月別アーカイブ: 2022年12月

news inscription on neon signboard hanging on street

私の重大ニュース2022年

オープンダイアローグとは何か?
オープンダイアローグは、どのようにして人のこころを助けるのか?
対話の実践者になるとは、どういうことなのか?(中略)

2015年の秋、私はフィンランドへ行ってケロプダス病院を見学した。
そして、この病院がオープンダイアローグを一日で誕生させたように、私もすぐに自分たちのクリニックに取り入れようと、帰国した翌日…から、これを始めた。(「感じるオープンダイアローグ」森川すいめい著)

clouds



 今朝、障子を開けたら、窓の向こうに見える朝日と雲のミルフィーユがひどく美しかった。
都会に住んでいると、自然と無縁に思うが、高い所にある空だけは、いつも居住地を忘れさせてくれる。

(ああ、渋谷からも空は美しいんだよな…)


 私は海外旅行が好きだ。3日後、飛行機に乗って、4日後には違う国の空を見る。
だから、これから出会う景色にたくさん感動するだろうが、この渋谷の空の美しさもしっかり覚えておこう、と思った。


 毎年いつも、クリスマスを過ぎると、慌ただしい。この5年間、いろんな形でクリスマス会が与えられた。どの年も、その時々の感動と喜びがあるのは、神ご自身が、自分の会として、すべてをデザインされることに拠るだろう。
 

 そうして、2022年を振り返るとき、私の重大ニュースは、”「与えられた人生をしっかり生きよう」と思えたこと”だ。

1.オープンダイアローグに出会った
2.自分が生きている意味がわかった
3.生活が変わった

自分革命なので、このことは忘備録として書いておく。

先々続いていくのか、正直分からない。が、もう二度と、立ち止まりたくない、と思っている。とはいえ、愛する人を失ったときに、同じ思いで走れるかと聞かれたら、全く自信はない。

人は複雑だ。
でも、私は今の思いを大切にして、どこまでいけるか試してみたい。 

神のなさることは、すべて時にかなって美しい (伝道者の書3:11)



今年も一年、ありがとうございました。
また、ブログを読んでくださる希少な方に、本当にお礼を一軒づつ回って言いたいのですけど、
訪問先を間違えたら恥ずかしいので、やめときます。
でも、とっても感謝してます。


神様のお守りがお1人、お1人の上に豊かにありますように。
そして辛い時、苦しい時、独りぼっちに思えても、神がいるのかもしれない、と考えてみてください。
文末に、聖書の言葉をご紹介します。

by桜子



わたしを呼べ。
そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう
(エレミヤ33:3)






 

photo of a happy family at christmas time

クリスマスまでのカウントダウン


求めなさい。そうすれば与えられます。
捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。
(新約聖書マタイによる福音書 7:7)



 私は小学生の時に、吉祥寺にある日曜学校に通っていた。

 一軒隣にアメリカ人家族が住んでいて、その子息と弟が仲良しだった。だから、姉の私もおこぼれにあずかった。それで、なのか、だからなのかは忘れたが、気がつくと彼らの通う教会へ一緒に行くようになっていた。
 毎週日曜の朝になると、私と弟は、白いポンコツの小さな車にぎゅうぎゅう詰めになって、日曜学校へ行った。

 そんな彼らは、宣教師一家だったということを大人になってから、たまに思い出す。
そのことの意味を深く考える。

私たちの人生は、その時、その瞬間では、意味が全く分からなくても、後になって分かる「人との出会い」や「ことの意味」が、実はたくさんある。


私は、小学生の頃に、冒頭の文章に出会って、強烈なインパクトを覚えた。


求めなさい。そうすれば与えられます。
捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。
(新約聖書マタイによる福音書 7:7


 
今に至るまで、そらで言える。

よく考えたらすごいことだ、と、今書きながら感謝した。
今日まで結局は私を支えている。


 

「求めなさい。そうすれば与えられる…」という言葉はすごい。

何がすごいか、というと、まず、分かりやすい。
次に、前提条件がないことが、さらに分かりやすさを増している。


・神様を信じたら
・修行をしたら
・努力をしたら

と書いていない。それどころか、こんなビックリする言葉が聖書にはある。


事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。


大人になってこの箇所を読んだ時の衝撃も凄かった。椅子からひっくり返りそうになった。
努力したら報われる、と私たちはよく言う。けれど、聖書は、違うよ、と言っている。

ホントか?
って、きっとこの文章を読む人は思うと思うのだけど、
私は書く。ホントだ、と。


辛かった日々も、苦しかった体験も、今は分からなくても、後で絶対に知るようになる。
そのヒントに、冒頭の言葉がある。

わたしがあなたのそばを通りかかったとき、
あなたが自分の血の中でもがいているのを見て、
血に染まっているあなたに、『生きよ』と言い、
血に染まっているあなたに、くり返して、『生きよ』と言った。
(旧約聖書 エゼキエル書16章6節)


のたうち回るような日々も、暗闇の何かも
すべてが、ああこのためだったのか、と探求できる日が誰にでも平等に与えられている。
私はそのように信じている。

by桜子