月別アーカイブ: 2012年10月

夫の社員、わがマンションに転居

どうしてかなぜか夫の社員が「今度田中さんのマンションに引っ越します!」と言って、やってくることになった。

たまたまマンションの入口を見たら、すごく小さなトラック。

「そういえば小さな車で週末越してくると言ってた」というから、ほぼ夫の社員で間違いない。

今まで引っ越しトラックをこのマンションで数多く見てきたが、今日のが一番小さい気がするのは気のせいだろうか。

去年のいまごろ~私の出産体験

去年のいまごろ、私は病院で産みの苦しみを味わっていた。
そして、その2時間余後にべべが産まれたのだ。

あのときは、本当に苦しかった。
汗が出て、流れる汗を誰かにぬぐってもらっては「ハアーハアー」と呼吸を繰り返した。

今まで経験したことのない痛みに、死ぬ時はこんな感じかと思った。

一番辛かったのは、私のお腹の中で、赤ちゃんが頭を下にして回転しながら下へと降りて来る時だ。ぐわっと絞られるように下半身が集中して痛むのに、力んだらいけない、という。理由は、力むと赤ちゃんの頭が締めつけられるそうである。それで、どんなに苦しくても逆に力まない、ということが、大変難儀だった。非常に辛いのである。私はおそらく出産シーンの一番辛い場面はココだと思うのだが、みなさん、どうだろうか。

看護婦さんに何度も注意された。
お腹が雑巾みたいに絞られ、あまりの痛みに両目をつぶってしまうと、目を開けて!と指導された。
看護婦さんが何度も私の真正面から「こっちを見て!」と仰って目を開けさせ、
「お母さんも苦しいけど、赤ちゃんはもっと苦しいんです!」と言われた、あの時の看護婦さんの顔は今でも忘れない。

私は、力むと無意識にゲンコツになってしまう拳を、一生懸命開こうと渾身の力を込めて指を開いた。けれども、気がつくとすぐグーの手になってしまう。その都度、胎児の名前を呼びながら、震えながらグーの手をパーにした。
痛くて涙が出た。

意識は朦朧として、子宮口が開いたら分娩台にのせてくれる、というから、私は何度も乗せてほしいとお願いしたが、なかなか許可が下りなかった。お腹が痛み出してから6時間以上たったとき、いまだ!と感じたのでナースコールを押したら、オッケーです!とタンカーみたいなものに乗り、分娩室へ移動した。

そこからは、母だけが同行してくれた。
今思うと、夫に出産の場面を見てもらったらよかった。
あのときは若くて(笑)、先輩のアドバイスもあり、夫に生々しい現場を見せないことにしていた。
※だが、私は陣痛室で既に今まで見せたことのない酷い姿を晒していた(はず)。

・・・書いてて、苦しくなってきた。・・・なんだかまた一人産まれるかのような・・・142018.gif
うう、痛かったよ・・・

と脱線したらもったいないので、
話を戻す。

分娩台に上ったとき、ちょうど夜勤の看護婦さんが交替するタイミングだったらしく、私の周りを7-8人(か、それ以上)が、ぐるりと取り囲んで、皆様が応援の声をかけてくださった。

運がいいことに、その時の当直が私の担当医だったから、安心して身を委ねることが出来て、すべてが完ぺきだった。あんまり男性には読んでもらいたくないが、いわゆる切開も一切せずに!!済んだのだ。分娩台に上ってからは10~15分でするっ、ぽん、と赤ん坊が出てきた。産まれた瞬間、皆様がワアッと歓声をあげてくれて、まるで天使が廻りを取り囲んでくれたかのように、分娩台の周りに花が咲いたような暖かい空気があたりを包んだ。

私はまず先生に「女の子ですか!?」と伺い、
「手と足は、指は、ちゃんとありますか?」と尋ねた。
健康な子が産まれるかどうか、それが最も心配だった。

ちょうど日付が切り替わり、日曜の聖日に産まれたことを母は喜んだ。
夫はしばらくして照れくさそうに(見えた)入ってきて、笑っていた。

産まれたての赤ちゃんが私の横に寝かされて、夫と3人だけになったとき(注:産まれてから確か2時間はそのまま分娩台のベッドに横たわっていることが必要)ああ、この人との子供なんだ、と不思議な気持ちだった。
だって、この人と私の歴史はまだほんの少ししか始まっていなかったのに、もう子供が産まれたんだから、人生は分からない。

そうして、今に至る、子育ての日々が始まった。
思えば、出産は終わりではなく、スタートである。そこから、また違う意味での大変な日々が始まったのだ。

以上、私の出産物語。産まれた瞬間まで起きていようかと思ったけど、そろそろ寝ることにする。(23:15)

ベベ一歳のお誕生日会

自宅で両家の親を招き、2日早いお祝いをしました。

外食と自宅で悩んだ結果、べべが寛げる家で祝うことになり、簡単料理にしようと決意。
ところが、なかなか料理する余裕がなく、実家の母がお祝いとして協力してくれる、というのでありがたくその好意を頂くことにして、お互いに出来る範囲でと準備を気負わずにやったら、お部屋のデコレーションまで出来て、美味しいお料理に感謝でした。神様いつもどうもありがとう。

