイトルは、私の思いも寄らぬものだった。

さて、なんでしょう?

こたえ。

宗教関係の本。

私は拍子抜けして、いったいそれの何が悪いのかと困惑した。

ところが・・・。

なんでも、「キリスト関係の本じゃないから(私に悪い?)」と。
それを聞いて私は冷水を浴びせられた気もちになった。

それは、まず第一に、なぜ私がクリスチャンだと知ってるんだろう!?
という戸惑いであり(・・・ブログしか考えられない?)、第二に、
「私ってば、社内でキリスト教信者だと思われているんだ、ショック!」
ということであった。

もっとも、相手は気にしないで下さいと言って、私を気遣ってくれる様子から、
まったく悪意があっていったわけではないのは、充分伝わってきた。
だけれども、その言葉は、私をハッとさせたのである。

彼からすれば、宗教の人に見える私・・・。
それって、ある意味要注意人物に見えてるのかも!?ってことで、
「そっかー、そう誤解されることだってあるってことをすっかり忘れてたー!」
と目が覚めたのである。

私の友達は、クリスチャンでない人も多く、ごくフツウに親しくしてくれるから、
私は自然体で過ごしてきたけれど、確かに私のことをよく知らない人は、
桜子さんと話したら入信させられるかも?とか、
警戒する人も当然いるんだろうなーと、気がついたのである。

逆に私が彼の立場だったら、同じようにしたかもしれない。
正直、私も●●学会の人、と聞いたら距離を置くだろうし。
それって致し方ないことである。

信じているものを告白することはそういうリスクも負うことである。
色眼鏡で見られたって仕方ない。しまった、って感じ。

やっぱ、社内で桜子は封印しておくべきだったか!?

と一瞬思ったけど、ここまで来ると、いまさらと思う。

もし私が、誤った道を歩んでいたら、神様はきっと教えてくださるだろう。

もっとも、こんなの
、昔の迫害に比べたら、まったく比較にならない話で、
かつては神様を信じていることが世間にばれると、
石打などの拷問にあった人もいたわけで、
ましてや自分などはこの程度でどうということはない。

だけど、もしかしたら、長い人生のうち、
いつか、ちがう形の石が自分に飛んでくることも
あるかもしれないなあ・・・

と、新人歓迎会で思いがけず、身が引き締まる思いがした。