と言いながら、列車に乗ったり、交通公園ではミニカートを押してあげたり、休日に夫は実によく娘を世話する。
彼女は幸せ者だと思う
昨日のスケジュールが過密だったせいか、
娘が6時に起きるも、10時にバタンキュウ。
--今日は予定があったけれど、
こういうときは、さっさと割り切って保活開始。
さっそく読んでくださった方が情報をくださった。
代官山の無認可託児室「ママと赤ちゃんのサロン babyhip」
はどう?
いまがお電話タイム!
さっそく問合せしたら、今月で閉館---
とのこと。それは、他のママさん、困ったでしょう!
聞けば、この託児室はビル内にあるのだが、そのオーナーと賃貸契約の更新が不可だった、とのこと。
目下、託児サービスが出来るビルを探し中なんだとか。
どうして更新できなかったのかしら、と伺うと
他店舗から騒音などのクレームがあったそうで、オーナーが困った模様。
・・・確かに、もし私がオーナーなら、借せなくなると困る。
でも、数少ない託児サービスがなくなると、私たちも困る。
少子化対策、育児支援と国は言うけれど、これが社会の実態だ。
最近、ちょっとづつ、出産前の自分を取り戻しつつある。
子供がいるからと我慢していたヘアースタイルも、したい髪形をするようになった。
洋服も、授乳しやすさを第一にしていたけれど、ごくたまにワンピースも着用。
鞄も、黒のマザーズバッグ1つ、と割り切って過ごしていたのを、TPOに合わせて変える、
という芸当をときどき(※)し始めた。 ※毎回はさすがに無理・・・
そして、そういうことをし始めたら、
最近続けざまにビジネスの方とお会いする機会に恵まれて、
社会に出ていた頃を思い出した。
なんだかそろそろ社会復帰してみてもいいんじゃないか、
という気になってきた。
これには、娘が思いのほか健やかに育っている、
ということも影響している。
私は今年4月、復帰しようと思っていたら、
渋谷区の1歳児クラス保育園に落ちた。
あとで分かったことだが、結局私の希望する保育園は定員3名
とあったのに、実際に入ったのは2名だった。
(超、狭き門)
それで、
1歳児クラスが落ちたなら、2歳児クラスで申し込んでも、
ほぼ100%入れない。ならば3歳まで専業主婦をやろう、と
2ヵ月前に決めた。
それなのに、ちょっと待てよ、と思ったのは、
心境の変化のほかに、決定的な事実に愕然としたのである。
安倍さんは3歳まで抱っこし放題、と仰ったけれども、
3歳まで抱っこし放題だと、そのあと、預ける先がないのである!!
(2013年現在、桜子独自調査結果)
* * *
去年、渋谷区に
「どうして、うちの近所には保育園がないのでしょう!?」
と詰め寄ってみたら、
「その辺は子供が少ないんです。人口分布図で多い所に施設を置いてます」
と言われた。なんでも笹塚辺りなら多いとか。
おっと、それなら、この土地に住んでる私が悪いのか!?
夫に、
「なんか、もう、どうしよう。誰に相談したらいいのか。
横浜みたいに保育コンシェルジェがいればいいのに」
と、泣きついたら、
「きっと何か見つかるさ。探そうよ!」
と、頼もしい返事をしてくれた。
・・・そうかしら、見つかるかしら。
かくして、私のゆるやかな保育園探し(略して、保活)が始まった。
いまさら遅いけど、得た有益な情報があれば、みんなにシェアしたいと思う。
シルバーシートで、見知らぬ年配女性に話しかけられた。
子連れになってから、これはよくあること。
だが、今日はちょっと違っていた。
娘べべを見て、
「ねえ、バアバって言える?」「バアバ、って言って!」
と言われた(笑)。
命令形は、初めて。
私は「まだバアバって言ったことはないです」
(そもそも、実母は『さっちゃん』と呼ばせている。←言える)
とフォローしたが、
なんでも、お孫さんは全員男の子で大きくなったから
女の子からそう呼ばれたいと仰って、再び命令してくる。
うわ~困ったことになったな、と
内心、焦る思いでいたら、
「ばあば」
と、娘が言った。
もちろん、産まれて初めての単語(発言)だ。
「あ、言いました!初めて言いましたよ!」
と、私大喜び。
「ほんと、可愛い声で言ったわねえ」
と、おばさまも喜んだ。
べべ、グッジョブ。(=GOOD JOB)
「バアバはいいのよ。おばあちゃんにもそう言ってあげなさい。喜ぶわ~」
とのことだったが、実母は自らをバアバと言わないし、義母もしかり。
(ちなみに義母の呼び名はおばあちゃん)
ふうー
と、背もたれに寄りかかって、安堵のため息をこぼした。
鬼気迫っていて、ちょっと怖かったんだもの。
だけど、その後、しばらく私たち母子と語り合った後、
彼女はこう言った。
「ああ、今日は良かったわ。お会いできて、明るい気持ちになった。
空気がいっぺんに変わった。ありがとう」
と、私たちとの出会いを心から喜んでくださったふうであった。
そして、ご自分の状況を話し始められた。
「実はいま浴風園(老人ホーム)という所の帰りで、友人のお見舞いに行ったんだけど、認知症だったの・・・。
まあ、挨拶はしてくれたけれど、行って良かったのかどうかって、苦しかったの。」
あら、でもお見舞いだったら喜ばれましたでしょう!?
と私が言ったら、
「どうかしら?彼女は本当は私には会いたくなかったんじゃないかって。
今日だって、もしかしたら私のエゴだったんじゃないかって・・・」
かなり深い内面の話を告白してくださった。
こういうのを聞くと、励まさずにはいられない。
「でも・・・・結果はどうあれ、動機が愛だったから。だから、愛だったのなら、神様は良し、としてくださるんじゃないですかね。ほら『神は愛なり』って聖書にありますし!!」
と、超早口で巻き立てた。
というのも、私たちの下車駅に着いたからである。
我ながら、ちょっと強引な引用かなーと両目をつぶりたくなったけれど、
おばさまは、「いい言葉を聞いた」と喜んでくださって、
私の肩をたたきながら、さよならとドアに押しだしてくださった。
私はまた、どこかで又この方と会うこともあるかな、とぼんやり思い、
「いつかお会いするかもしれませんが」と言って、別れた。
私とべべの存在が見知らぬ誰かの役に立つとは思わなかった。
爽やかな気持ちで駅のホームに降りた。