月別アーカイブ: 2017年10月

親子といえども性格は違う

「ママはどうしてべべの気持をわかってくれないの?!」
と先日、涙ながらに娘が私に訴えた。

ハッとした私は、(そうだった)と思いだして、謝った。

娘6歳にして、最近私が分かったことがある。
子と私の性格は全然違う、ということだ。

「顔が似てるね」とよく言われ、明るいとこは私譲りだと
思っていたが、いろいろ似てないところが多々あった。

娘はまず、目立つことが嫌いである。
また誰かが泣いたり、誰かがいじめられるシーンに非常に敏感で、いがみ合いを嫌う。
夫と私が議論していると喧嘩だと思うらしく、よく仲裁に入ろうとする。

夫が「争うことを好まないんだよ」と言うので、振り返ってみたら、
私の父親が大声で話すと、怒っていると感じるらしく、固まってしまったり、
「今日、保育園でお友達がAくんにいじわるされていた」と他人の話もわが事のようにダメージを受けたり、
「Cちゃんに、“喧嘩はしない方がいいよ”」って言ったら、「べべちゃんには関係ない!」と怒られたと言ってはうなだれていた。

夫は娘をよく観察していて、私に忠告した。

「もしかしたらさ、僕たちは外国が好きだから、出かけているけど、あの子は家で静かにしていたい性格かもしれないよ。
それに、僕たちは英語を勧めるけど、あの子は今日『英語を話したいと思わない』と
言っていたじゃない?将来は気持が変わるとしても、それなら仕方ないと思う」

親だからといって、子どもを自分と同じと見なすのはやめよう、娘には彼女なりの気質や性格がある。そういうことを心に留めて、注意しよう、と言うようなことを言われた。
これまで、何故なんだろうと理解出来なかった娘が、性格が違うと思えば、するする受け入れられる気持ちに変化した。

大事な忘備録として残しておく。

保育園児6歳、娘の誕生日の過ごし方

昨日、娘が6歳になった。
彼女は、半年ほど前から誕生日をとても楽しみにしていて、
お誕生日を迎えたら保育園のお友達を呼んで、遊んで、ケーキをみんなで食べるのが夢だった。

私はそれを叶えるのがちょっと負担で、娘には内緒で胃が痛かった。
何が憂鬱だったかと言えば、保育園のお友達のお母さんたちに連絡をとる段取りである。
よく話すお母さんもいれば、そうでないお母さんもいる。あれこれ考えていたら、気疲れしてしまった。

保育園は働くママの集まりなので、皆似ているような気がするが、全然違う。
いつアレンジするんだろうと思うぐらい、常に誰かと遊ぶママもいれば、一切付き合わないと決めているようなママもいて、十人十色である。
私は星飛雄馬の姉のように、その様子をそっと陰から見つめていたが、最近やっと自分の色はこれだと見つけられたような気がする。(遅いって?)

閑話休題。

結局、娘の誕生日は月曜だったので、土曜に遊ぶことにした。
当初の娘が招きたいメンバーは、えいっと(断腸の思いで)私事情により変更し、私がその時話せた親に声をかけて、3組の家族で目黒バーベキューをした。パパも入れて家族みんなで楽しむ時間は素敵な思い出になった。
15時に、私が用意したババロアにろうそくを立て、皆にハッピーバースデーを歌ってもらった。
それで、昼に集合したのに20時半まで飲んで、最後はタクシーで帰った。大人はなぜこんなに飲むのだろう?

