気づけば、おじがタレントみたいにテレビに出ていて、びっくりした。
いまでは、おじにエベレストに連れて行ってもらった20代は貴重な思い出である。
小学校で父母参観があるのは知っていたが、保育園でも参観日があるとは知らなかった。
さほど興味がなかった私に対し、夫はずっと娘が気になっていたため(今まで影の窓からこっそり見てた)楽しみ!と言って、喜んで参加した。全員参加かと思いきや、保育園の働くパパママは忙しそうで、参加者は全体の半分、夫婦揃って観たのはわが家のほか1組だけだった。
※0歳から預けている親は観ないのかも。(うちは2歳児で保育園デビュー)
結果、行ってみて、とても勉強になった。
初めてこども全員に対する保育者の割合を観、こどもたちが遊ぶさまを目の当たりにすると、感じることは多々あった。
ちょうど室内遊びだったその日、先生方の労力は大変ありがたいなあと思う一方で、私はついジンボリー(米国発の幼児教室)のカラフルさが懐かしくなり、室内にある低い滑り台をみて、菅刈公園のダイナミックな滑り台を思い出して、なんともいえない思いが込み上げた。
このままでいいのかな・・・
と思った。
今の私は、子どもがいるのに働かせて頂いて、十分恵まれた環境を頂いている。
しかし、それは私の環境であって、そのために娘を犠牲にするのはできれば避けたかった。
その翌日、近所で佐々木正美(児童精神科医)の「子どもへのまなざし」と言う本があり、そこに子どもの目がキラキラ輝く環境を作ることの意義みたいなことが書かれていた。
結局、そうすることは、親自身も楽しい(幸せな)気持ちになるということで、それに関する部分を目にしたとき、自分がなぜ先日もどかしい気持ちになったかも合点がいった。
結局、いまは私も親になったので、子が喜ぶことは、イコール自分の幸せなのだと気づかされた。
ここは認可保育園であり、預ける親の家庭事情もさまざまで、子どもの衣食住が足りればそれで満足だ。
けれども・・・。
けれども・・・。
それぞれの家庭に教育方針があるように、わが家は、そして私は私のやってみたい教育方針があり、それはやっぱり、できれば一日でも一秒でも多く、幼き娘には今の我慢より、毎日をキラキラと輝くことでいっぱいにしたいのである。