なんと、母がお寿司桶を持ってきてくれて、お手製ちらし寿司。
離乳食だけは私が料理したお祝い御膳。

デコレーションケーキは買おうとしたら、これも作ってくれると母が言うので、お願いして、スポンジから焼いてもらい、デコレーションは私が担当。余った1ピースは、以前べべの洋服を下さったお隣さんへおすそわけ。
  
201210141745072012101415260000-thumb-240x240-1693.jpg 甘さ控えめで美味しかった73234.gif

即興でベベのお姉さんにバイオリンをお願いして
  
生演奏に真剣に耳を傾けたべべ。すごくお上手なお姉さんです!

夕方皆さまが帰ったら、眠くなったようで、すぐに眠りました。
  

無事にお祝いできて、ほっとしました。116544.gif

23年4月~24年3月のベビーをもつ、ママ

まもなく娘は一歳になる・・・!

一ヵ月ぐらい前から、来る誕生日を連日楽しみにして過ごしてきた。
まるでクリスマスみたいに心はウキウキ!ここまでの道のり、本当に長かったし、大変だったー!!

けれどあっという間に過ぎてしまって、
今振り返ると、子どもとの空っぽな時間を、もう少し焦らないで過ごせても良かった、と思うのだけど、でもそのときは、それが私に出来る精一杯だった。

思い出すと何だか二度と戻って来ない日々に涙でも出てきそうなくらい愛おしい時間であり、不思議な時間だった。

子供との過ごし方にしても、子供を挟んだ夫とのあり方にしても、
また娘が出来た故に育まれてきた人間関係にしても、こんな一年を過ごしたことはいまだかつてなかった、という経験をたくさんさせて頂いた。

今日も代官山で元気いっぱい

昨日あんまり楽しそうにしていたので、今日も代官山支援センターへ連れてきました。
 音楽が流れると大喜び!
お兄さんお姉さんに交じって、0歳児が踊ります!

 
今日は木琴に夢中。音を上手に鳴らせるようになった(=目的物に命中させることが出来るようになった)んだなあと驚いていたら、

今度は私を置いて、手押し車でセンター内を行ったり、来たり。
私がべべの後ろから一緒になって手押し車を押してあげたら、やめてとばかりに、私の手を払いのけたから、ぎゃふん!

じゃあ、見守っているよ、と彼女の後ろを同じように行ったり、来たり。
私でも疲れたーと思ったのに、べべはよっぽど楽しいらしく、ずうっと歩き廻って、歩き廻って、
やっと止まった、と思ったら、今度は傍にあった買い物かごを片手にずんずんずんずん歩きだす。

お昼抜きだった私は2時も過ぎるとお腹が空いて「もう、帰ろうか?」と言ったら
 3時半に撃沈。
眠ってしまいました。(お隣さんもべべと同じ10月生まれのベビー)

ぜんまいじかけのおもちゃみたいに、ずうっと歩き廻っていたべべは、小粒でもぴりりと辛い?かわかりませんが、今のところ、元気いっぱいです。

10月の代官山子育て支援センター

 代官山駅近くでべべが眠り始めたので、チャンス!とばかお店に駆け込み、「1」歳のバースデーろうそくを買いました。
 使う日がとっても楽しみ!
もうすぐ誕生日だよ~>< うれしい!!!

 その後、代官山子育て支援センターへかなり久しぶりにおじゃましたら、娘ベベが大はしゃぎ。歩けるのが、楽しくてたまらないというように、私にべったりだったべべが、テクテクテクテク遠くへ歩いていく。
 

 あんまりうれしそうにするので、4時間以上、長居しました。
 たまには絵本も借りていこう。

今日はいい天気。ママ友にもたくさん会えて、楽しかった。感謝。

今日のオトナ朝ごはんとベビーごはん

昨日こどもの城で栄養相談を行った際、べべの身長と体重を測って頂いたら、低身長と診断された。

どんなメニューを作っているのか、と質問されたので、基本的にはお粥と野菜を中心にしていると答えたら、べべは活発なので運動量が多い、ということで、「もっとカロリーがあるものを!」と、マヨネーズ、バターなどの油を多少使うことを薦められた。

塩分もそろそろ気にしなくてよいというので、今日から心新たに、私たちオトナが食べるようなものを気合をいれて準備してみた。

 だし巻き卵もつくってみたけれど

そういう時に限って、ぜんぜん食べてくれなかったりする。
ちょっとがっかり。

最近は食卓にじっとすることもなくなってきて、
そのことを先生に話したら、
「いろんなことに興味が出てきて(食べるより)遊びたいのよ!」
と仰る。

今まではべべの食に関して、何も悩みがなかったのに、
どうやったらもっと食べてもらえるようになるか、すこし考えるようになった。