翌日の日曜は、主人と私の両親が来て、夕食を交えた誕生日会をした。
身内だけの集まりなのに、私たちが歌を歌い始めた瞬間、娘はあろうことか、恥ずかしい……と浴室に隠れてしまった(!)
うちの子は明るくハキハキしているので、きっと目立ちたがり屋と思ったが、さにあらず。目立つことは嫌だという。親の私でも分からない性格がまだ彼女には内包されていて、親とは別人格だということをしみじみ感じた。(ちなみに私はどちらかといえば目立つのが好きだと思う)

そして本番。つまり昨日。
主人が19時と驚異的な早さで帰宅して、私と3人のお祝いをした。
私はすこし寂しい気持ちになった。毎年届くパリちゃんママからのプレゼントがなぜか来なかった。なぜだろう?事故にでもあったのか、入院でもしているのか。音信不通になってしまった。
急に家が広く見えた。一人っ子の娘。この子は一生、私たちとだけで成長していくのかと思うと、可哀想に感じた。
私は兄弟がいたし、祖父母と同居もしていたせいで、週末は絶えず来客があったので、家は賑やかだった。

なんだか、寂しい。

弟も、妹もいなくて、ごめん、という思いで娘の横顔を見たら、そんなことは気にしなくていいという顔で、穏やかに私と主人との時間を過ごしているようだった。
夫が誕生日カードを娘に渡したら、ありがとうパパ!と娘は夫に抱きついていた。わが子ながら、いい性格である。

最後に、夫が「いつか叶えたい夢」というカードを娘に渡して、彼女に書かせた。

バースデーウィッシュには、「ワンちゃんがうちに来ますように」と書いてあった。

そうだね、いつか、ワンちゃんがわが家にやってくるかもね。

不思議な祝日

三連休の最後、体育の日。

今日は特に予定がなく、何も予定がない日もいいね、と夫が言った。

お昼、近所でキッズテーブルという、渋谷区の子どもテーブル(食育プログラム)が開催されており、友人がボランティアで手伝っていたので、飛び込み参加は可能かと尋ねた所、当日キャンセルの人がでたからいいよ、とオッケーをもらった。


この日はマダガスカル料理を味わう日で、マダガスカル大使の息子がどんな国か説明してくれた。


どんな奇抜な味かと思いきや、とてもサッパリして美味しいサラダ。舌鼓を打つ。


持ち寄り方式のランチ。よその人が作ったごはんは何故こんなに美味しいのだろう。


私のお皿↑

食事中、私の前に座ったフィリピン人が、某外資系企業の日本支社副社長で、近頃会社を辞めた、と言う。

お給料がすごく良かっただろうにナゼ?!と、私が聞くと、仕事のために働いてるんじゃなくで幸せに過ごすために生きてる、と言っていた。

 「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。」(マルコ8:36)

神様が必ず飢えさせないはずだから、そこは心配してない、とも言っていた。

 いい話だ。

食後、代官山は猿学祭というお祭りをしていたので、家族でさらに散歩を進めることにした。

夫はワインを片手に歩き、嬉しそうであった。

そしたら、代官山駅方面から、独身のクリスチャン友達4人が「桜子ちゃーん!」と声をかけてきたので驚いた。

みんな、どうしたの⁇うち、来る⁇

普段吉祥寺でしか会わない面々がわが町に来るとは。そうか、みんなこうやって集まってるんだ、と、仲の良い様子に嬉しくなりつつも、なぜ私を誘わないの?という気持ちにも一瞬なった。 

私は欲張りである。

「私たちは、お昼にマダガスカル料理を食べたんだよ」と話したら、友人の1人が、「私、マダガスカル行ったことある!」と言った。

なんと!

年間4000人しか、日本人が訪れない国なのに、凄いね、と夫が言った。

その後、わたあめを食べたり、うどんを買ったりして、家路に着いた。

家では娘が1人でふざけて何かを言っては、けたけた笑い出し、夫に一生懸命話しかけては笑ったり、抱きついたりしていて、私はぼんやりその姿を眺めていた。
家に子供がいるのはいいものだ。幸せな空気がそこここに漂う。

良い祝日だった。

ニューヨークの友達

先月、東京に来た友人が、無事ニューヨークに帰国したと家からの写真を送ってきてくれた。
ニューヨークもやはりいい、とメールに書かれていた。この写真をみると、本当にそうだと私も思う。
だが、メールの末尾には、こうも記されていた。

神様と一緒だったらどこでもいいです