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書き忘れていた。
%気になる点について、だ。

今日までに2つ分かった。1つ、巻末の推薦図書。ドイツ版にはないのに日本語版はあ
る。やはり国内のどこかの組織が管轄しているんだなあ。とすれば、その推薦本はその組
織のフィルターがかかって紹介されたものなので、その組織がわからないと推薦図書は
ちょっと?かもしれない、わからない。

もう一つ、聖書の言葉が若干違う~?

なぜこんなことがわかるかというと、私、聖書持っています(・∀・)

なんで違うんだろうな?
時代と共に聖書は変わるのだろうか。口語訳()、新改訳()はわかるけども。
その辺について調べた。
結果

人の目には真っ直ぐにみえる道がある

「人の目には真っ直ぐにみえる道がある。その道の終わりは死である」(聖書)

この世に生を受けた日から、私たちには死が約束されている。

だから。

毎日を大切に生きよう、悔いのない人生にしよう、と言う、けれど・・・。

男性の平均寿命は78.64年、女性の平均寿命は85.59年という今日。(厚生労働省平成16年簡易生命表)病や誰かの死というきっかけがなければ、真摯に考える機会は少ないのではないだろうか。

私は聖書の次の言葉を一つの教訓にしている。

祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。 (伝道 7:2)

知恵ある者の心は喪中の家に向き、愚かな者の心は楽しみの家に向く。(伝道 7:4)

そういう、全ての人に等しく共通する問題、「死」について、今回はまじめに考える。

なぜかというと、人はいつ亡くなるかわからない、からだ。
私も、これを書いた後にお外へ出たら、車に跳ねられ帰らぬ人となるかもしれないではないか。

皆さんは、死についてどう考えているだろうか。

私は、いつ来てもいいぞ!と思って、いる、ことが、できるように、なりたい、と思っている。
実際には宣告されたら、涙がでるし、

思いがけない死。

愛する人との別れは何か突然起こった思いがけないことなんかじゃなくて、来るべきものなのである。

山のような苦しみを超えて生きる

毎日会社に行く、サラリーマンにとって当たり前のプロセスが壊れる時がある

体と心の病、

VOL.2■日々是

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VOL.2
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                *.;”.*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*.”;.*:
                      人生、勉強

と、明るく書きつつ、先日とんでもないことが起こりました・・・。

去年の暮れ、赤坂で昼ごはんを食べていたら、以前仕事でお付き合いのあった方から
「大至急、お電話下さいっ」という切羽詰ったメッセージ。
急いで連絡したらなんと、お金を貸して欲しいとのこと。

“金銭の貸し借りはいけません、友達同士でもやめましょう” は、肝に銘じている。

・・・はずだった。

なのに聞けば、お財布を落として窮地に陥り困っているとのこと。
知らない仲ではなかったので、寸前まで迷いつつも、貸してあげた。

それなのに。

そう、皆さんのご想像どおり。彼が、どろんっですよ。どろんっ。
昨日さっそく彼の同僚とお会いしたところ、「実はですね。社内で同じことが何件も
発生しており・・・。」

( ̄○ ̄;)! ま、まじっすか~。

消費者金融に追われていた。家にも帰っていなかった。実家には電話が鳴り響いて
いる。

こんなこと、あってもいいんですかーっ。新年早々、ドラマに出演した気分。

それでも、まだどこかで、その人を信じたい私。「返すつもりでいるんですよね。」
あるいは、「返すつもりで『いた』んですよね。だから私の口座番号聞いてきたんで
すよね。」今、私はPさんが、悔い改めて謝ってくれるのを待っている。

どうにもこうにも、今日はこれを書かずにいられない気分。思わぬかたちで、ある人
の一人生を垣間見た気分だったのでした。