金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう

朝、ベランダから落とし物をした。娘の学校のプリントだ。

正確には、登校していく娘に対してベランダから、「忘れ物ー!」と声をかけ、
マンションから、プリントを静かに落としたわけだが、
ひらひらひら、と風に舞って、娘の手元に届かず、隣の敷地内に落下してしまった。

落ち着いて考えれば、プリント用紙をたとえクリアファイルに挟んだとはいえ、
垂直落下させる重さとしては不十分だった。

風に流されることは予測できたはずなのに、なぜ私は下に降りて娘に届けなかったのか。
それは、そもそも娘が登校時間ギリギリで、家を出たからである。
下に降りていけば、娘は遅刻する気がした。
だから私は時間短縮のために落としたわけだが、大失敗だ!最悪である。

娘はそのまま学校にいってしまった。

自分のバカさ加減とおっちょこちょいは自覚しつつも、プリント落下の任を受け、失敗した夫にも火の粉は飛んだ。
なんで、落とすのよ!と怒鳴ったかどうか忘れた。
ともかくまずは、愚かなことを頼んだ妻を静止してもらいたかったが、寝起きで判断の余地がなかったか。

そもそも、なぜ夫はいつも朝が遅いのだろう。
どうして私は毎朝、娘を学校へ送り出すことに、こんなに苦労しているのだろう。
私は猛烈な後悔と反省のエネルギーの勢いで、脱兎のごとく、隣のビルに駆け込んだ。
トラブルは早く解消するに限る。

守衛さんに、落とし物を告げると、その敷地に入る権限が自分にはない、と言う。代わりに、その権限があるという“監督”に依頼しよう、ということになり、朝から一緒に監督を探した。

「さっき、朝の挨拶に来てくれたから、その辺に居ると思うんだけど・・・」

二人で一緒に隣のビルをゆっくり歩く。「おーい、監督さん知らない?」付近の男性に声をかける。
「あ、いたいた!」

ちょうど、向こうから“監督”が歩いてきた。遠くでよく見えない。なのに、間髪入れず、守衛さんは私に言った。
「いい男でしょ?!」

予想外の声がけに私は思わず噴き出した。正直、マスクで全く顔が見えない。が否定する必要もなく、笑いながら頷いた。

近距離にくると、監督は確かに人の好い顔をしており、頼みごとに快諾してくれた。
私は礼を言い、拾ったら電話をもらうことになったので、いったん家に帰ることにした。

家に戻ると、陽だまりの中で夫は新聞を読んでいた。
「あった?」

私は事の顛末を話し、拾ってもらったら何かお礼した方がいいか相談した。

本来なら気にしなくても良いはずだが、何かしてあげたい思いに駆られていた。
すると、「いつも(ビルの大音響には)迷惑をかけられているから、お礼でいいよ」と助言された。

確かに。だが、今回協力してくれるのは、ビルのオーナーでなく、雇われた人達である。
私は、守衛さんが、自分の父のように思えた。
もし父が誰かに親切にして、お礼やちょっとした物をもらったら、その家族はうれしく思うだろう。
だから、何かあげることにした。

しかし、何を?!

結局、柿ピーと聖書の言葉を送ることにした。食べ物は食べたらなくなるが、聖書の言葉は私が出来る唯一の贈り物である。「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう(聖書)」の心境である。

その後、どきどきしつつも、おずおずと手渡ししたら、思いのほか、満面の笑みで受け取っていただいて、大変、喜んでいただいた。そして、監督さんの分も後で渡す、と言われた。きっと、監督さんも後で笑ってくれるに違いない。

私は嬉しかった。

在宅勤務が続き、人との触れ合いが一切ない日常で、この小さな交流が楽しかった。
プリントの落とし物がきっかけで、朝から笑えるなんて、今日はおかしい日じゃないか!

最悪が、最高になった。
かくもあてにならない感情である。