去年のいまごろ、私は病院で産みの苦しみを味わっていた。
そして、その2時間余後にべべが産まれたのだ。
あのときは、本当に苦しかった。
汗が出て、流れる汗を誰かにぬぐってもらっては「ハアーハアー」と呼吸を繰り返した。
今まで経験したことのない痛みに、死ぬ時はこんな感じかと思った。
一番辛かったのは、私のお腹の中で、赤ちゃんが頭を下にして回転しながら下へと降りて来る時だ。ぐわっと絞られるように下半身が集中して痛むのに、力んだらいけない、という。理由は、力むと赤ちゃんの頭が締めつけられるそうである。それで、どんなに苦しくても逆に力まない、ということが、大変難儀だった。非常に辛いのである。私はおそらく出産シーンの一番辛い場面はココだと思うのだが、みなさん、どうだろうか。
看護婦さんに何度も注意された。
お腹が雑巾みたいに絞られ、あまりの痛みに両目をつぶってしまうと、目を開けて!と指導された。
看護婦さんが何度も私の真正面から「こっちを見て!」と仰って目を開けさせ、
「お母さんも苦しいけど、赤ちゃんはもっと苦しいんです!」と言われた、あの時の看護婦さんの顔は今でも忘れない。
私は、力むと無意識にゲンコツになってしまう拳を、一生懸命開こうと渾身の力を込めて指を開いた。けれども、気がつくとすぐグーの手になってしまう。その都度、胎児の名前を呼びながら、震えながらグーの手をパーにした。
痛くて涙が出た。
意識は朦朧として、子宮口が開いたら分娩台にのせてくれる、というから、私は何度も乗せてほしいとお願いしたが、なかなか許可が下りなかった。お腹が痛み出してから6時間以上たったとき、いまだ!と感じたのでナースコールを押したら、オッケーです!とタンカーみたいなものに乗り、分娩室へ移動した。
そこからは、母だけが同行してくれた。
今思うと、夫に出産の場面を見てもらったらよかった。
あのときは若くて(笑)、先輩のアドバイスもあり、夫に生々しい現場を見せないことにしていた。
※だが、私は陣痛室で既に今まで見せたことのない酷い姿を晒していた(はず)。
・・・書いてて、苦しくなってきた。・・・なんだかまた一人産まれるかのような・・・
うう、痛かったよ・・・
と脱線したらもったいないので、
話を戻す。
分娩台に上ったとき、ちょうど夜勤の看護婦さんが交替するタイミングだったらしく、私の周りを7-8人(か、それ以上)が、ぐるりと取り囲んで、皆様が応援の声をかけてくださった。
運がいいことに、その時の当直が私の担当医だったから、安心して身を委ねることが出来て、すべてが完ぺきだった。あんまり男性には読んでもらいたくないが、いわゆる切開も一切せずに!!済んだのだ。分娩台に上ってからは10~15分でするっ、ぽん、と赤ん坊が出てきた。産まれた瞬間、皆様がワアッと歓声をあげてくれて、まるで天使が廻りを取り囲んでくれたかのように、分娩台の周りに花が咲いたような暖かい空気があたりを包んだ。
私はまず先生に「女の子ですか!?」と伺い、
「手と足は、指は、ちゃんとありますか?」と尋ねた。
健康な子が産まれるかどうか、それが最も心配だった。
ちょうど日付が切り替わり、日曜の聖日に産まれたことを母は喜んだ。
夫はしばらくして照れくさそうに(見えた)入ってきて、笑っていた。
産まれたての赤ちゃんが私の横に寝かされて、夫と3人だけになったとき(注:産まれてから確か2時間はそのまま分娩台のベッドに横たわっていることが必要)ああ、この人との子供なんだ、と不思議な気持ちだった。
だって、この人と私の歴史はまだほんの少ししか始まっていなかったのに、もう子供が産まれたんだから、人生は分からない。
そうして、今に至る、子育ての日々が始まった。
思えば、出産は終わりではなく、スタートである。そこから、また違う意味での大変な日々が始まったのだ。
以上、私の出産物語。産まれた瞬間まで起きていようかと思ったけど、そろそろ寝ることにする。(23:15)